第35話 彼女の笑顔を楽しみに

 二階のもう一つの店は、大人っぽい黒を基調としたデザインだった。さっきの店で判明した条件を伝えて、在庫のあるものを出してもらう。


「いかがですか?」

「うーん、ちょっと考えます」


 飾り気のない指輪の中央、ワンポイントにダイヤモンドを使ったデザインは悪くない。しかし画像では華奢に見えた指輪が、実際は想像より太かった。ちょっと渚沙なぎささんのイメージには合わない気がしたので、僕はまた店を出る。


「最後は一階か……」


 僕はわずかな希望をこめて、ショップに入る。正直、この店はできることなら入りたくなかった店だ。今あちこちに出店して勢いのあるメーカーだが、内装がピンク基調で、あちこちにバラの造花が見える。男としては、居心地が悪いことこの上ない。


 その上、こちらは雨だというのに何組か客がいた。親子とおぼしき女性二人組や、カップルから視線が注がれるのを感じて、僕は心持ち端っこに移動する。


「いらっしゃいませ。プレゼントですか?」


 店員もかなり若く、ピンクのワンピース姿だった。僕はどぎまぎしながら、条件を伝える。


「うちは正直、シルバーの方が数が多いんですけどね。お求めやすい価格が売りの一つなので」

「そ、そうですか」


 やっぱり最初の店に戻るか。そう考えたが、言い出すより先に店員が商品を出し始めてしまった。


「ステンレスだと、サイズの在庫があるのはこちらですね。あと、今はハワイアンジュエリーフェアをしてるので、このラインもあります」


 定番だというデザインには、リングの表面にぐるりと小さなジルコニアがついていた。ちょっと派手すぎるかな、と思いながら、僕は隣の商品に目を移す。


 途端、目が離せなくなった。輪を二つ重ねたようなデザイン。上は銀、下は青色の輪になっている。青地には浮かびあがるように波模様が刻まれ、銀地には曲線でイルカのシルエットが表現されていた。


「イルカ……」


 リゾートに行くと決まったとき、渚沙なぎささんはイルカが見られると喜んでいた。それなら、この指輪も気に入ってくれるかもしれない。


「あ、これいいですよね。今年の新作なんですよ」

「在庫ありますよね? これにします」


 僕があまりにあっさり決めたので、店員は驚いていた。一応他のも、と見せてもらったが、イルカのモチーフはなかったので僕の気持ちは揺るがなかった。逃がすものか、という勢いで会計をすませる。


「じゃあ、ご用意しますね。内側に無料で刻印を入れられますので、ご希望でしたら今日のレシートと一緒にお持ち下さい」


 刻印というと、内側に自分や相手の名前を入れるあれだ。数週間あればできるという。気恥ずかしいから、間に合ったとしてもやらないだろうな。そう思いながら、僕はあいまいにうなずいた。


「ありがとうございました!」


 店員に見守られ、まっピンクのショッピングバッグを持って僕は外に出る。袋にビニールをかけてくれていたが、叩きつけるような雨の中を帰ると、中に水が少し染みこんでいた。


「うわ」


 あわてて紙袋を捨てていると、帰宅に気づいた母が寄ってきた。


「やっぱりひどいことになったわね。タオル持ってきてあげるから、そのまま家に上がらないでよ」

「はーい……」

「だからやめときなさいって言ったのに」


 僕に文句を言いながら引き返しかけた母が、ふと下駄箱の上に置いてあるケースに気づいた。


「あら、これってまさか……ついに遠海とおうみさんに告白するの!?」


 気恥ずかしいので今まで言っていなかったが、ここでようやく僕は渚沙さんとの関係を明かした。


「まあまあ……」


 母はいつになく感じ入った様子で、何度もうなずいた。一時期は学校にも行けなかった次男が成長したことが嬉しいのだろう、と僕は推測する。


「お赤飯炊かなきゃいけないのに、小豆がないわ」

「母さん、それは何か別のお祝いじゃない?」


 それでも微妙に母のテンションが高いのは変わらず、何故かその日は炊き込みご飯の夕食になった。珍しいね、と父と兄貴が言う度に、母が僕にウインクしてくるのでえらく閉口したものだ。





彩人あやと! 遠海さんが迎えに来てくれたわよ!」


 思い出にふけっていると、不意に母の声が聞こえてきた。僕は慌てて荷物をまとめ、階下に赴く。


「おはよう!」


 元気に飛び込んでくる渚沙さんの笑顔は相変わらずかわいい。指輪をあげたら、これよりもっと喜んでくれるのだろうか。僕はそんな想像をして、薄く笑った。





※今回のお話は楽しんでいただけましたでしょうか?

「初々しくてよろしい」

「指輪の刻印って別れちゃうと困るよね」

「お赤飯は初潮のお祝いでしたっけ?」

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作者はとてもそれを楽しみにしています!

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