第34話 いざ指輪を買いに(なお外は土砂降り)
「婿殿。今日、駅前のモールで会える?」
特に予定もないので自転車を飛ばす。美波さんは僕より先に来ていて、フードコートの隅でポテトをもすもすと食べていた。
「もしかして、分かったんですか。サイズ」
「ん。直接の数字は分からないけど、手がかりになるものは見つけた。これ、覚えてる?」
美波さんはそう言って、けばけばしい赤色のパッケージを取りだした。リングキャンディ、と書いてある。
「ああ、台のところが指輪になってる飴ですよね? 駄菓子屋でたまに売ってる」
「その中に、大人でもはめられるサイズのやつがあるの。
美波さんは、今度はビニール袋に入った台座だけを見せてきた。
「これと同じサイズのをください、って言ったら、店員さんが対応してくれると思う。ショップには、サイズ見本があるしね」
「ありがとうございます、助かります! 渚沙さんは気づいてなさそうでしたか?」
「懐かしいって喜んでただけだったから、多分大丈夫」
そう言いつつ、美波さんの顔はちょっと疲れている様子だった。僕は怖々、何かあったのかと聞いてみる。
「いやさあ。このお菓子を手に入れるのはうまくいったけど、渚沙がなかなか左手の薬指にはめようとしなくて」
ここは結婚指輪のとこだから、ダメなの。そう言って譲らなかったという。
「渚沙さん……」
「まあ、もらいたい相手が決まってるからなおさらじゃないの」
僕は耳を赤くしながら、美波さんに向き直った。
「えっと、それで、どうやったんですか?」
「渚沙が昼寝してる隙にこそっとはめた。だから、このことは本人に言っちゃダメだよ。多分知ったら、怒るから」
「わかりました」
うっかり口を滑らせないよう、注意しなければ。僕は記憶に強く、それを刻みつけた。
「……さて、用は済んだね。そのかわりといったらなんだけど、一つ頼みたい」
そう言って、美波さんはスマホをこちらへよこした。また、株の取引画面が表示されている。
「あの、渚沙さんからどう聞きました? 僕自身は運が良くないんですよ」
勘違いしているのかと思って、僕は再度説明した。それを聞くと、美波さんはわずかに顔をしかめる。
「なんだ、そうなのか。渚沙は、君といるといいことが起こるとしか言ってなかったから」
聞いた時期は少し前で、
「でも、その不運が本当かどうかも知りたいな。試しに一つ買ってみない?」
「どうなっても知りませんよ?」
僕は結局、昔からよく知っているマルタフーズという会社を選んだ。冷凍ハンバーグが主力商品で、たまにお袋が弁当に使っていたから覚えている。なんとなく今から株価が下がる予感しかしなかったが、堅実経営と言われるここなら大負けしまい。
「よし。じゃあ、実験結果を楽しみに待とう」
美波さんは最後に楽しげな顔で帰っていった。僕はビニール袋をしっかりバッグの奥に入れて、自宅へ向かう。早く明日の準備をしたくて、心がはやっていた。
……なのに。
「すみません、この先で交通事故がありまして。迂回してください!」
最初の大通りで、さっそく警官に足止めをくらった。やっぱり、僕だけでは不運を呼び込む力の方が強いようだ。
翌日目を覚ますと、叩きつけるような雨が降っていた。普通の人なら、外出を諦めるような雨だ。昨日はあんなにカンカンに晴れていたというのに。
「僕の不運、絶賛継続中だな……」
夏休みでしばらく渚沙さんとの接触がないからか、今までよりもひどくなっている気がする。階段で滑ったりしないように、そろそろと降りて朝食をとった。
「母さん、天気予報見た?」
「今日は一日雨で、時々雷もあるそうよ。あんた、本当に出かける気なの? やめときなさいよ」
……途中であがったりしないだろうか、という淡い期待も打ち砕かれた。仕方無く、出かけるための準備を始める。明日に引き延ばしたところで、結局また何か起こりそうな気がした。
雨に弱いスマホなどの貴重品を、チャックつきのビニール袋にしまう。それと指輪の台座をナイロンのバッグに詰め込んで、レインコートと長靴を履いた。
「行ってきます」
「気をつけるのよ?」
不安そうに見送る母に手を振り、僕は歩き出した。視界も足元も悪く、足元で踏んだ水たまりから低い音があがる。ばしゃばしゃとそれを踏みながら大通りに出るまで、誰ともすれ違わなかった。
自転車なら十五分ほどのショッピングセンターに、倍以上の時間がかかって到着する。レインコートを脱ぐと、こもっていた湿気が抜けて一気に涼しくなった。
「さて、アクセサリー売り場は……」
目当ての店は一階と二階に点在していた。僕はまず二階に向かう。
「いらっしゃいませ」
まず入ったのは、大手チェーン店。ナンバーワンシェアだとうたっているだけあって、店内も広い。床も壁も真っ白で、その中に銀色のカウンターがでんとそびえていた。
僕がそこに近付くと、紺色のツーピースをまとった店員が話しかけてくる。
「何かお探しですか?」
「あの……ペアの指輪を……」
「たくさんございますよ。素材やデザインのご希望はございますか?」
一応デザインの希望は告げてみた。しかし素材まで気にしていなかったので、正直に予算を伝える。
「予算は三万円以内で、できるだけ水で錆びないものがいいんですけど……やっぱりプラチナは無理ですよね」
「そうですね。プラチナですと十万円前後のご用意になりますので、足が出てしまうかと思います」
やっぱりプラチナは無理だった。最初から諦めていたので、僕はあっさり引く。
「錆びにくい加工のシルバーはないんですか?」
「一応錆び止めのご用意もございますが……それでしたら、ステンレスはいかがでしょうか」
「え?」
聞き慣れない単語が出てきて、僕は首をかしげた。
「ステンレスって、あの台所の流しとかに使うあれですか?」
「ええ。硬くて傷がつきにくく、水や汗でも曇ったりしない素材です。その上サージカルステンレスなら、医療器具に使われるくらい金属アレルギーを起こしにくいと言われています」
「へえ」
「最近かなり人気なんですよ。お値段も、ゴールドやプラチナに比べればかなり控えめですし」
ステンレスなら、安いものなら一万円台前半から、高くても三万あれば十分いいものが買えると店員は言う。
「こんなに出てたんですか……」
「硬い分、細工はやりにくいので、どうしてもシンプルなデザインになってしまいますけどね。お客様のご希望なら、合うものが多いと思います」
「なるほど」
聞けば聞くほど、僕には合っているものが多いように思える。そう言うと、店員はいくつか商品を見せてくれた。
「リングのサイズはおわかりですか?」
「あ、ちょっと調べてほしいんですけど……」
僕はプラスチックの部品を見せながら説明した。店員は嫌な顔ひとつせず、奥から何か器具を出してくる。金属の輪っかがたくさんついていて、ぴったり合った輪が指輪のサイズと同じになるようだ。
「お客様は十五号で大丈夫ですね。お相手様は七号になるかと思います」
「へえ……」
自分がどうかは分からないが、渚沙さんはやっぱり細身なんだな、とわかった。適当に九号を選ばなくて良かった。
「気になるデザインはございましたか?」
「あ、じゃあこれを……」
僕は、表面に細かい蔦のような彫り目が入っているリングを指さした。これなら装飾があってもうるさすぎず、適度に華やかだ。
「在庫をお調べしますね」
そう言って笑顔で去っていった店員が、戻ってきた時には申し訳なさそうな顔をしていた。
「申し訳ございません、そのデザインは女性用七号の在庫がなくて。一週間ほど待っていただければ、ご用意できますが」
出発は四日後の二十六日、それも朝だ。間に合わないと考えた方がいいだろう。また僕の運の悪さが出た。
「ちょっと、彼女の誕生日に間に合わないので……」
「さようでございますか。他のデザインはいかがでしょう?」
見直したが、それ以外にぴんとくるものがなかった。申し訳ないが一旦他をあたることにして、店を出る。
※今回のお話は楽しんでいただけましたでしょうか?
「さすが不運まっしぐらの男」
「指輪の素材って色々あるんだな」
「どうせその株は暴落するんでしょう?」
など、思うところが少しでもあれば★やフォローで応援いただけると幸いです。
作者はとてもそれを楽しみにしています!
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