第3話 ひとつめのメイド
大広間の扉が開け放たれ、わらわらとメイドたちが入って来た。白いエプロンとキャップを付けた制服姿で没個性的な彼女たちは、裸の女たちをそれぞれの個室に導いた。
部屋はどれも同じ造りであったが、彼女たちはまだそれを知らない。
ベッドとサイドテーブル、書き物机、クロゼット、化粧台。そんな必要最小限の物しかない簡素な部屋も、素裸で心細い思いをしていた彼女らに大きな安らぎを与えてくれた。
真っ先にクロゼットを開けてみると、そこには丈の長いワンピースが一着ハンガーに吊るされていた。筒状の、どうにも野暮ったい型で、軟らかいコットン地の着心地だけは及第点だったが、マスクの男が纏っていた贅を尽くした衣装と比較すると、一層惨めな気持ちにさせられる。
あるいは、それが目的なのかも。わたしたちは、あの男よりはるかに劣った存在だと、はっきりわからせることが。
ジェーンは目覚めてからこれまでの出来事を反芻して、小さな溜息をついた。
初めに、無防備な姿を晒されることによって人として、女としての尊厳を蹂躙されたところへ、相手のお情けでこのようにみすぼらしい衣類を恵んでもらう。両者のパワーバランスは著しく不公平なのだと、嫌でも思い知る。並の女であれば、反抗心もなにも失せてしまうことだろう。クロゼットの隅に、粗末なフェルトの
相手の術中に見事はめられたのだとしても、老いた肉体をこれ以上無様に晒さずに済むのは嬉しかったし、恐らく関節炎を患っている彼女の肉体を冷気から守ってくれる衣類や履物は、さながら天からの恵みのよう。
老齢の彼女は、舞踏会用のドレスなど必要としていない。腰回りを締め付けない足首丈のワンピースは、そう悪くなかった。少なくとも、庭の手入れをするなら、こんな格好でも十分。外に出る場合は、フェルトのスリッパ以外の履物が必要だけど。
もし、外に出られるとしたらだけど。
髪をとかし、慣れた手つきで編んで、後頭部でお団子にまとめる。それだけで、かなりすっきりした見た目になった。
そう、多分、記憶を失う前の自分は、こんな髪型をしていたのだろう。鏡の中を見つめながら、ジェーンはそう考える。彼女を見つめ返す、皺だらけでたるんだ顔には一向に見覚えがないにしても。幸い、頬を撫でる節くれだってシミの浮いた手は、まだ器用に動かすことができた。
ジェーン
あの男が真実を告げたという証拠はないのに、彼女はその名前を既に自分のもののように感じ始めている。
ジェーン・なに?
まさか、
肩に手を置かれ、女中が傍らに立っていることに気付く。化粧台の前で考え込んでしまっていた。
「ああ、そうだった。食堂に行くんだったわね」
寡黙な少女。十代後半ぐらいだろうか。これまで一言も口をきいていない。屋敷の主人――あのマスクの男だろうか――から無駄口を叩かないよう、よほど厳しく躾けられているらしい。それは彼女の好みに適っていたが、必要な情報どころかヒントさえ得られないのは困ったことだ。
彼女は、一見無益なお喋りから様々な情報を得ることが得意だったはずで――
軽い眩暈を覚え、ジェーンはベッドの端に腰かけた。
「ちょっと、肌寒いわね。上に羽織るものがあればいいんだけど」
メイドは、ウールのショールを彼女の肩にかけた。
一体この部屋のどこから取り出したのかわからなかったが、ジェーンは気にしないことにした。体にぴっちりと巻き付けたショールが彼女に安心をもたらしてくれたからだ。
「あなたが食堂まで案内してくれるのかしら」
メイドは既にドアを開けて傍らに立ち、彼女が後に続くのを待っている。うつむきがちの顔は、よく見えない。室内が暗いせいか。否、明かりは灯っており、狭い室内を隅々まで見渡すことができる。
ジェーンは首を捻った。目を細めて睨みつけても、メイドの顔にはまるで、もやもやと霧がかかったみたいで、はっきりしないのだ。
「あの子は、大丈夫かしら」
ジェーンはゆっくりベッドから立ち上がり、よろめいた。メイドが素早く駆け寄り、彼女の手を取った。
「まあ、ありがとう」
メイドに手を引かれて、彼女はゆっくり歩き出した。
「いえね、小さい女の子が一人混ざっていたでしょう」
できれば彼女をこの部屋に連れて来たかった。あんな幼い少女がたった一人で、有能だが愛想のないメイドと二人きりでいるのかと思うと忍びなかった。自分でなくとも、誰かが面倒をみてくれていたらいいのに、と切実に願った。
「あなたの同僚に面倒を見てもらっているのなら、不自由はないでしょうけど。でも小さい子っていうのは、特に女の子は」
無口なメイドは、答えない。
廊下に出ると、ずらりと並んだ他のドアからも、メイドに先導された女たちが出てきていた。みな、同じデザイン・色の野暮ったいワンピースを着ている。彼女のようにメイドに手を引かれている者が数名、廊下の先を歩いている。
だが、いくらしょぼつく目をこらしてみても、幼い少女の姿はなかった。先に食堂に行っているのかもしれなかった。お腹を空かせて。ジェーン自身は、さほど空腹を感じていない。
「おい、返事ぐらいしなよ、耳がないのかい、お前」
男のような言葉遣いで騒いでいるのは、もちろんあの女。マスクの男にノックアウトされた屈辱から早々に立ち直っている。彼女のメイドも、相当に無口らしい。
服を着た彼女は、四十代で盛りを過ぎたとはいえ、まだ魅力を失っていないとジェーンは冷静に観察する。若い頃は美しかったのだろう。歳をとって肉付きがよくなっているが、それを好む男もいる。酒場勤めか、肉屋のおかみさん、そんなところだろうか。
もう少し近くでじっくり観察すれば、もっといろいろ――
眩暈
ふらつくジェーンの脇に腕を差し入れて支えるメイド。
少し、有能過ぎないかしらとジェーンは思う。こんな使用人なら、大金を積んででも雇いたいと思うお金持ちがいくらでもいるはずだ。まっとうな使用人を見つけるのは、今のご時世、至難の業で――
ジェーンは素早く他の女たちとメイドを見やる。同じ服を着せられた女たちには、背丈や髪の色などでそれぞれを容易に識別できる個性があるが、メイドたちは。同じ制服、同じキャップを被っており、背丈も体格も似通っている。
いや、似ているなどというレベルではない。大量生産のお人形のように、同じ。
それでいて、誰の顔も、まともに捕らえることができなかった。どれだけ集中して目を凝らしてみても、ジェーンの部屋付きメイドと同様に、彼女たちの顔の部分にはもやがかかっているように、ふわふわ揺らいでいる。
ただ、疲れているだけかもしれない。
そんな風に自分を納得させようと試みるが、そんなはずはないことをジェーン自身がよくわかっていた。いくらなんでも、全員が舌を抜かれたみたいに無口な使用人なんてものが、いるわけがない。
長い廊下をメイドに体を支えられてゆっくりと進むうちに、いつしかジェーンたちが一団の最後尾になっていた。先をゆく他の女たちは、どうやら突き当りの部屋に消えていくようだ。
あそこが、食堂なのだろう。
ジェーンは、躓いたふりをして、メイドに全体重を預けた。体にまわされた手に力が入る。膝が廊下の絨毯の上に着地する前に、ジェーンはメイドの肩を掴んで引き寄せた。
メイドの顔がすぐ近くに迫る。
息が頬にかかるぐらい近くに、顔が。
躊躇う気持ちを振り払って、その顔を覗き込んだ。
メイドの顔には、目が一つしかなかった。
二つあるうちの一つが何らかの理由で失われ隻眼となった訳ではなく、初めから鼻の上に、一つしかなかった。鼻や口、耳といった他のパーツに比べ不自然に大きいそれは、瞳孔が水平方向に長く、虹彩は金色、ジェーンを吸い込むように、見つめ返していた。
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