天狗の双六

小烏 つむぎ

天狗の双六 壱

 ◇ 天狗の双六 壱 ◇



 真冬の凍てついた山道に突然地響きのような声がとどろいた。


サイをふれ」


 その声は雪を被った木々のその上から聞こえるようであり、踏み荒らされた雪道の下から聞こえるようであり。山の端を巡るように続く街道の先から聞こえるようでもあった。


 居合わせた三人の旅人は震えながら身を寄せ合い、それぞれ声が聞こえたような気がする方向に目を凝らした。小正月が終わったとはいえ日が暮れるにはまだ早い刻限こくげんのはずである。それが、黒い布でも被せたかのようにみるみる暮れていく。怪しげな周囲あたりの様子に、三人は肌を粟立てながらお互いを見やった。


 昼前に峠の茶屋で一緒になった三人である。たまたま行く方向が同じであったので共に歩いているだけで、お互い面識はない。


 一人目の旅人は、鳥追笠とりおいがさを被り木綿の新しい着物を着て胡弓を背負った、独り立ちしたばかりの若い鳥追とりおいだった。小正月の祝いで村々の家を回り秋まで雀や烏が田畑を荒らさねよう祝い唄を門付かどづけで披露して、山向こうの里に戻るところだった。


 二人目の旅人は、二山越えたところにある生まれ在所の節分の火伏せまつりで加勢鳥かせどりに扮するため、道を急いでいた若い男だった。日頃人夫仕事でもしているのか背は低かったがたくましい体つきを擦り切れた苧麻からむしの着物で包み、防寒のため洗いざらしの端がほつれかけた手ぬぐいで頭を覆い使い古したみのを背負っていた。


 三人目の旅人は、誰より年かさだったが誰より怯え腰が引けていた。この男もまた、男の里で行われる鬼追い鳥追いの祭り・鳥備謝とりびしゃで飾られる鳥木とりぼくのために必要な、大きな流木を求めに山を越えようとしているのだった。真新しい菅笠すげがさ被ったひょろりとした体に綿でも入っているのか厚みのある上等な木綿の着物重ねて羽織り、染め分けの柔らかそうな手ぬぐいを首に巻いていた。その痩せた体に似合わぬ大きな背負子しょいこに藍染めの風呂敷に包まれたなにやら大きな荷物を乗せている。


 そうこうしているうちにも周りはどんどん暗くなり、先ほどまで見えていた山道の先も、空も、まわりの木々さえも見えなくなった。三人はますます身を寄せ合ってあたりを伺った。


「あ」


 女が何か思いついたように小さく声をあげた。ふわっと白い霧が口元から生まれた。

女は冷えて真っ赤になった指を器用に動かして、懐提灯ふところちょうちんといわれる携帯のための小さな提灯に火をともした。ぽぉっと小さな光が生まれた。

  

 そのぼんやりとした明かりの先に、何かチカリと光るものが宙に浮いていた。それを見ていた二人目の旅人が、何かに操られるように光の先の小さな塊に手を伸ばした。


 宙に浮いていたソレは小さな象牙色の十二面体の賽子サイコロだった。十二面にはそれぞれ十二支が彫りこまれている。


サイを投げろ」


 再び暗闇から大きな声が響いた。


 二人目の旅人は手の中でズシリと存在感を増した象牙色の賽子サイコロに戸惑いながら、闇に浮かぶ他の二人の白い顔を振り返った。顔を向けられた二人は、ハッと息を呑むと張り子の虎のように首を縦に振った。


 男は震える手で、十二面の賽子サイコロをふった。賽子サイコロは踏み固められた雪の上に落ちて、コロリと転がった。天を向いているのはたつの文字。


たつ


 何かしら感情が乗った声が空から聞こえた。  


サイをふれ」


 残りの二人はお互いに相手を賽子サイコロの方に押し出そうと揉み合った。はっはっと二人分の息遣いと雪道を踏む湿った足音が乱れる。揺れる提灯ちょうちんのわずかなあかりのなか、体格のいい男が先ほど投げた賽子サイコロを恐る恐る拾って二人に差し出した。


 背負子しょいこを背負った男が鳥追女とりおいめの背中に隠れるようにして逃げた。賽子サイコロは力仕事で鍛えた肉厚の男の手から、あかぎれのある女の手に乗せられた。


 鳥追女とりおいめはその賽子サイコロが今にもはじけるのではないかとおののきながら、手のひらでコロリと転がした。賽子サイコロは女の手甲てこうの紐にひっかかり、ポトリと雪の上に落ちた。天を向いているの文字は「たつ」。


たつ


 はっきりと残念そうな声が、頭上から聞こえた。


サイをふれ。」


 三度みたびの声にすでに賽子サイコロを振った二人がひょろりとした旅人のほうを見る。見られた旅人は両手を大きく振って腰を折るように逃げ回っていたが、鳥追女とりおいめが拾い上げた賽子サイコロを無理やり持たされて、「ひっ。」と息を吸って大人しくなった。


 白く柔らかそうな男の薄い手のひらの上で、十二面を持つ賽子サイコロ提灯ちょうちんあかりに鈍く光る。がっしりした男と鳥追女とりおいめが早く投げろというように何度も手を振ってみせた。ひょろりとした男はしばら二人を見て震えていたが、急に手の中の物が蛇にでも変化へんげしたかのように賽子サイコロくうに投げつけた。


 投げられた賽子サイコロっと布にぶつかったような音とともにちゅうに消えた。


サル


 明らかに笑いを含んだ声が、最後に賽子サイコロを投げた男のすぐ耳元で聞こえた。ひょろりとした男はその次の瞬間後ろ首を捕まれ、ちゅうに投げられ、消えた。



 ◇ 天狗の双六 弐 につづく ◇

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