第48話 イルカの海には危険がいっぱい?
翌朝は快晴だった。相変わらず寝相の悪い
朝の八時半からクルーズ船が出発するため、僕たちは着替えて港で待つ。水着の上に羽織る上着とレギンス、シュノーケリング道具はレンタルができて助かった。
行きに乗ってきた小さなクルーザーに乗って、少し沖合にあるイルカの観測ポイントまで移動した。
「この季節、クジラはいないんだねえ。ちょっと残念」
「渚沙の力でも、さすがにクジラは無理か」
「でも、イルカも運が悪いと見られないみたいだからねえ。期待してるぞ、ラッキーガール」
「うーん、大丈夫かなあ……」
渚沙さんは苦笑いしている。今のところ天気も波も穏やかで、文句のつけようのない状態だった。
「見たいなあ」
うっとりと美しい海を見つめる渚沙さんの向こうで、何かが跳ねた。
「イルカだ!」
「嘘、見えなかった」
船上の客たちがざわつく。船はゆっくりとその方向へ近付いていった。
「すごいじゃん。流石だねえ」
他の人──特になぜか一緒に乗っているユカ──に聞こえないように、関田さんがつぶやいた。
「私の力とは限らないってば」
「じゃあ二人の力?」
「うーん、そうかもね」
「イルカ見たいから、もっとくっついといてよ」
関田さんのほぼ強引な勧めによって、僕たちは並んで座ることになった。腰を落ち着けたところで、船長のアナウンスが聞こえてくる。
「皆様、運良くイルカの群れを見つけることができました。しかし、一緒に泳げるかはまだ分かりません」
イルカにも人間と同じように機嫌があって、こちらに親しげに近付いてくれることもあれば、すぐに潜ったり船を避けることもあるという。だから最初からいきなりシュノーケリングするのではなく、しばらく船上から様子を見るのだと船長は言った。
「それでは停船します」
船が止まると、イルカの鳴き声がすぐ近くから聞こえてきた。船の上からでも、周りを何匹かの個体が回っているのが見える。僕たちは後方のデッキにいたので、より近くにイルカを感じることができた。
「手が届きそうだなあ」
「三井、触っちゃダメって昨日の講習で言われたでしょ」
穏やかそうに見えるイルカだが、結構人間を噛むのだそうだ。
「ち、イルカの分際で」
「偉大なる海の王には頭を垂れるものだぞ」
啓介と中西くんが文句を言うと、海から顔を出したイルカが彼らに向けて思いっきり潮を吹いてきた。
「うわっ!」
ずぶ濡れになった二人を見て、イルカがキキキと鳴いて去って行った。……あのイルカ、本当に人の言葉が分かるんじゃないか。
「今日は機嫌良く遊んでくれそうなので、皆さんも海に入ってみましょう。その前に、必ずシュノーケリングベストを着用し浮力を確保してください。思わぬ事故で流されても、ベストがあれば浮いていられます。潜る方はウェットスーツを着用していただいていますが、必ず二人一組で行動をお願いします」
船長の声に従って、僕は体にぴったりつくようにベストを着る。渚沙さんがベルトを締めるのを手伝ってくれた。
その時、不意にカメラのシャッター音がした。ユカがニヤニヤしながらカメラ片手にこちらを見ている。
「はい、愛の共同作業はもっとくっついてやってよー」
「別にいちゃつくのが目的でやってるわけじゃありませんっ」
僕が抗議しているのにもかかわらず、ユカは何枚か写真をとっている。防水カメラらしく、波飛沫がかかっても彼女は涼しい顔をしていた。
「……早く準備しないと、潜る時間なくなりますよ」
「いいんだよん。私、イルカツアーなら何回もやったことあるから。今日は船上から、愛のカップルを見守る係」
ユカはそう言ってにやつきながら、僕たちが座っていた席に陣取った。
「じゃ、張り切って行ってらっしゃーい」
ユカの言葉を背中に受けながら、僕たちは海にしずしずと入った。潜れないので水面をぷかぷかと浮いているだけだが、もの珍しそうにイルカが近くを泳ぐのでそれだけでも楽しい。
水中に視線を向けてみれば、上級者たちがイルカの群れと並んで泳いでいる。イルカたちは突然の訪問者を受け入れ、時々興味深そうにその目をのぞきこんでいた。
回数を重ねて上手になったら、あそこまでできるようになるんだろうか。いっそダイビングの講習を受けるというのも、面白いかもしれない。
そんなことを考えていて、ふと顔を上げると──気づけば僕は、ずいぶんペアの渚沙さんから離れてしまっていた。知らない間に、船から遠ざかる流れに乗ってしまったらしい。
渚沙さんも気づいたらしく、僕に向かって手を振っている。大丈夫だ、と手を振りかえそうとして──僕は、自分の体が徐々に沈み始めていることに気づいた。
ベストに手をやって、はっとする。最初より、明らかにベストが縮んでいた。……もしかして、中の空気が抜けてしまっているのではないか。
まずい。管から水が入ってきたら溺れてしまう。焦って僕が体を動かしていると、だんだん手足に疲れがたまってきた。体力の限界が近付いてきていることを、本能的に察した。
まずい。休まなければ。しかし手足を動かさなければ沈んでしまう──背反する二つの事項に挟まれて、僕の思考はパニックになりかかっていた。最後の力をこめて、助けてくれと叫ぼうとしたその時──。
「落ち着いて!」
はっきりした大人の声がする。ウェットスーツの上にライフジャケットを着た女性が、僕の近くに来ていた。
「ゆっくり呼吸して。それから私につかまって。浮力は十分あるから」
隣に人がいる、というだけで僕の気持ちは落ち着いてきた。それからインストラクターに手をあずけると、彼女はすいすいと横に泳いでいく。
そのまましばらく泳ぐと、皆がいるクルーザーが見えてきた。波間に浮かぶ客たちが、僕の顔を見てほっとした顔になる。
「よかった、無事でしたか!」
船長が駆け寄り、僕を船上に引き上げてくれる。渚沙さんも関田さんも、啓介も中西くんも海からあがってきた。
「気分はいかがですか? 呼吸はちゃんとできますか?」
「……大丈夫です、ありがとう。渚沙さんも、みんなに知らせてくれて助かったよ」
「ううん、私が気付いた時には、もうインストラクターさんが近くに来てたの」
「え?」
僕が船長を見ると、彼は苦笑いをしていた。
「いや、ユカさんが見つけてくださって助かりました。彼は知らない間に離岸流に乗ってしまったらしい。あれ以上離れていたら、気づくのが遅れて大変なことになっていた」
船長がユカに向かって頭を下げる。ユカはにっと白い歯をみせて笑った。
「カメラのレンズを覗いてたら、誰か一人離れてるからさ。念のために船長に伝えて良かった」
「ありがとうございます」
本当に命の恩人だ。僕は深々と頭を下げた。写真の一枚や二枚、アップされたところで今なら許せそうである。
「まったく、ひやひやさせやがって」
「溺れるなら絶対三井だと思ったんだけどねえ……」
「僕も同感。賢い君がねえ」
「どんな人でも、自然には勝てないんだよ」
みんなの言葉を遮った船長が、僕に向き直る。
「しかし、手をばたつかせたり、助けてくれと無駄に叫ばなかったのは賢明だったね。みんなやりがちなんだけど、それをやると体が重くなるし、肺の空気がなくなって一気に沈んじゃうんだよ」
正直それをする余裕もなかったのだ、と僕は言いながら、渚沙さんの方を見た。
「ごめんなさい……私がペアだったのに……イルカばっかり見てて」
渚沙さんはずいぶん気に病んでいる。僕は彼女の側に寄って、肩をたたいた。
「気にしないで。僕もイルカしか見てなくて、知らない間に流されてたんだ。ジャケットの空気も抜けてたし……ぼーっとしてる間に何かに当たったのかな。それなのに助かるなんて、やっぱり渚沙さんはすごいよ」
その言葉を聞いて、船長が顔色を変えた。
※今回のお話は楽しんでいただけましたでしょうか?
「イルカスイム楽しそう!」
「なのに何故かホラーな展開!」
「船長は一体何に気づいたの?」
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作者はとてもそれを楽しみにしています!
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