第15話 もう一人の漢

 僕が啓介けいすけに肩を貸しながらそちらへ向かうと、タブレットで写真を見ている人が多数いた。ジェットコースターに乗って回転しているシーンを撮影したもので、申し込みをすれば紙にプリントしてくれるそうだ。


「自分を探すのも大変そうだな……」


 タブレットを見る啓介を冷やかそうとしたところ、すぐにある写真に目が止まった。


 今にもこの世が終わりそうな顔──ムンクの「叫び」顔の啓介と、ニコニコの笑顔で映っている関田せきたさん。その左右の落差がすごすぎて、一瞬見ただけで脳裏に焼き付く写真だった。隣のカップルが静かにドン引きしている表情も味わい深い。


「……これ、俺?」

「いや、お前だよ……間違いなく……」


 啓介は本日二回目の、尊厳破壊を味わっていた。


「買おうかな……」

「関田さんは可愛いんだから、買えばいいじゃん」

「そうだな……隣のは俺じゃないと思えば……」


 啓介は現実逃避しながら、一枚二千円もする写真を買っていた。


 この値段なら関田さんは買わないだろうな、と思いながら女性陣に近付いていくと──なんだか不穏な雰囲気になっていた。


「ねえ、一緒に遊びに行かない?」

「女の子二人、こっちも男二人でちょうどいいじゃん」


 ナンパ男が、小蝿のようにぺたぺたと二人につきまとっていたのだ。渚沙なぎささんが困ったように「彼氏と来てますから」と言っても、全然諦めようとしない。


「あの野郎……」

「待て、誰か呼ばないと」


 僕も啓介もとても鍛えているようには見えないし、にらみのきく風貌ではない。男たちは日焼けしてガタイが良く、背も僕らより十センチは高かった。まともにぶつかり合うより、スタッフに間に入ってもらった方がいい。


「うるさいなあ。連れがいるって言ってるじゃない。あんたら、しつこいから彼女もいなくて、ナンパする羽目になるんでしょ」


 僕が啓介を抑えながら男性スタッフを探していると、先に関田さんの堪忍袋の緒が切れた。彼女の声はその場によく響いて、騒がしかったその場が一瞬静かになる。


「行こ」


 関田さんが渚沙さんの手を引いて歩き出そうとした、その時。背後から男の一人が手を伸ばして、関田さんの肩をつかんだ。


「てめえには聞いてないんだよ、ブス。そっちの可愛い子目当てで声かけてんのに、調子乗ってんじゃねえよ!」


 その言葉を聞いた途端、僕の隣にいた緑の塊が全力疾走を始めた。……僕は、止めなかった。


「その手を離せ、クソが」

「え?」


 いきなり横から出てきたマリモみたいな物体に、思わずナンパ男が固まった。しかし、正体が自分より小さい男だとわかると、またやに下がった笑みを浮かべる。


「お前、誰? ちっさいけどこのブスの弟?」


 彼氏とも友達とも言えない啓介は、一瞬ぐっと詰まった。それを諾ととった周りの男たちまで笑い出した。


「姉弟そろって変なの」

「そんな服着てなんでイキれんの? 恥ずかしくない?」


 僕なら逃げ出したくなるような罵倒の言葉。しかし啓介はその中で、傲然と顔を上げてみせた。


「うるせえ!! 俺の悪口は許しても姉御の悪口は許さん!! 弟が姉御守って何が悪い、当たり前のことだろうが!!」


 その気迫のこもった声が、周囲のざわつきをかき消した。子供たちまでしんとするが、頭に血が昇っている啓介はそれに気づいていない。


「あとな! 肩から手を離せ!! 姉御の肩はソフトボールやるための大事なもんだ、傷でもついたら呪ってやるからな!!」


 ああ、そうか。何よりも。それが一番我慢できなかったのか。僕の中で、すとんと何かが附に落ちた。


「三井……」

「はあ!? 知らねえよ、ソフトなんか。それよりお前のせいで、俺の気分サイアクなんだけど。どうしてくれんの?」


 関田さんが何か言いかけた言葉を、男が遮った。その時、僕も動く。


「どうしてくれる、とはこちらの台詞ですが。公共の場で暴力沙汰はご遠慮下さい」


 僕と一緒にいた背の高い男性スタッフが声をかけると、男たちは一瞬鼻白んだ。


「暴力じゃねえよ、生意気な年下に口の利き方を教えてやってんだよ」

「お前は黙ってろよ」


 反論する男たちに、スタッフはゴミを見るような視線を向けた。


「これ以上他のお客様にご迷惑をかけるようなら、警察が来るまでスタッフルームで待機いただくことになりますが」


 スタッフが警察の名前を出し、警備員も待機しているとわかると、男たちの顔が変わり始めた。しかも物好きな人は、面白がって動画を撮り始めている。ここが撤退のしどき、と判断するくらいの頭はあったのだろう。


「ちっ。行くぞ」


 男たちが踵を返しかけたとき、今まで僕の隣に立っていた渚沙さんが口を開いた。


高橋昌人たかはし まさとさあん」


 不意に呼ばれた名前に、関田さんの肩をつかんでいた男がぎくりと立ち止まる。


「高橋昌人さあん。住所は……」


 渚沙さんは全く動じずに、大きな声で同じ台詞を繰り返した。しかもその先を言おうとする。


「人の名前、何度も呼ぶんじゃねえよ!!」


 男は反応してしまってから、しまったという顔になったがもう遅い。渚沙さんはにこにこしながら、男に財布を差し出した。


「さっき動いたときに落としたので、返そうと思ってました。お名前と住所、免許証ではっきり分かってよかったです! 間違えるといけないので、最後までもう一回言いますね!!」


 渚沙さん、怖すぎる。こういう連中がイキるのは自分が安全だと思っているからで、それを剥がれると弱いということをよく分かっているのだ。さすがシュワちゃんの娘。似てない親子だと思ってたけど、内面はばっちり受け継がれている。


「やかましいわ!!」


 男は渚沙さんの手から財布をひったくると、さっきまでの勢いが嘘のように背中を丸めて逃げ出した。


「あー、面白かった」


 渚沙さんはそう言ってくすくす笑った。


「大丈夫でしたか? 対応が遅れて申し訳ありません」


 スタッフが関田さんに声をかける。赤い顔をした彼女はややあってうなずいた。


「は、はい。腕も動くし、大丈夫です」

「こっちのお嬢さんも無事でよかった。ああいう輩は変なものを持っていることもありますから、我々に任せてくださいよ」

「はあい、ごめんなさい」


 注意された渚沙さんはしおらしく謝ってみせた。その注意が終わると室内は以前の雰囲気に戻り、そこここから「面白かったねえ」という声まで聞こえてきた。喉元過ぎればなんとやら。


「……ところで渚沙さん。僕、たまたま素敵な君を撮影していたら、奴らの行動の一部始終も動画に撮っちゃったんだけど。何か活用方法あるかな?」


 態度を取り繕い、しらばっくれたら出そうかと思っていたのだが、相手が想像以上にバカだったので出す機会がなかった。


「あ、じゃあ私に送って。今日こんなことがあったよって、お父さんに報告するね! 何が起こるか楽しみ!!」


 僕たちは視線を合わせ、フフフと微笑みあった。


「……お前ら、全然不釣り合いに見えるけど、同類なのかもな……」


 啓介がその様子を見て静かに引いていた。人聞きの悪い。僕たちはあくまで、さっきあったことの報告をしているだけなのに。


「みんな、ありがとう。スカっとしたよ」


 関田さんがようやく笑いながら話しかけてきた。それでも、耳のあたりがまだちょっと赤い。


「写真も高かったし、もう出ようか。関田さんは買わないでしょ?」


 僕が言うと、彼女は何故か言いよどんだ。


「……それなんだけどさ、買おうかなと思って」

「え!?」


 一枚二千円の写真だ。普段の彼女なら、間違いなくぼったくり判定するに違いない。それなのに、買うとはどういうことか。


「弟がちょっと頼もしくなった記念、かな」


 そう言って関田さんはちらっと啓介を見た。


「さっき、カッコ良かったぞ」

「…………」


 ダメだ、何か言うべきこの場面で啓介がフリーズしている。完全に脳味噌の限界を超えてしまったようだ。仕方無い、また尻ぬぐいしてやるか。


「まだ啓介の着替え買ってなかったよね。僕たちちょっとメリーゴーランドとかに行ってくるから、その間に見てやってくれない?」

「うん、いいよ。どこで集合する?」

「パレードの始まる時間に、中央広場で」


 こうして話はまとまり、関田さんがふらつく啓介を引きずるようにして先に出ていった。その後ろ姿を見ながら、渚沙さんが微笑む。


「分かった気がする」

「なにが?」

「彩人くんが『尻ぬぐい』する理由」


 ああ、そうなんだ。あいつは九十九パーセント、いつもズルをすることを考えがちで、無駄に格好つけようとするしそのくせ失敗するけれど。残りの一パーセントは、妙に憎めない奴なんだ。


「最初はああ、珍しくついてないかなって思ったけど……今となっては、これで良かったんだと思う」

「渚沙さんの運を、啓介の素行の悪さが食ってるんじゃないかな」


 そう言うと、渚沙さんが僕の隣で声をあげて笑った。





※今回のお話は楽しんでいただけましたでしょうか?

「渚沙さんの意外な一面」

「啓介がどうしてかまともに見える」

「ここにシュワ父さんがいたら……」

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