第12話 ライブラリー

「ねえ、まずどこへ行こうか?」

 東洋の娘の言葉に、アビーは少し考えた。

「まず、食堂に行ってみましょう」


 女たちが個室を与えられたのは屋敷の二階、長い廊下に沿って順に。その廊下の突き当りにあるのが食堂だ。ジェーンの部屋は末端、食堂からは最も遠い。部屋を出て左にひたすら真っ直ぐ歩いて行く。

「あら、変ね」食堂の手前で、アビーが呟く。

「なに?」

「部屋の数が、二十七しかない」

「え……」

 頭の中でクマ、ヒモ、行方不明と引き算をした東洋の娘は、ゾッとした顔をした。

「でも、最初は三十あったわけ?」

「それは、わからない。数えてないから」

「じゃあ、単純にこの階には二十七の小部屋と、ダイニング・ルームがあるってだけで、何もおかしなことはないんじゃない?」

「そうかも」

「残りの人たちの部屋は、ここの一階か、もっと上の階、それか、別ウイングにあるとかさ」

「そうね」

「人が消えたら部屋も消えるとか、意味わかんないじゃん?」

「ええ、そうね」

「この屋敷は縮んだり伸びたりするわけ? そんなはずないじゃん!」

「そうね」


「ねえ、くまさん、今日は出て来ないの?」


 少女の言葉に、二人ははたと我に返った。三人は、食堂の入口に立っていた。中では、昨日よりは少ない人数がテーブルに着いて朝食をとっていた。部屋で一人でいるよりは、誰かと一緒にいることを選択したのか、複数で固まり暗い顔で話しをしている。中心になっているのは、あの赤毛の女だ。

 昨夜の惨劇のあとは、きれいに片づけられていた。


「熊さんが来たら大変よ。急いで逃げないといけないわね」

「逃げるの? 死んだふりじゃなくて?」

 東洋の娘の言葉に、アビーは答えなかった。子供を怯えさせたくなかったのだ。だがその子供は、六人ほどで固まって食事をしていた女たちのところへ向かって一人でとことこと歩いていく。

「え、ちょっと、プリン姫?」

 アビーと東洋の娘が食堂の入口で見守るなか、少女は長いテーブルの端で固まっている人々に、陽気に話しかけた。


「ねえ知ってた? わたしたちの中にどくさつまがいるんだって。あの男の人が言ってた」


 呆気にとられる女たちに背中を向けると、少女は戸口で待つアビーと東洋の娘のところに戻って来た。

「ちょっ」

「行きましょう」

 目を白黒させた東洋の娘と子供の腕を掴んで、アビーは素早く食堂から離れた。

 ほどなく背後からひと騒動もちあがったが、アビーは振り返らずどんどん先へ進む。階段を降りた右手側のドアをあけて見たが、庭に面した出窓とピアノが置いてあるのを見て慌ててドアを閉めた。フランス窓から見えるであろう景色を、子供に見せたくなかったのだ。

 次のドアを開けると、

「うわあ」

 アビーの体越しに中を覗き込んだ少女は驚きの声をあげた。

 そこはスタディとかライブラリーとか呼ばれる書斎だった。大きな屋敷なだけのことはあって、広々とした室内の壁には天井まで届く書架が設えてあり、棚は革で装丁された立派な本で埋まっていた。そして、窓にはぴっちりとカーテンが閉まっていたので、アビーは胸を撫で下ろした。

 室内には先客がいた。褐色の肌をした二十代と思しき女で、分厚い本を手に立っていた。


「おはよう! コーフィーさん!」少女は元気に挨拶をした。

「えっ」コーフィーと呼ばれた女は驚いた顔で少女を見つめる。

「それが、わたしの名前? あなたは……」

「ごめんなさい。この子、思いついた名前を口にしてるだけなのよ」とアビーが代わりに謝ると、女は笑みを浮かべた。表情が柔らかく、アーモンド形の目は優しそうだ。

「そうなの。名前が思い出せないのは不便だと思っていたのよ」

「わたし、あなたに似たお人形を持っていたわ。とっても素敵な子なの。あなたと同じくらいかわいい顔をしていたわ」

「その子がコーフィーって言うの?」

「ううん、その子はガルガルっていうんだけど、あなたはその名前は好きじゃないかもって思ったから」

 女は目を細めた。

「そうね、ガルガルはちょっと……でもコーフィーは気に入ったわ」

「じゃあ決まりね。わたしは、プリンセスって言うの。アビーがつけてくれたの」

「よろしくね、プリンセス。アビーと一緒にいるのは、どなた?」

「わたしは――」東洋の娘が口を開いたが、プリンセスは

「彼女にはまだ名前がないの。これから、わたしがここで見つけてあげるところ」

 そういって、本棚に歩み寄ると、手の届く棚から本を抜き取り、床に広げて眺めはじめた。

「やだなあ、変な名前つけないでよ。ていうか、自分でかっこいい名前をつけたらいいよね」

 東洋の娘がプリンセスの隣に正座すると、女児は

「そんなのだめ。わたしがつけるんだから」

 と頬を膨らませた。なんだかんだで、女児と年が一番近いせいか、東洋の娘とは仲がいい。


「あの子は、思い出したのかしら? お人形のこととか」

 コーフィーの問いに、アビーは顔を曇らせる。

「どうかしら、お人形に名前をつけるみたいに、遊んでいるだけだと思うわ」

「そう」

「あなたは、どうなの。なぜ、ここに?」

「本に囲まれていると、とても落ち着けるの。たぶん、わたしは読書が好きだったんだと思う。でも、何かを思い出せたわけじゃないの」

「それ、あたってるんじゃないかしら。わたしは、別にこういう書斎にいても落ちついた気分にはならないもの」

 コーフィーは微笑んだ。

「どうせ死ななきゃいけないなら、ここがいいわ」


「その望み、しかと聞いた」


 どこから湧き出たのか、あの男が書棚にもたれて立っていた。本日の装いはシックな黒いモーニングのスーツに、細身のステッキを携えている。

 悲鳴を上げるプリンセスを、東洋の娘が抱き寄せる。

「場所は、ここだな。承知した。で、どんな死に方がいい」

 男は、顔の右半分が隠れる白い仮面をつけていた。露出している左半分は、恐ろしいぐらいの男ぶりだった。その男にそっと頬を撫でられると、コーフィーは苦しそうに息を吐いた。

「ああ……」

「遠慮することはない。叶わない望みはないのだからな」

 男は女の背後に回り込むと、彼女の両肩を掴んだ。

「遠慮しないで、内に秘めた欲望を解き放つといい」


「わたしの故郷では、大地震があった。建物が崩れて、大勢が押し潰されて死んだ。津波に攫われて、ついに見つからなかった者もいた。わたしは――」


 女は、肩から二の腕へと男の手が滑るように下りていく感触を震えながら感じ、夢見心地になっていた。

「言ってごらん、恥ずかしがることはない」女の耳元に唇を寄せて、男は囁く。


「わたしは、溺れ死ぬのは嫌だった。島育ちなのに、泳げないから。そして、もし陸地で潰されて死ぬのなら、雪崩を起こした書物の下敷きになりたいと、願った」


「ダメだよ!」

「やめて!」

 東洋の娘とアビーが同時に叫んだ。

 

 男のステッキのヘッドが、優雅に弧を描いた。

 どん、と地面を突き上げるような揺れがまず起こり、それから、激しい横揺れがやってきた。

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