番外編

Crybaby doll

第1話

 精巧せいこうにつくられた人形だと思った。幼い頃に買ってもらえなかった高価なビスクドールにも、絵本で見た妖精の姿にも思えた。目の前をストレッチャーに乗せられて運ばれていくそれは余りに美しくて、景子は狭い廊下に立ちすくんだまま動けずにいた。

「どいてくれ!」

 医師と思われる男性が景子を突き飛ばした。周りの職員に怒鳴る。

「徹底的にメンテしろ。傷跡ひとつ残すな!」

「何で俺が担当の時に運ばれてくるんだよ」

 小さくぼやく声を残して、処置室のドアは閉まった。


 課長席の横にある壁のカレンダーは、まだ七月のままになっていた。ブラインドの隙間から午後の強い日差しが差し込む。

「本日付で第六課特殊医療班に配属となりました、音無景子おとなしけいこです。宜しくお願い致します」

 そう言って頭を下げた景子に、上司は疲れ気味の笑顔を見せた。

「調査部からの異動だったな。いきなり、驚いただろう」

「はい。……あの」

 あの患者は誰ですか、との問いに、上司は少し口元を歪めた。

「あのお人形さんな」

「人形なんですか」

 納得しかけた景子に、上司は「違うよ」と笑って手を振った。

「生きた人間だ。ある意味VIPなんで、扱いが難しいがね。君には彼のお守りをしてもらう」

「……はあ」

 不得要領ふとくようりょうな顔をしていたのだろう。上司はなだめる様に景子の肩を叩いた。

「心配するな、本人は素直ないい子だ。よろしく頼むよ」


 警察病院での研修を終えてすぐに、景子は『M』対策委員会調査部に配属された。委員会には調査部・対策部・医療部の三つの部門が存在する。その下に一課から七課まで七つの課があり、それぞれが幾つかの班に分かれている。そして医療とは掛け離れた調査部の仕事で、景子は『M』によって壊されていく人々の姿を目の当たりにした。医大を卒業して六年、景子は今年で三十歳になる。ようやく希望が叶って医療部に配属された訳だが。

 人形のお守りが私の仕事?

 休む間もなかった日々を思い出すと、六課は平和にすら見えた。人気のなくなった静かな廊下の先にある処置室の扉を、景子は複雑な気分で眺めた。


 顔合わせは翌日になった。

日下部大輔くさかべだいすけと申します。よろしくご指導たまわりますよう、お願い致します」

 そう言って『お人形』は、景子に向かって丁寧に頭を下げた。

「よろしく」

 短くそう答えて、景子は目の前の美少年を眺めた。陽に透けて輝くプラチナブロンド。きめ細かな白い肌に映える艶やかな黒い瞳と、細い鼻梁の下の小さな赤い唇。美しい。それ以外に形容のしようがなかった。正確には少年ではない。履歴書には二十歳とあった。しかし雰囲気がとても幼く感じられるのは何故だろう。「特殊医療班協力者」というタイトルの下の、名前と年齢以外がすべて非表示となっていた不自然な履歴書を思い出し、景子は急に不愉快になった。「ある意味VIPなんで」上司の言葉が耳によみがえる。何者なの、この子。


 日下部大輔は宿舎ではなく病棟の一室に寝泊まりしていた。ユニットバスと調度品も付いた特別室である。朝五時に起きてリハビリ室で太極拳のようなことをしているのを、監視カメラのモニター越しに景子は見た。ゆっくりとした動きが次第に早くなり、やがて目で追えないほどのスピードで技が繰り出される。舞踊ぶようを見ているようだった。シャワーを浴び、軽い朝食をとる。その後はいろいろな検査を受け、日によっては一日処置室にいる。ふらつきながら、時にはストレッチャーで病室に戻り、夜九時には部屋の灯りが消えた。

「ここ暫くはこんな感じだ。明日から、昼間は屋外での任務となる」

 監視カメラの録画映像を止め、上司は景子に向き直った。

「外に出て大丈夫なんですか?」

 景子は尋ねた。あの髪と白い肌は特別なものに見えた。紫外線は禁忌ではないのか。

「検査結果を見る限り大丈夫だそうだ。データが少なすぎて詳細は、よく分からないらしいが」

 画面にはリアルタイムの映像が映っている。ベッドに腰かけ俯いていた大輔が、ふと顔を上げた。

 監視カメラ越しに目が合い動揺する景子に、班長は気だるげに声を掛けた。

「まあ、仲良くやってくれ」

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