第八十一話 宗教勧誘

 近くまで来たからと、騎士団に顔を出しに行ったフレディ、まだ色々と手続が残っているというユーリ、グレゴリーと別れ、僕は一人、瑠璃の館への帰り道を歩いていた。


 師匠に押し切られる形で、グレゴリー氏のことは呼び捨てにすることになったのだが、彼女と違い、最初から貴族だと思っていた人を、馴れ馴れしく呼ぶことはちゃんとできるだろうか。


 昼下がりの王都を、そんなことを考えながら歩いていた僕は、四番大通りと五番大通りの連絡通路に差し掛かった時、ある異変に気がついた。

 日はまだ高く、下層は馬車が行き交い、街は賑わっている時間だ。

 にも関わらず、僕が入り込んだ連絡通路は、あまりに静かすぎた。


「今朝、フレディと通った時は、普通の道だったはず」


 王都に来た時から気づいていたことではあるけれど、路地と呼ぶには、この連絡通路は広い。

 五階建ての建物に挟まれていても、暗い印象は受けないほどの道幅があり、何度か通ったここは、昼間であればもっと人通りがあるはずだ。

 けれど、今は僕の他に誰一人、歩いている人がいない。

 下層の喧騒は聞こえてくる。太陽は不自然な動き方をしていないし、道を間違えたり、おかしな空間に閉じ込められたりしたわけじゃ、ないはずだ。


 ならば、なぜ。この道に人通りがなく、通りに面した建物の窓が、全て閉め切られているのか。

 一向に理由は思いつかなかったが、異常なことに変わりはない。僕は足を早め、五番大通りに出ようとした。

 その時に。


「こんにちは」


 誰もいないはずの後ろから、声がした。


 ──僕は、幽霊とか、おばけとか、そういった類のモノが苦手だ。

 昔、おばあちゃんが夕涼みに聞かせてくれた怪談が、とにかく怖くて、リアルで、よく一人でトイレに行けなくなるくらい、怯えた。

 今は、頭ではそういったモノが存在しないことを理解している。けれど、幼少期に刻まれたトラウマというのは、なかなか克服できないわけで。

 魔法、不思議、なんでもありの異世界に来ていることが、拍車をかけていたのだろう。


 僕は呼びかけに飛び退き、振り向いて短剣を抜いた。


「ッ……!?人、か……」


「おやおや、怖がらせてしまいましたか。これは失礼しました」


 僕の目に映ったのは、果たして足のない黒髪の女、などではなく。

 真っ白なローブを身に纏った、好々爺だった。


「あ、すみません……驚いてしまって」


「いえいえ」


 皺とえくぼを作って笑う、老人の表情は、不思議とこちらの警戒心や、恐怖心を和らげるようで、思わず僕も笑顔を返しかける。

 そこで、ふと、思い出す。

 この道の異常な状態を。短剣を向けられても、全く動じた様子がない目の前の老人の纏う、雰囲気を。


「…………」


「どうか、しましたかな?」


 僕は、魔鋼の短剣を下さない。威圧感とか、殺気とか、そういったものを、自分から出す方法は、全然わからないままだけど、それでも僕なりに力を込めて、老人を睨む。

 今にも踏み出し、その首を掻き切る。そんな意思を込めて彼を見ても、好々爺然とした笑みは崩れないままだ。


 唐突に、悟った。

 この老人が、僕に接触するために、この誰もいない連絡通路を作り出したのだと。


「どこの、どなたですか」


 連絡通路は何本もあるとはいえ、そこいらの路地とは一線を画する広さを持つ道だ。

 それを、完全に人払いできる人物。普通に考えれば、民衆に、騎士団に、あるいは王国に、強い影響力を持っていることが予想される。

 僕の知らない魔法による効果かもしれないけれど。


「私は……そうですね。ビス、とでも呼んでいただければ」


 たぶん、偽名だ。名を名乗るまでの間が、それを教えてくる。

 ビス氏は、わざと僕に偽名であることをわかるように、名乗ったのだろう。それは、サーシア王女様と話した時にも感じた、隠していない隠し事、の言い方だった。

 僕は恐らく、測られている。


「ビス氏は、このような場所で、僕にどんな御用なんでしょうか」


 初対面の誰かに話しかける場所として、道端というのは、別段不自然なことはない。だからこの問いかけは、僕なりの牽制だ。


「アイゼン殿は、単刀直入な話がお好きなようですな。では」


 名乗った覚えのない名前を呼ばれる。会話をするためと、刃を下ろしてこそいるが、僕の手は短剣の柄にかかったまま。

 僕の中で、ビス翁に対する警戒度は、もはや初見の魔物に対するレベルに匹敵していた。


「貴殿にはぜひ、私と共に、上層の大聖堂へいらしていただきたく」


「聖堂……カーム聖教の、という理解で、正しいですか?」


「はい。もちろんですとも」


 ──こんなに早く、王女様の忠告通りになるなんて。

 僕の身柄を狙う、最も大きな勢力。ビス氏の白いローブは、確かに、修道服のようにも見えた。

 丁寧な言葉遣いではあるが、もしかすると、断った瞬間に暴力に訴えてくるかもしれない。こちらに実力を読ませない、底知れない空気を、目の前の老人は纏っている。


「どうして、と聞いても?」


「貴殿の魔法で、為していただきたい儀がございます。詳しくは、聖堂でじっくりお話ししますとも」


 僕が短剣を握る力を強めても、彼の穏やかな笑みは変わらない。

 怪しいところ、胡散臭いところはたくさんある。けれど、決定的に断れるほどの口実はない。それが、わかっているからだろう。


 どく、どく、心臓がうるさい。

 脂汗が滲む。危機感に、腹の底から熱は──上がってこなかった。


「せっかくの、お話しですが」


 異世界に来てから備わった、命の危険を感じた時に持ち上がる、龍の炎。

 もちろん、得体は知れないし、先日のハチェットイーグル戦で、僕は彼、あるいは彼女の力を拒絶した。

 けれど、それでも、僕はこの感覚をどこかで、信じている。


「僕は神様に祈ることが、今のところありませんので」


 神頼みをして、日本に帰れるなら、僕はとっくにここにいない。トゥルスライトにいたころ、祈らずに眠った日はなかったのだから。

 けれど、僕はまだ異世界にいて、故郷へ戻る算段は全くついていない。神様がいるとしても、僕を気にかけてくれるつもりがないのは、とうの昔にわかっていた。


「それじゃあ、僕はこれで」


 ざわり、背後で気配が動いた気がした。

 たぶん、僕が断った時に、強硬手段に出るための部隊が用意されていたのだろう。けれど、彼らの存在を感じても、炎は燃え上がらなかった。


「わかりました」


 僕の予感を証明するように、背を向けた標的ぼくへ向かって、ビス翁は、変わらぬ穏やかな声をかけてくる。


「またの機会に」


 五番大通りへと出た僕は、自分を包む喧騒に安堵しつつ。

 カーム聖教に、早急な対応が必要だと、思い直した。

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