第9話
時が流れた。大輔は、その後は今回ほど酷い状態になる事はなく、景子と共に多くの犯罪者を見付け出した。犯罪者=『M』の被害者たちは治療を受け、半数が社会に戻って行った。やがて大輔と同じ働きが可能な機械システムが完成し実用化されるようになったことで、大輔の任務は終了となった。受けていた実験的治療も一応の成果が出たとのことで、インターバルとして大輔は一旦家に戻ることになった。
日下部と景子に付き添われ、
「何があるんですか?」
不安げに問う大輔に微笑を返し、日下部と景子も黙って扉をくぐった。
ネームプレートの無い部屋の前に立ち、日下部は扉をノックした。ドアが開き、女性医師が顔を出す。中には男性医師もおり、日下部と景子に小さく頷いた。
「よく来たわね。さあ、こちらへ」
女性医師が言う。大輔は側に立つ日下部に
ひゅうと息を呑む音が聞こえ、大輔の背中が震えるのが分かった。二人の医師が緊張した面持ちでそれを見詰める。
「怖くないでしょう。もう大丈夫よ」
女性医師の言葉に従い、大輔は歩き出した。少し進んでは足を止め、目を伏せ、また顔を上げる。続いて部屋に入った景子は、奥にいる小柄な女性の姿を目にした。景子より少し年上だろうか、椅子に腰かけた、長い黒髪の美しい女性。その顔立ちは大輔によく似ていた。
大輔はつり橋を渡るように緩々と歩を進め、女性の前に立った。そのまま硬直した様に動かなくなる。また倒れてしまうのではないかと不安になり、近寄ろうとした景子を日下部の腕が止めた。
「サーシャ」
女性が呼びかける。立ち上がり、両手を差し伸べ、そっと大輔を抱き寄せる。
「母さま」
抱きついた拍子にバランスが崩れ、女性は再び椅子に腰を落とす。大輔は崩れるように女性の膝に顔を埋め、肩を震わせた。
「いつから泣き虫になったの?」
女性がそう言って、愛おし気に白い髪を撫でる。大輔は顔を上げ、母の顔を見た。
「小さい時からです」
震える声でそう言った後、大輔は子供の様な泣き声を上げた。
女性医師が微笑む。
「辛い治療でした。八か月、本当に頑張ったんです。
「ありがとうございます」
「お世話になりました」
迎えに来た車の横で、大輔は景子に深々と頭を下げた。
「元気でね」
そう言った景子に頷き、大輔は笑顔を見せた。
「そろそろ行くぞ」
トランクに荷物を積み込んだ日下部が大輔の肩を叩いた。
「色々ありがとうな」
景子に向かって軽く手を上げる。
「日下部課長」
景子がそう呼びかけると、日下部は困った様に眉を下げた。
「その呼び方は止めてくれよ。
大輔に顔を向け、優しい笑みを浮かべる。
「再来週から
大輔がクスクス笑う。その顔があまりに幸せそうで、景子は何故か胸が苦しくなるのを感じた。
大輔が後部座席に乗り込み、日下部も助手席に座った。ハンドルを握った眼鏡の男性がエンジンを掛ける。大輔が窓越しに手を振った。
「さようなら。お元気で」
少しだけ開いた窓から、大輔の声が聞こえた。手を振る姿が小さくなっていく。
走り去る赤い車を見ながら、景子は心の中でもう一度、別れを告げた。
さようなら、私のドール。
Crybaby doll おわり
※
次の話「いざよい」は、本編とCrybaby dollの間の話です。ラスト一話。お付き合いくださいませ。
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