第49話 誰かが僕を狙ってる

「空気が……抜けた?」


 船長はそう呟くと、僕のベストを凝視している。


「い、いや。確かにあっちゃいけないことですけど、事故の原因としてはよくあることじゃないんですか?」

「竹中くん、お客様を全て船にあげてくれないか。陸に戻って、装備をチェックするから」


 あまりに蒼白になっている船長を見ていると、こちらも心配になってきた。


「何があったんですか?」

「うちで採用しているのは、全てフローティング型のベストです。そんな事故が起こるなんて、ありえない」

「いったいどういうことなんだよ!?」


 焦れた啓介けいすけと三井くんの横で、関田せきたさんだけが船長と同じような顔になっていた。


「……フローティング型っていうのは、水に浮く素材がベストの中に仕込まれてるものなの。だからちょっと穴が開いたくらいで空気が抜けるなんてありえない。もともと中に、空気なんかないんだから」


 突起物や浮遊物の多い磯辺では、事故の起こりにくいフローティング型を使うのが鉄則なのだそうだ。しかし、僕のベストは確かに中から空気が抜けていた。ということは。


「誰かが、空気が中に入ってる膨張型のベストと入れ替えたんだよ。見た目がそっくりなのを選んで、事故が起こる可能性が高くなるようにして」


 関田さんの推測を聞いて、僕はぞっとした。それは本当に──掛け値無しの、事件ではないか。今になってようやく、恐怖が足下からこみあげてきた。




 船長からの連絡を受けて、全てのシュノーケリングツアーは即刻中止となった。全ての船は港に戻って装備を確認し、その結果を警察に報告した。現地の警官は十名ほどしかいないため、突然の事件に困惑している様子だった。僕たちも事情を聞かれたが、大して報告できることはなかった。


「昨日の夜のチェックでは異常なかったって、スタッフの人は言ってるみたいだけど……」


 その言葉を信じるなら、昨日の夜から今日の朝までに、用具置き場ですりかえられたことになるが……監視カメラにはその決定的な瞬間は映っていなかった。


「本当に、申し訳ないことをした」


 その日の夕方、僕には会長直々に丁寧な謝罪があった。大柄な彼が直角に近いほどのお辞儀をしているのを見ていると、なんだか変な気持ちだ。


「顔を上げてください。結果的に、無事だったんですから」


 僕が言うと、勝一郎しょういちろう爺さんは般若のような顔をみせた。


「……孫の大事な友達に、このような仕打ち。獅子王ししおうグループ全体に喧嘩を売ったに等しい。許さぬ、絶対に許さぬぞ。おい早乙女さおとめ、さっさと警察のケツを叩いてこぬか」

「はい、旦那様。すでに窃盗罪と思わず、殺人未遂として厳重な捜査をするよう伝えてあります」


 爺さんの隣にたたずむすらりとした老人が答えた。彼は執事のようだ。


「犯人がはっきりするまで、ダイビングやシュノーケリングのツアーは一時休止せざるを得んな。海の中で何かあったら、本当に取り返しがつかん」

「すでにインストラクターたちにも申し伝えてございます」

「うむ、相変わらず仕事が早いな。他の備品にも瑕疵がないか調べておけ」


 爺さんはうなずくと、僕たちに向き直った。


「すまんが、今できる報告はこんなところだ。続報が入れば、すぐに伝える」

「ありがとうございました」


 会長が立ち去ってから、部屋の隅にいた啓介が大きくため息をついた。


「あーあ、せっかく楽しい集まりになるはずだったのになあ……誰だよ、余計なことしやがったのは」

「それを今、警察が調べてるんだよ」

「明日のヨットツアーも中止になっちまった。あーあ、残念」

「僕らの浅瀬シュノーケリングも、ナイトツアーも中止だってさ」


 とりあえず行われているのは、日中に大人数で行われるツアーだけだ。チェックの結果、島にある車には異常がなかったためらしい。しかしそれでも、コースに多数の変更があったという。


「中西が予約してた歴史探索ツアーは大丈夫みたいだから、お前も一緒に行くか?」

「……うーん、どうしようかな」


 あの事件、まさか僕を狙ったなんてことはないと思うが……それでもホテルの部屋に一人いるより、みんなと一緒にいたほうが安全かもしれない。


「じゃあ、僕も参加するよ。渚沙なぎささんも落ち込んでたから、誘って一緒に行こうかな……」


 ツアーの件があってから渚沙さんは元気がなく、今日の食事もルームサービスですませると言っていた。僕たちも結局それに付き合うことにしたから、ラウンジに行っているのは中西くんだけのはずだ。


「そっちは姉御が声かけてるよ」

「さっすが」


 僕はベッドに倒れ込みながら、ぼんやりと指輪のことを考えていた。ロマンチックな渡し方、というのは諦めた方がいいだろう。とりあえず明日のツアーの時に、事情を説明してサクッと渡してしまおう。いつまでも自分のせいだと気にせず、早く元気になってほしいもんな。


「とりあえず、ルームサービスのメニュー決めようか。さすが高級ホテル、美味しそうなものがいっぱいあるよ」


 ビーフステーキにガーリックライスのセット、特製のカレーライスにパスタ。食後のホットケーキやフレンチトーストも美味しそうだ。そろそろ注文するか、と室内電話を持ち上げたところで──部屋のドアが激しくノックされた。


「だ、誰?」


 おそるおそる扉を開けると、ユカがそこに立っていた。彼女はスマホを握り締めて、蒼白な顔になっている。


「どうしたの、ユカさん。捜査のことで、何か言われたの?」

「……私じゃない」

「なに?」

「私じゃないの。信じて」


 ユカが差し出したスマホの画面には、信じられないものが映っていた。シュノーケリングのマスクをつけてぐったりしている僕と、それを助ける女インストラクター。それがやや上からのアングルで、ばっちり写真におさまっている。


「これ、今日の事件だよね……」


 その写真には、こんなコメントがついていた。


『今日クルージングしてたら、同じツアーの子が溺れちゃってびっくり! なんとあの、ラブラブカップルの男の子! インストラクターさんがすぐに助けてくれて、良かった~』


 僕はそれを見て、思わず顔を歪めた。




※今回のお話は楽しんでいただけましたでしょうか?

「一歩間違えれば死んでたじゃん」

「サプライズってトラブルでうまくいかないことあるよね」

「ユカって結局悪い奴なの?」

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