第3話


 ここでトトラックの説明をしようか。

 性別女。種族ハイエルフ。見た目年齢16歳、実年齢1256歳。身長149㎝で体重32キロ。

 白い肌に卵型の小さな顔。つり目の大きなアイスグリーンの瞳に、鼻筋は通り。

 薄桃色の頬と、薄紅色の唇。目鼻立ちがハッキリ整った、まさに美少女。

 エルフらしい見目麗しい少女である。

 そんな彼女は、このファンタジー世界では魔術師だ。

 空気中に蔓延る「マナ」なる精霊を使役して、ありとあらゆる魔法を使う事が出来る。

 回復は勿論。水魔法、炎魔法、風魔法、地魔法、光魔法、闇魔法。

 魔術師は特に特殊な分類で、才が無ければ到達さえできない。

 トトラックはその中でも全ての魔法を習得した完璧超人であり。


 ――正直全く持ってどうでも良い話である。


 「わかった?私、ワインを造りたいの」

 「話が見えません」


 自分の紹介を終えたトトラックは当たり前の様に、ぽんと手を叩きマコトを見た。

 勿論だが、そんなもので伝わる筈も無く、マコトは死んだ魚のような目に怪訝さを交わせ返す。

 トトラックは顎をしゃくった。何をどこで間違えたか。


 「まずだけど、お前の事は分かったけど。いきなりワインの話が出ても付いていけない」

 

 指摘が一つ。トトラックは、瞳を宙へ向けて「あー」と納得。

 再びマコトを見た。


 「いや、魔術師って物に飽きちゃってね」

 飽きたのか。

 「適当にぶらぶらしてたら、実に面白い物を見つけたの」

 「……面白い物?」

 

 トトラックは頷く。


 「農家で見たワイン作りよ」


 ここで、またワインが出てくるのか。

 トトラックは続ける。


 「最初見たのは、大きな樽の中にブドウを入れてみんなで踏み潰していたところだったわ」

 「……それは、おれも良く見たことがあるな。……漫画で」


 マコトは現世の漫画の一ページを思い出して大きく頷く。

 トトラックも腕を組んで、うんうんと何度も頷いた。


 「何をしているのか、と思えば。ワインを造っているって言ったのよ」

 「初めて見たんですね。そこでワイン作り」


 トトラックは再度頷く。

 千年生きていたんだよなお前?その疑問は黙って置いた。


 「村人は言っていました。潰したブドウを樽に入れて一ヶ月から一年。置いておくとワインが出来るって」

 「へえ」

 

 トトラックは此処で、顎に人差し指を添えて首を傾げた。


 「でもさ、不思議に思った訳。なんでそれだけでワインが作れるの?……ってさ」

 「なんで……?」

 「村人に聞いても、誰一人答えられないの。だから自分で調べるしかなくてね。なんでワイン……お酒が作られるかって」

 「それは――」

 

 マコトが何かを言おうとしたが、トトラックが遮った。

 遮ったまま、大きな声を轟かす。


 「そう、ワインは《発酵》と言う作業によって、ジュースからアルコールに変化する!」


 いままでで一番の声であった。

 酷く興奮し、頬を染め上げ、長い耳をピクピク動かしながら。

 トトラックはマコトの前で両手を重ねて、続ける。


 「正確に言えば、酵母菌が糖類……甘味の元に成る物質をエネルギーにした結果、起る科学現象。炭酸ガスを造りアルコールを造り、ジュースと言うモノをお酒と言うものに作り変えてしまう。それがワイン作り。《発酵》と言う存在の一つ!」


 それはもう大げさに手を大きく広げて、うっとりと表情を変える。

 一度クルリとマコトに背を向けると、何かを想像し輝かしいばかりの笑顔。

 その様子は完全に魔に魅入られたアレの様だ。

 死んだ目のマコトを他所に、トトラックは再び振り返るとマコトの手を取った。


 「私は其処から《発酵》と言う術を知ったわ!まずはもっと《発酵》を知ろうと思って、貴方の世界からありったけの本を取り寄せたの!」

 「……取り寄せちゃったんすか」


 そう言えば、一年前に自宅に近くに在る図書から特定の本がごっそり消えたと言う話がニュースになっていたっけ。

 たぶん、どうやら、犯人は目の前の女であるな。違いない。


 「それで沢山発酵について調べたわ!」

 「……例えば?」

 「まず前提に、《発酵》とは微生物、目には見えない極小の生き物たちによってもたらされる、彼らの生命活動。この微生物が物質を粉々に分解して、新たに全く違う物質を作り上げる事を、《発酵》または《腐敗》と呼ぶ」


 マコトは興味も無くなったのか、付いてもいけないのか、頬を掻きながら「そうなんすか」なんて一言。

 トトラックは気にしない。まだまだ、話を続ける。


 「《発酵》と《腐敗》の違いは、身体に害をなすか、害をなさないかの違いらしいわね。身体に良いのが《発酵》、身体に悪いのが《腐敗》。面白いわ、同じ作用から生じた物なのに、食べられる物と食べられないモノが産まれるなんて!」


 楽しそうに歩みを進めながら、キラキラとした顔で笑う。


 「それも《発酵》にはたくさん種類があって。発酵によってつくられる物質が違う。《酢酸発酵》、《乳酸発酵》、そして《アルコール発酵》!まだいくつかあるのでしょう?もう、聞いただけで胸がときめいた!」


 とん……と音を立てて、彼女は再びマコトの前で止まる。

 キラキラした子供の様な瞳がマコトを映す。


 「だから、自分で作ってみたくなった訳!ワインも、酢も、チーズも、貴方の国の納豆や醤油、清酒にみりん。これら全てをね!どうやって、これらが《発酵》して造られるか気になったの!」


 ここでマコトも、彼女が言いたいことは何となく理解した。

 トトラックは続ける、続ける。


 「でも難しいのは流石に素人には無理。私の技術と周りの事を考えると、まずはワイン……それから酢が一番作りやすいと思ったのよ!」

 

 でも、と悩まし気に腕を組んだのも直ぐの事。


 「ただ、なかなか上手くいかなくてね」


 彼女は最後と言わんばかりに、にこりと笑って、マコトに指を差す。


 「だったら、助手兼毒見役を仕入れてしまおうと判断した訳。《発酵》文化が進んでいる地球からね!」


 ――本当に綺麗な笑顔であった。

 ここで、沈黙が流れる。マコトは酷く渋い顔を浮かべ頭を垂れる。

 そんな理由で自分は急に異世界に飛ばされたと言う事か。

 この女の知的探求の好奇心を発散させるために。


 そもそもマコトは《発酵》についてなんて良く知らないのだが。

 完全に毒見役で呼んだな、この女。

 そんな腹立たしい目で見ていたからなのか、訝しげな視線を送り続けていたからなのか。

 トトラックは、はっと気が付いたようにマコトの手に、自分の白い手を伸ばした。


 「ちゃんと報酬は用意します」

 「報酬……?」

 「はい」


 白い指がまた一本立つ。


 「この世界に居る間、衣食住は私が全て何とかしてあげる」

 「……それは、当たり前なのでは?」


 気にせず、次は2本目が立つ


 「私の《発酵》研究が終わったら、元の世界に帰してあげるわ」

 「……それは身勝手かつ、それも当たり前では?」


 気にも留めない。最後に三本目の指を立てる。


 「最後。貴方が欲しいと思える力……。魔法の類なら私はなんだってあげましょう」

 「俺が欲しい、ちから?」


 これには少し驚いた。

 だが、驚いたのは僅か。そんな事出来るのか?

 マコトは到底信じられないと言わんばかりの怪しい物を見る視線を送った。


 それに不服そうに目を細めたのはトトラックである。

 彼女は胸元に手を置く。


 「私は、これでも。まあ、一応魔法をマスターした魔術師よ?それぐらいなら、まあ、かんたんだと。まあ、思います」


 ――「まあ」が多い。

 流石にトトラックも、目を逸らし無気力に何かを面倒くさそうに考える。

 

 「分かった。これならできる保証がある」


 何かを思い出したように声を上げたのは同時の頃。

 またマコトを見上げ、彼女は言う。


 「此処に居る間は、欲しいと思った私の魔法を貸してあげるわ。どんな魔法でもあげる。帰る時には返して貰うけど」

 「――どんな、魔法でも?」

 「ええ、そうね。取り敢えず……」


 トトラックは、ちょちょいと指を振る。

 途端にマコトは光に包まれ、まばゆい光は身体の中に溶けるように吸い込まれていった。


 「今のは解毒魔法。どんな毒をうっかり飲んでしまっても、これで大丈夫」

 「……」


 いや、実感がわかないのだけど。

 そもそも、解毒って。本当に自分を毒見役にするつもりだな?

 キラキラした瞳のトトラックが近くのワイン……らしきものが入った瓶を手に近づいて来るのが見えた。


 マコトは大きくため息を付いた。

 断りたい……。

 断りたいが、トトラックを見て思う。

 話を聞く限り、自分をこの世界に連れて来たのはどう考えても彼女で、帰る術も彼女しかない。

 

 そんなもの、そんな条件のもと。彼が決めるべき答えは1つしか無いじゃないか。

 

 マコトはワインの入った瓶を手に取る。

 蓋を開けて、紫色の透明な液体を見つめて言う。


 「分かったよ。こうなりゃ、やけだ……。元の世界に居ても良いこと無いし」

 「あはは、重いんだけど?」

 「――いいよ付き合ってやるよ……」

 

 マコトの言葉に、トトラックは若干引き気味の笑みを浮かべた。

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