第八十二話 ユージーン先生の推薦

 翌日。メルティさんとの勉強会は午後からの予定だったため、僕は貴族学園にユージーン先生を訪ねに来ていた。

 目的は、今後の方針に関する相談。

 龍に向かって、必ず結晶塔に行くと、啖呵を切ったはいいものの、僕には行く方法がわからない。

 もちろん、北へ歩いて行けば辿り着くのだろうけど、正確な方向や距離を知らないし、着いても入れなければ意味がない。そこで、一度結晶塔の探索をしたことがあるという、先生を頼りに来たのだった。


「ふーむ、結晶塔に、ね。いや、なんとなくそんな気はしていたが、実際にそう言われると、感慨深いものがあるな」


 机の向こうで、ユージーン先生が唸る。あくまで、龍に興味があること、事情があってギーノに託されたから、という体をとって、彼には事情を話したが、もしかすると龍の炎のことも、気づかれているかもしれない。

 一息つくためにお茶を飲んだ。


 いや、ほぼ確実に、気づいているだろう。

 先生の前で、あれだけの魔法を使った。龍も顕現させた。それでも、詳しく問い詰められないのは、何故?


「結論から言えば、君では結晶塔に入ることができない」


「どうして、でしょうか」


「この国の決まりでね。北の結晶塔には、国王陛下の認可が降りていないと、入れないんだ」


 ──それはまた、随分と。

 この国にとって、いかに結晶塔が重要なのかがわかる制限の仕方だ。貴重な鉱物が出るとのことだが、それだけで直々に国王が出張るだろうか?


「王様に直談判……なんてできるわけがないですよね。どういう地位やコネがあったら、許可を求められるんですか?」


「基本、近衛騎士か宮廷魔道士として、実績を積む必要がある。冒険者ならば、Aクラスが最低で、君が知っているかはわからないが……銀鏡羅刹、レベッカくんは、プロミネンスライオンの討伐をもって、許可を出されたと聞いている」


 レベッカさんの噂の一つだった、ダンジョンの壁を剣で破壊した、というのは結晶塔のことだったようだ。

 僕に龍の気について教えてくれたのは彼女だから、可能性は高いと思っていたが、やはりレベッカさんも結晶塔を訪れたことがあるらしい。


「できるだけ、早く結晶塔に行きたいんです。龍の秘密を、どうしても突き止めたくて」


「君の求めるものは、行っても見つかるかはわからないけど、それでもかい?」


「はい」


「……まあ、若いうちというのは、どんなものでも目標があったほうがいい。すると、君が目指すべきは宮廷魔道士だろうね」


 王都騎士団の上位である近衛騎士を目指せ、とは言われないだろうと思っていたが、Aクラス冒険者よりも宮廷魔道士を勧められるとは。

 平民でも、なれるのだろうか?


「Aクラス冒険者ではなく、なんですね」


「レベッカくんも、冒険者登録をしてからAクラスに達するまで、五年かかったと昔言っていたよ。それでも異例といえるほど早いんだ。君が求める、今すぐ、には程遠いだろう?」


「そう、ですね」


 この世界に大切なものができ始めたとは言え、五年間、元の世界に戻れるかもわからない手がかりを求めて命を懸けろ、というのは、正直キツイ。

 すでに三ヶ月。何度も挫けそうになったのだ。これから一年だって、心折れずに戦い続けられるかはわからない。


「でも、宮廷魔道士なら、簡単になれるってわけでもないと思うんですが」


「もちろん、簡単ではない。基本的に彼らは、貴族学園の卒業生であり、新しく魔道士になろうという人材にも、同じくらいの教養と、なにより魔法の腕を求める」


「僕、平民なんですが……」


「知っているとも」


 疑問符を浮かべる僕に、ユージーン先生は鷹揚に笑った。


「だが、それは基本、という不文律に過ぎない。どこにでも例外はあるものだよ」


「例外……」


「君を、宮廷魔道士団所属、貴族学園嘱託教員の私が、推薦する。それなら、今日にでも見習いになれるさ」


 悪戯っ子のような表情。

 老人どもは反対するだろうけどね、という補足に、僕は一気に不安になった。

 先生が優秀なことは、共闘した経験から理解しているつもりだ。ゴリ押しともとれる推薦も、きっと通してしまうのだろう。

 結晶塔に行ったことがある、イコール国王のお墨付きである彼に、表立って文句を言える人は、いないのかもしれない。けれど、その人に推薦されて急遽魔道士見習いになった僕は、別だ。


 絶対、目の敵にされる。

 ぶるり、寒くもないのに鳥肌がたった。

 日本の学校で、いじめにあったことはないけれど、何度も何度もいじめ防止教室的な授業で、ビデオを見せられた記憶がある。

 あれを、自分に向けられると思うと、及び腰になってしまった。


「君の魔法は興味深い。平民だというのに、ストロブランくんに勉強を教えられるほどの教養もある。所作は……まあ、勉強して行けばいい。どうかな?正式な魔道士になれるのも、すぐだと思うが」


「ちょっ……と、考えさせてもらってもいいですか?先生のご提案は魅力的で、僕の目的に合致していることはわかってるんですけど、すぐに貴族の方々の中に放り込まれるのは、ちょっと勇気がいるので」


「そうかい。まあ、私は別に忙しくないから、決まったらいつでも声をかけてくれるといいよ」


 その後は軽く雑談をして、先生の研究室を後にした。

 カーム聖教のことを相談しようかとも思っていたけれど、考えることが多過ぎて忘れていた。また今度、話してみようと思う。



 軽く昼食を済ませて、王立図書館を訪れれば、メルティお嬢様はすでに過去問を開いて勉強を始めていた。

 先日、瑠璃の館を訪ねてきた時のことを思い出して、一瞬逡巡したが、仕事は仕事だと割り切って、僕は声をかけて、隣に座る。


「遅くなってすみません、お嬢様」


「……いえ」


 見れば、彼女は薬学の問題を解いているようだった。

 桃色の髪を耳にかけて、黙々とペンを動かす姿は、侵しがたい静謐さを湛えていて、なんと言えばいいのかわからなくなる。

 今日はなにを勉強するのか、読んでみたドラコ王国の古典文学の話、宮廷魔道士に誘われたこと──この間の、謝罪も。

 なんにも、言えない。


 結局、僕は借りた本を開き、全然集中できないままに、文字を追いかけ始めた。

 日が暮れ始めて、そろそろ切り上げましょうかと、僕が声を絞り出すまで、メルティさんが教えを乞うてくれることは、一度もなくて。


 そのことが寂しいはずなのに、ほっとしている部分があることに、驚いた。

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