天狗の双六 弐

 ◇ 天狗の双六 弐 ◇


 残された男と鳥追女とりおいめは息を詰め、腰がえたようにへなへなと雪の上に座りこんだ。女の持っていた提灯ちょうちんが湿った雪の上に落ち、ジジっとわずかな音とともにその火が消えた。しばらく気が抜けたようにひょろりとした男が消えたちゅうを見ていたが、彼が戻って来る様子もない。 


 近くの梢からぽすりと雪が落ち、その音に驚いて二人は我に返った。いつの間にか鳥がさえずり、辺りは明るく木立の上から日の光も差していた。体格のいい男がゆっくりとした動作で立ち上がった。


 濡れていた手を腰で拭き、鳥追女とりおいめのすっかり血の気が引いて白く冷たくなった手をグイと引いて立ち上がらせた。女は「あわ、あわ……。」と口を動かしたが、言葉にならない。男に引かれるまま、女はえてもつれそうになる足を急かせて雪の山道を下った。


 木立が切れ山道を下った先の一本松の木陰に藁屋根の茶屋があった。あの恐ろしい木立に入る前、三人がたまたま寄った峠の茶屋とよく似ていた。茶屋の前には「団子」と書かれた筵旗むしろばたがとけ残る雪景色の中、風に吹かれてのどかにひるがえっている。


 山道をヨタヨタと下りてきた男と女は茶屋に入ると、店の隅に倒れ込むようにうずくまった。鳥追女とりおいめはがたがたと震え、歯の根も合わないようにうめき声をあげた。男は店の竹を組んだ壁の隙間からから、恐る恐る今来た道を振り返る。あの得体のしれない声の主が追いかけてきているのではないかと恐ろしくてならないのだ。


「おやおや、旅の方。

一体どうなされたかね?」


 店の奥から一人の爺様じさまがひょっこりと出てきた。酒でも飲んだのか妙に赤ら顔の爺様じさまで、年期の入った前掛けの腰に破れ団扇を差していた。茶店の隅の七輪からは炭のはぜるパチパチという音と、網に乗せられた団子の焼ける香ばしいいい匂いが漂ってくる。


 店の隅で身を隠すようにしている二人に、爺様じさまが湯気のたつ白湯とあぶりたての団子に甘い蜜をかけたものを勧めた。受け取った体格のいい男が、なかなか動けない女の冷たい指を無理に広げて熱い白湯の入った湯呑みを持たせた。


 女は熱い白湯をふぅふぅと吹いて少しずつ喉に流し込んだ。温まった胃の腑から怯えが消えていくようだった。


 やっと落ち着いた二人が山道での恐ろしい出来事をポツポツと話し始めた。爺様じさまはそれを黙って頷きながら聞いていたが、全てを聞き終わるとニヤリと笑ってこう言った。


「旅の方。それはお山の烏天狗からすてんぐの仕業ですなぁ」

「からす、てんぐ?」

「山に入る前、峠の茶屋に寄りんさらんかったかね?」


 爺様じさまの問いに二人こくこくとは頷いた。


「寄りました」

「アタシたち、たまたまそこで一緒になったんです」


 爺様じさまはうんうんと頷くと話しを続けた。


「今の時期のことだ。

茶屋で鳥避け祭りの話しでもされたんじゃないかね」


 男は少し考えて、女と顔を見合わせた。


「ああ、しました。

茶屋で何をしに山を越えるのかと三人で話しました」

「アタシは、ご覧の通り鳥追女とりおいめで。

このお方は祭りで冷たい水をかけられる鳥に扮すると。

あとの一人は鳥と鬼を追う祭りに使う何かを求めに行くと、言っていました」

「ほうほう。なるほど。

ソレでしょうなぁ。

アノ烏天狗からすてんぐはどういう訳か、自分はすべての鳥の守護神だと思っておりますでな。

鳥を追うなどと聞くと、ソイツを懲らしめたくなるんですわな」


「そうなんですか。

でも、ご店主てんしゅ

三人ともそれぞれ鳥追いのまつりに関わるんですが、何でワシら二人は助かったのでしょう?」


 少し居ずまいを正して男が尋ねた。盆に湯呑みを乗せて、爺様はよいしょと立ち上がりながらニヤニヤとした。


「ヤツに双六を持ち掛けられましたでしょう。

お二人の賽子サイコロの目は何でしたかな?」

「「たつでした」」

二人は揃って答えた。


「ソレですわな。

烏天狗からすてんぐの苦手は、水。

たつとはりゅうりゅうは水をつかさどりますで」

「で、では?

もう一人の仲間は?

サイの目はさると」

「心配なさるな。

アヤツは命を取ったりはせんですわ。

その旅人も数日したら戻されます。

ま、半年分ほどは命を削られましょうがな」


 二人は彼の無事を安心すればいいのか、半年削られる命の心配をしたほうがいいのかと、顔を見合わせた。三人目の旅人の消息は気になるが、そうは言ってもお互い急ぐ身である。爺様じさまの「数日で戻る」という言葉を信じ、気を取り直して先を急ぐことにした。

 

 深々と頭を下げて茶屋を出る二人の旅人に、お気をつけてと腰を屈めた爺様じさまは二人が雑木林の向こうへと曲がっていくまで見送っていた。


 そのあとぐぅんと背伸びをすると、なんと爺様じさまは人の身丈の倍ほどもある姿に変化へんげした。赤い顔、長い鼻、山伏の衣裳に羽の団扇を持った大天狗である。大天狗は一本下駄で地面をポンと蹴ると、背後の山へと消えていった。


「やれやれ、烏天狗からすてんぐのやつめが」

そう言って。



 三日後、ひょろりとした旅人は自分の里の自分の家の自分の布団の上に急に現れ、家族をたいそう驚かせた。その時、旅人は下帯一つに風呂敷包みの大根一本、形のいい流木を抱えていたという。


 「その包みは酒じゃねぇだと?

酒がねぇなら、ホントなら命を取るところだ。

でもなぁ、風呂敷の中が大根オシラサマなら仕方ねぇ。

大根オシラサマに免じて命はとらね。」


 顔のない大男にそう言われたと、ひょろりとした旅人は母親に話した。そのうえ、三日間双六をして過ごしたのだという。


「あの子は本当に物知らずだ。

どんな立派なものでも流木は流木。

大根一本と交換が相場だろうに。

よりにもよってあんな上等な衣裳べべと取り替えてくるなんて!

しかも双六をしていたと言うじゃないか。

あれはきっと賭けで負けたに違いないよ?

あんた、あんな子に商売を継がせるのかい?

ああ、わたしゃほとほと呆れたよ」


 息子の言行に呆気にとられた母親は、亭主にそう言ったそうな。



 ◇ 天狗の双六 おしまい ◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る