第6話

「おはようございます」

 翌朝、大輔は何事も無かったかのように景子の前に現れた。

「大丈夫?」

 そう尋ねた景子に「はい」と答えて、大輔は助手席に座りシートベルトを締めた。

「いつもの事なんですけれど、昨日はちょっときつくて」

 独り言のように、そう言う。

「そう」

 軽く流して、景子は車を発進させた。特別な感情を抱いてはいけない。改めて自分にそう言い聞かせる。もし何らかの情が湧けば、この任務を続けることが出来なくなってしまう。

 国道に出て、ナビをチェックしながら景子は言った。

「あなたのお相手、分かっちゃった」

「え?」

 驚いて振り向いた大輔を見ずに、景子は続けた。

「昨夜会ったわ。前の部署で一緒だったの。隣の課だったけど」

「そうですか」

 大輔はそう言うと、また前を向いた。カーナビが複雑な分かれ道を示している。間違えないように注意しながら、景子は信号と画面の交互に視線を動かした。

「戸籍上は、養子という事になっています」

 大輔がポツリと言った。

「でも、あの人は僕を『嫁』と呼びます。僕たちの関係を上手く説明することは難しいのですが」

 大輔は、そこで言葉を切った。カーナビが右折の指示を出す。

「日下部さんは、優しくしてくれる?」

 景子の問いに「はい」と答えた後、大輔は「時々意地悪ですけど」と小さな声で続けた。

「へえ、どんな風に?」

 答えが返って来なくなった。隣に目をやると、大輔は俯き、シートベルトを握りしめていた。綺麗な横顔がどんどん赤くなる。

「いい。言わなくていい」

 ナビに表示された道をれそうになり、景子は慌ててハンドルを切った。

 世の中には様々な愛の形があるのだ。それに何となく、この子にはその方が合っているような気がする。知らない女に取られるよりは。そう思いかけて、景子は自分をわらった。


 季節が変わり、木々も葉の色を変えた。

 午前中から昼にかけて二人、ターゲットを捕捉し、午後三時近くになってから景子はようやく車をパーキングに入れた。完全にお昼を食べそこねた。今日はよく頑張ったから、今からでも何か美味しいものを食べさせてあげたい。そう思った。

 大輔は少し疲れたようで、助手席のシートにもたれたまま目を閉じていた。『M』の拡大に伴い犯罪は凶悪化している。犯罪者の脳波も、より強力なものになっているのだろうか。

「店に入る?それとも何か買ってこようか」

 声を掛けると大輔は薄く目を開け、首を振った。

「食べて来てください。僕はここで待ってます」

 そう言ってまた目を閉じてしまう。

 ドリンクゼリーと、大輔の好きなスイーツを買ってきてあげよう。そう考えて景子は車を降りた。


 交差点に出て、角のコンビニで新発売のスイーツを買う。飲み物は、ほうじ茶が合いそうだ。ゼリーとサンドイッチも籠に入れ、レジを終えて外に出た時、以前ここに来たことがあるのを思い出した。初めて大輔が倒れるのを見た時だ。あの時、班長は大物が釣れたと言っていたけれど。

 顔を上げた景子は、目の前に立つ男の顔を見て息を呑んだ。

「あれ?以前お会いしましたね」

 三十代半ばの優しい顔立ち。外回りの営業マンの姿をした男は、景子に屈託のない笑顔を向けた。

 ターゲットは調査部により確保された筈だ。もしかして人違いだったのだろうか。まさか、そんな訳はない。大輔が間違えるなど有り得ない。もしかして治療を終えて出所したのか。頭の中で様々な思考が入り乱れた。男が再び微笑む。

「あの後、大丈夫でしたか」

 男性の口調は気遣いにあふれていた。こんなに優しそうな人が猟奇犯罪などに手を染めるものなのだろうか。

「あの人は、今日は一緒ではないのですか?」

「いえ、車にいます」

 尋ねられて、景子はつい答えてしまった。

「そうですか」

 男の声が聞こえた途端、瞼の裏に火花が散った。

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