izayoi

いざよい

 教団の火災から二年。

 大輔だいすけが退院して再び日下部くさかべたちと暮らし始めてから、また一年が過ぎた。年が替わったある雪の日、日下部は大輔を伴って久々に街へ出た。

 今夜、『いざよい』の元信者たちによる酒宴しゅえんもよおされる。発起人ほっきにんの仲村は修行体験の時に講師をした男で、古株の信者とのことだった。後藤美咲を通じて伊佐坂いささかに、そして伊佐坂経由で日下部たちにも招待状が届いた。火災の時、日下部が叶未央かのうみおを救うために炎の中に飛び込み大怪我をしたという話が伝わり、ぜひ礼をしたいという信者たちの強い希望という事だった。残された者たちは共通の意識を持つ。生き延びることが出来た幸運への感謝と、生き残ってしまった後悔と。傷をめ合うことも必要なのかもしれない。

『いざよい』信者は二種類に分かれる。叶未央かんおうみおの夫、叶朔太郎さくたろうが師範をしていた道院の生徒だった者と、教団設立後に信者になった者。そして、その中には少なからず『M』に遭遇した者たちがいた。火災で生き残った信者は全体の半数に満たなかったが、その中でも『M』と出会った者、『M』の知識を持つ者は秘密裏に隔離された為、かなりの人数が行方不明者とされている。教主派の筆頭であったという仲村が残っているのが不思議だが、おそらく何かの裏取引があったのだろう。

 大輔を連れて来ることには躊躇ちゅうちょした。傷口を広げてしまう事に成りはしないか。見知った顔の中に未央がいないことを受け入れられるのか。悩んだ結果、れ物に触るような扱いはするまいと思った。

 予想外に降った雪のために遅れて到着した日下部が部屋に入ると、信者達に拍手で迎えられた。大輔が後に続く。発起人の仲村は、以前会った時より白髪が増えたように見えた。今回の幹事だという三枝さえぐさという若い男とともに、日下部に謝意しゃいを伝える。三枝の顔を見て火災のとき胸倉むなぐらつかんだ男だと気付いたが、日下部は黙って大輔と共に席に着いた。座卓には様々な料理が並び、すでに赤い顔をしている者もいた。向かい側で伊佐坂いささかが手を上げる。その横で後藤美咲ごとうみさきが頭を下げた。

「あの、こちらは。確か、あの時一緒におられた」

 日下部のグラスにビールを注ぎながら、三枝が大輔を見る。隣で正座していた大輔が頭を下げた。

「お久しぶりです。一色いっしきです」

「一色……、サーシャか⁉」

 三枝の声が裏返った。

「どうした、その髪」

 どよめきと、ささやきあう声が広がる。仲村が声を上げて笑った。

「サーシャの髪は元々その色なんだよ。懐かしいなあ。道院にいた頃を思い出すよ」

 目を細めて言うのに、幾人かが頷くのが見えた。

 飲むかい?と言うように瓶を示され、大輔がグラスを手に取った。ビールが注がれ、泡が盛り上がっていく。

「あれ? お前、飲めないって言ってなかったか」

 日下部の問いに、大輔があふれそうな泡から目を離さずに答える。

「解禁です。昨日二十歳になりました」

 日下部は石になった。

 改めて乾杯の音頭がとられ、酒宴は再開された。石化した日下部の隣で大輔はビールを一口め、苦そうに顔をしかめた。

「そうかあ。サーシャもついに大人の仲間入りか。ほれ」

 渡されたチューハイを一口飲んで気に入ったのか、大輔は一気にグラスを半分空けた。

「お? いける口だねえ」

 誰かが声を掛ける。

「熱を出す度に師範がぶって医者に駆け込んでいたのに、大きくなったもんだ……」

 仲村が言葉を切り、ふと痛まし気な視線を大輔に向けた後、何かを思い切るように杯を空けた。

「で、サーシャは今、日下部さんの所にいるの?」

 新しいグラスを渡しながら三枝が尋ねた。両手でそれを受け取った大輔が答える。

「はい。よめになることにしました」

 あちこちで酒の噴水ふんすいが上がった。人間に戻りかけていた日下部が再び石化する。

 そうですよね、という視線を日下部に送り、大輔はグラスに口をつけた。

「おい、飲みすぎだ。もうやめとけ」

 動揺を隠せずグラスを取り上げた日下部に、大輔が不思議そうな顔を向けた。

「言いましたよね、嫁になれって」

 黒い瞳が揺れる。素直な目で見詰められ、日下部は言葉に詰まった。

「気が変わりましたか?」

 大輔が追い打ちを掛ける。妙につやっぽい眼差しが日下部をとらえた。

「日下部さん、僕は」

 何か言いかけた大輔が急にまぶたを閉じた。そのまま日下部の胸に倒れこみ、寝息を立て始める。

 勘弁してくれ……。

 手に持ったジョッキをカチカチ鳴らす三枝の向こうで、伊佐坂が肩を震わせているのが見えた。

 座布団を枕に、両手を顔の横に置いて無垢な寝顔を見せている大輔メデューサの首をめたくなりながら、日下部はすべてをあきらめた。

 夢を見ているのか、大輔がクスリと笑う。真珠色の髪を撫でながら、日下部もまた小さく笑った。

  針のむしろ酒宴しゅえんは、それでもなごやかに続き、夜もけた頃、無事にお開きとなった。


 坂の下でタクシーを降り、眠ったままの大輔を背負った。サクサクと雪を踏む音だけが響く。一年前にも、こうやって坂を上ったのを思い出す。背中の暖かさが嬉しかった。

 少々危なげにちらつく街灯が、舞い落ちる雪の欠片かけらを照らす。

「起きてるんだろう。降りて歩けよ」

 背中に声を掛けると、肩に回された腕に力が入る。

「嫁になるって言ったよな。……言質げんちは取ったぞ。逃がさねえから覚悟しろ」

 返事はない。背中の身体にかすかな緊張きんちょうを感じた。

 街灯が遠ざかり、辺りは少々薄暗さを増す。

「日下部さん……」

 言い淀むように、大輔は言葉を切った。

「何だ。怖気おじけづいたか」

 軽口に、溜息が返る。

「僕も、いつか歳を取ります」

「そうだな。白髪になっても分からないから、いいよな」

 首筋に、少々苛立いらだったような息遣いを感じた。

「……禿げるかもしれませんよ」

 ねた口調に、日下部は気付いた。そういうことか。大輔は恐れているのだ。捨てられることを。手に入れた居場所を再び失うことを。

「それが、どうした」

 ずり落ちて来た大輔の身体を背負い直し、日下部は笑った。

「忘れたのか。俺は、坊主頭のお前に一目ぼれしたんだ」


 しんしんと、雪は降り続いていた。


             ※


 五月のある日、日下部は本部から呼び出しを受けた。

「それは。……いくら何でも」

「拒否権はありません。嫌なら特例が取り消されるまでです」

『M』対策委員会のトップ、『観音かんのん様』のあだ名を持つその女性は、優し気な笑みを浮かべて言った。優しい笑顔の中にとてつもない圧力を感じ、日下部はこぶしを握りしめた。

「説得できますね」

 観音様は言った。菩薩ぼさつの微笑に隠されたこの人の怖さは身に染みて知っている。回避かいひするのは不可能だろう。それなら。

「一つだけ条件……いえ、お願いがあります」

 日下部は上司をにらみ付け、吐き出すように要望を告げた。側にいて守ってやることが出来ないのならば、せめて。いや、これは過ぎた望みなのか。到底とうてい叶う事のない夢物語なのだろうか。

 目を伏せ、拳を握りしめて、日下部は返事を待った。長い時間に思えた。

「日下部」

 名を呼ばれ、日下部は顔を上げた。

「分かりました。全力を尽くしましょう。ただ、そう簡単にいかない事は承知しておいてください。最大限の努力はしますが、結果を保証することはできません」

 菩薩の微笑からは感情は読み取れない。

「叶えてあげたいのだけれど」

と続けた言葉に一抹の優しさを感じた。

「二か月待ちましょう。良い報告を期待しています」

 優しさの消えた声が告げる。

 日下部は黙ったまま、深く頭を下げた。


                            おわり

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マリオット 古村あきら @komura_akira

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