第2話

 朝八時から夕方の五時まで、景子は大輔を助手席に乗せて車で街中を走った。コンピューターが作成した走行ルートに従い、県をまたいで移動する。昼になれば、指定されたパーキングに車を停めて適当な店で食事をとる。「昼食は栄養のあるものを食べさせてやってくれ」上司からそう言われて法人用クレジットカードを渡された。

 食事の後は街中をそぞろ歩き、また車に戻る。治験ちけんがあるとのことで、六時には必ず帰るように言われている。法定速度を守って指定ルートを走りながら、微かな苛立いらだちが湧くのを景子は感じた。黒髪のかつらで変装した助手席の人形は何も言わず、黙って目を閉じていた。

 退屈とも思える一日が過ぎ、二日目の夕方にそれは起きた。

「停めてください」

 突然、大輔が口を開いた。急いで路肩に車を停め、景子はドアを開けた。緊張した面持ちの大輔と並んで道路を歩く。人込みの中を通り過ぎ、大輔は小さな定食屋の前で足を止めた。

「入ります」

 勢いをつける様にそう言って、大輔はのれんをくぐった。

 中には十人近くの客がいた。薄暗い店内でウィッグを着けてはいても大輔の姿は目立つようで、いくつかの好奇の視線が向けられた。

 二人は入り口近くのテーブル席に座った。年寄りの店主が注文を取りに来る。

「きつねうどん二つ」

 怪しまれないように客を装い、景子は声を潜めた。

「どこ?」

「カウンターの奥から二番目。黒い服の人です」

 大輔が答える。微かに声が震えている様に思えた。小型カメラの映像をスマホで確認し、動画を撮影する。送信完了のメッセージが出た。

「はい、きつねお待ち」

 テーブルに置かれたうどんに、大輔は手をつけようとしなかった。黙って景子が食べ終わるのを待っているように見えたが、突然立ち上がり、店を出ていく。

「ちょっと、待って」

 テーブルに千円札を置き、景子は急いで後を追った。

 路肩に停めた車の前でようやく追いついた景子は、ドアの横でしゃがみ込んでいる大輔に駆け寄った。

「気分が悪いの?」

 顔が真っ青だ。背中をさする景子に大丈夫ですと小さな声で答え、大輔は立ち上がろうとして又しゃがみ込んだ。

「帰りましょう」

 大輔を後部座席に寝かせ、景子はアクセルを踏み込んだ。


「心配するな。大した事ない」

 ストレッチャーに乗せられて処置室に入っていく大輔を凝視する景子に、白衣の男性が声を掛けた。先日、景子を突き飛ばした医師だ。

「ちゃんとメンテするから、安心してくれ」

 機械の修理をするような口調に、景子はまた少し不快になった。


「一週間で六人か。なかなか優秀だな」

 上司=六課長兼特殊医療班長は、そういって景子に笑顔を向けた。

 調査部と対策部は各課の中で幾つかの班に分かれているが、医療部だけは異なる。五課には医療班、六課には特殊医療班のみが存在し、後は、医師・看護師・医療技師等、職種としての分割となっている。そして第七課については極秘とされており、実態を知るのは上層部だけと聞いている。

「ドールもあれから体調が安定しているようだし、大丈夫そうだな」

「ドール?」

 何の事ですかと尋ねた景子に、班長は少々バツが悪そうな表情を浮かべた。

隠語いんごだよ。分かるだろう」

 陰口なのだろうと思った。ドール=人形。日下部大輔の事だ。名前と年齢しか見られないのは景子だけではないのだろう。出自の分からないものに不安を抱くのは誰でも同じだ。しかも傷ひとつ付けてはいけないVIPと来ている。忌避感きひかんを覚えても仕方がない。少しだけ大輔が不憫ふびんに思われた。

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