第9話 女子会の夜
アビーは静かにジェーンのガラス玉のような瞳を見つめた。
「あなたとあの男は、お知り合いなのでしょうか」
「知らないわ。というより、記憶がないから、わからない。でも、わたしがあんな男と知り合いだったとは思えない。向こうはわたしのことを知っているみたいな口ぶりだったけど」
「ミス・ジェーン」
「ジェーンで結構よ。どうしてみんな、わたしのことを『ミス』と呼びたがるのかしら。実際それがしっくりくるような気はするんだけど、わからないわ。覚えていないから」
「おばあちゃん、元教師って雰囲気だからさ。ほら、『若い娘たちが良妻賢母になれるよう教育に命を捧げました』的な雰囲気醸し出してるじゃん」
東洋の娘の言葉に、プリンセスもくすくす笑いを漏らしたが
「『おばあちゃん』はやめてちょうだい」とジェーンにぴしゃりとやられて二人とも大人しく口をつぐんだ。
「確かに、そんな過去も、あったのかもしれないわね」
ジェーンは独り言のように呟く。
「あたしは、あなたたちとは違う国の人間だと思うんだ」東洋の娘が言う。
「あなたたちの話す言葉は、わたしにとっては外国語で、わたし、勉強嫌いだったから、外国語なんて話せないはずなんだ。でも、あなたたちの話してることはわかる。わかるんだけど、なんだか、へんなの。頭の中で、誰かが同時通訳してくれてるみたいな。さっき『ミス・ジェーン』て呼んだのもそう。わたしの国ではそんな言い方しない。でも、勝手に口から出てくる。あたしの言ってる意味わかるかな」
ジェーンとアビーは顔を見合わせた。
「確かに、あなたの顔立ちは――異国的だけど、外国からの移民は珍しいことではないわ」とアビー。
「そうね。でも、わたしの生きていた時代では、移民といえば、二度目の大戦で難民となったヨーロッパの人たちが主だった。東洋人は稀ね」とジェーンは感慨深そうに言う。
「思い出したの?」と色めき立つ東洋の娘に
「背景みたいなものを、ぼんやりとね。でも、自分自身のことは、てんでだめ」
「ならば、こういうことでしょうか」とアビーは青ざめた顔で言う。
「わたしたちは、異なる時代、異なる国から集められた。そして、この館では、元の言語の違いを無視して、コミュニケーションを図ることができる」
「そうね。でも、それは、コミュニケーションをとるためではないような気がするわ」とジェーン。
「なぜでしょうか」
「だって、わたしたちは――どう足掻いても、生き残ることはできないことになっているでしょう」
ああ、とアビーと東洋の娘から絶望の声があがった。
「いやなこと思い出させないでよ!」
東洋の娘は細長い腕と足を投げ出してカーペットの上に寝転がった。プリンセスはいつのまにか、その隣で寝入っている。
「ねえ、あいつ、あの男はわたしたち全員悪者だって言ってたけど、こんな小さい子が一体何をしたっていうの? わたしだって、みたところまだ十七かそこらじゃん。まさか、最年少連続殺人鬼だとか言わないよね?」
「ああ」
ジェーンは溜息をついた。思い出したくないことを一つ、思い出してしまった。それを今ここで知ったとしても、どうしようもないことを。
「あの男が、わたしたちの中に連続殺人鬼……ううん、彼の言葉では、『毒殺魔』だったわね。毒殺魔が混じってるって言ってたわ」
「確かに、言っていましたね」アビーが頷く。
「げえっ。さっき言いかけたの、それ?」
東洋の娘は舌を突き出して顔をしかめた。
「じゃあ、あのご馳走のなかに、も、もしかしたら」
「よほど遅延性の毒じゃない限り、今頃とっくに効果がでているはずじゃないかしら、もし本当に一服盛られていたとしたらね。でも、わたしたちがここに連れて来られた状況を考えると、毒を持ち込むのは無理なんじゃないかしら」とジェーン。
あの屈辱的な、裸の群が頭をよぎる。
「隠してたんだよ、こことか、こっち。女性刑務所が舞台のドラマで見たことある!」
東洋の娘のいささか品性に欠けるゼスチャーに顔をしかめながら、ジェーンは首を振る。
「常日頃から、そんなところに毒を隠し持っている毒殺魔がいれば、可能かもしれないけど……」
「こっちに来てから調達したのかもしれないじゃない」
「それは、可能かもしれませんね」とアビーは物思いに耽りながら言う。
「ピアノの置いてある部屋があったそうですから。だったら、他にも、大邸宅に通常置いてあるようなものが、ここにはあるのかも」
「そうねえ。毒というのは何も、薬剤師に管理される医薬品ばかりではない。どこのキッチンにでもあるようなものでも、人の命を奪うことはできる。偶然、悪者の手に、使い方を誤ると恐ろしい毒が、手に入ってしまうことは、あるかもしれないわね」とジェーンも頷く。
「げー、それじゃあ、もうここでは飲み食いできないじゃん」
「でも、わたしたちは、どっちみち」
「あー言わないで! あの男の言いなりになるのは癪だけど、人殺しの餌食になるぐらいなら、自分で選んだ死に方がいいよ」
「でも、毒を呑んだ方が苦痛が少ないかもしれないわ。ただ」
「ただ?」
「あの男が、そんな楽な死に方を許してくれるかしら」
ジェーンは閉じたカーテンの方に視線を向けた。
「何時間、いえ、きっと、何日も苦痛にのたうちまわることになるんじゃないかしら」
アビーは溜息をついた。
「ここに来たのは、あなたにアドバイスをいただきたかったからです」
「アドバイス? 悪いけど、できるだけ楽な苦痛に満ちた死に方を考案するなんて、無理よ。自分自身についても、なにも浮かばないもの」
「ではあなたは、あの男に嬲り殺されるのを大人しく待つつもりですか」
「ただ待つつもりはないわ」
ジェーンはきっぱりと言った。
「なにができるかわからないけど、調べてはみるつもり」
「それでは、わたしにもお手伝いさせてください」
「あたしもやる! 苦しんで死ねなんて、マジふざけんなって感じ。まだ恋もしてないのに、ありえないから!」
「ねえ、あなたたち。あの男の態度を見たでしょう。わたしは、あの男に嫌われている。なぜかはわからないけど、そう感じる。わたしと一緒にいたら、とばっちりで何をされるかわからないわよ」
「それでも、ここから逃げ出すには、あなたに縋るのが一番だと、わたしは思うのです。お願いします」アビーはジェーンの足下に跪いて彼女の手をとった。
「逃げ出す?」
ジェーンは眉を顰めた。あのように、絶対的な力をみせつけられて、まだここから逃げられると思うとは。ジェーンは、アビーの肩越しに、カーペットの上で眠り込んでいる小さい背中を見た。
「それは、あの子のため?」
「ええ。たとえ自分の命をなげうってでも、あの幼い子供は助けたいんです」
「おやまあ」ジェーンは溜息をつく。
「なにも、約束はできないけど」
「お願いします」
「わあ、なんか、女子会みたいだね! メイドさんに夜食でも持って来てもらおうか」東洋の娘が顔を輝かせた。
「毒入りかもしれないわよ」
アビーの言葉に、娘は目を剥いた。
「やめてよ、こんなところでダイエットなんかしたくない。どうせ死ぬなら、好きなだけ食べなきゃ損」
でも、誰が毒殺魔か、わからないんだわ、とジェーンは思う。当人ですら、まだ思い出せていないのであれば、それはここにいる誰かである可能性もあるのだ。
そう、それは、ジェーン自身だったとしても、おかしくはない。
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