第八十話 「恋人」のふたり

 この世界に来てから、宗教について聞いたことがなかったことがなかったため、少なくともドラコ王国は、日本と同じく国教のようなものがないのだとばかり思っていた。

 カーム聖教。それが、この国の国教だと、サーシア様は言う。


「と言っても、信仰しているのは貴族が大部分で、それも、熱心とは言いがたいのですけれど」


 全く知らない、というのはさすがに怪しまれると思い、曖昧に誤魔化したのだが、彼女にはバレているような気がする。

 それにしても、貴族や豪商といった、魔法という力を求めそうな権力者ではなく、教会に狙われるのはなぜなのだろう?


「わたくしの力不足で、申し訳ないのですが……聖教があなたを狙う理由は、はっきりしないのです」


「そんな、謝らないでください。僕としては、こうして警告してくださっているのも、予想外というか。申し出を断ってしまった手前、恐縮というか」


 王女様の手足として働く代わりに、権力者から守ってもらうという契約を、僕は蹴った。ならば、僕が狙われようが、捕まろうが、関係ないと言われるものだと思っていたのに。


「確かに、そういえばわたくし、あなたに振られてしまっているのでしたね。どうして教えて差しあげたのでしょう?」


 こくり、と首を傾げる彼女。ふわり、揺れ動く雪色の髪に、僕の胸の火が持ち上がりかけて、目を逸らした。


「……意地悪ですね、王女様」


「ふふ、ごめんあそばせ?」


 もう一度、教会の関係者には気をつけるよう、念を押されてから、僕は部屋を出た。

 外で待っていてくれたフレディは、何も聞いてはこない。本当に、僕の相棒は事情に踏み込むラインの考え方が、上手すぎる。


「緊張したな……というか、腹減った」


「サーシア様に会う前から言ってたもんね。何か食べていこうか」


「おう。もう昼時だし、どこかでがっつり……って、あれ。アイゼン、あそこ見てみてくれよ」


 くいくい、と指差す先に視線を向ければ、校門から並んで出ていこうとする男女の後ろ姿が見える。

 休みの日に貴族学園に来ている人は、なにか事情がある人に限られる。それに、あの背格好は、たぶん。


「追いかけよっか」


「そうだな。ユーリ!グレゴリー!」


 いつの間に呼び捨てになったのか。フレディに続いて、僕も手を振りながら、見知った二人の元へ駆けていった。



 再会した僕たちは、とにかく腹ごしらえをしようと、下層に降りてからレストランに入った。

 フレディは強硬に大衆食堂を主張したが、込み入った話があるからと、個室のあるお店でなんとか納得させた形だ。


「じゃー、再会を祝して」


「「乾杯!」」


「……俺もやる必要があるのですか?」


 四人崖のテーブルに座って、まず最初にリンゴジュースで乾杯をした。微かに口に残る炭酸が心地いい。


「俺たちはもう戦友だろ?水臭いって!」


 ユーリ師匠との婚約を破棄した、と聞いた当時は、怒りを露わにしていたフレディが、今はグレゴリー氏の隣に率先して座って、肩をばしばし叩いている。

 事情を聞き、病床の師匠が彼を全面的に許したからこその振る舞いなのはわかるが、なんとなくしこりのある僕からすると、恐ろしいほどの切り替えの早さだ。


「あははっ、フレディはいつもこんな感じだから、さっさと諦めた方がいいよ、グレイ」


 ユーリはといえば、憑き物が落ちたような笑顔を浮かべている。

 いや、実際憑き物が落ちたのだろう。詳しいことはまだ聞けていないけれど、あれほど想っていたグレゴリー氏と、また一緒にいるのだから。


「はぁ……本当に、貴女は昔から騒がしいお友達ばかり連れてきますね」


「人生、愉快な友だちを持つことが楽しむ秘訣だよー?あれ、アイゼン。どうかした?」


 乾杯の後、全く料理に手をつけられないでいると、隣の師匠は目ざとく気づいて話を振ってきた。


「いや……なんか、聞きたいことが多すぎて。再会は嬉しいんですけど」


 ちらり、とグレゴリー氏の方を見れば、彼はフン、と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。

 嫌われている、とは思う。僕は、彼の兄を殺した張本人なのだから。けれど、僕の方も彼の襲撃を受けた被害者で、正直すぐに打ち解けられるような間柄ではないのだ。


「あー、そういえばグレイがアイゼンに研究室で斬りかかったって、せんせが言ってたねー……よし。じゃあ、事の顛末はボクから説明してくから、グレイは補足してね。アイゼンとフレディは、適宜質問OKってことで。全部話終わったら、ちゃーんと仲良くなってね?」


「……努力します」


 まず、グレゴリー氏の進退について。

 表向きは、王女様の依頼で身に余る魔物を討伐できた僕たちではあるが、元はと言えばブロノーレ侯爵の命令でイェルを訪れていたグレゴリー氏。

 護衛二人を死なせてしまった上、僕たち冒険者と協力したことなど知れれば、侯爵からごのような仕打ちを受けるのかまったくわからない。


 そこで、二人はどうしたのかといえば。


「先回りして、縁切っちゃった」


「縁を切ったって……貴族、やめたってことですか!?」


「おおまかに言えば、そういうことです。俺は今、ただのグレゴリーということになりますね」


 簡単に言ってのけるが──いや、簡単ではなかったのだろう。二人が王都になかなか戻ってこなかったのは、手続きや根回しをしていたからだそうだ。


「ボクは全然気にしてないんだけどね、さすがにちょっと前におおっぴらに婚約破棄しちゃったからさー、すぐさま復縁!ってわけにもいかなくて。今は、恋人みたいな感じなんだ」


「少なくとも、学園卒業までは。寮の方も、実家の使用人がいますから、引き払いました。これからは俺も、瑠璃の館に滞在する予定です」


「じゃ、隣人だな。よろしく!」


「……よろしくお願い、します」


「あー、いいなー。ボクも寮やめたい」


 続いて、あの戦闘の後始末へと話が移った。

 僕たちが逃してしまったレイジングボアたちは、北上し、とある城塞都市で全滅したそうだ。

 あの数を全滅と聞いて、その都市はよほど強い冒険者や騎士が集まっているのだな、よかった、と思っていたのだけれど。


「あ、違うよ。猪たちを倒したのは、城塞都市の人たちじゃなくて、剣聖。……つまり、ボクのお父様?」


「師匠、冗談だよね?多少倒したとはいえ、百はいましたけど……」


「冗談ではありませんよ。ゲオルグ・トゥルサフィア伯は剣聖ですから」


 全然、理由になってない気がする。

 この世界の人々は、みんな程度の差はあれ、地球の人より強い。強靭な肉体、高い身体能力など。

 けれど、百頭近い猪の群れを、たった一人で全滅させるなんて──人間の所業とは思えない。


「そんで、そのお父様が近いうちに王都に戻るらしいんだよね。最悪なことに」


 領地のことはほとんど自分がやっていると、レベッカさんが前に言っていた。

 剣聖は、各地の魔物討伐に駆り出されて、あちこちを飛び回っているから、と。


「グレイが会うのは確定なんだけど……二人もまー、たぶん。呼ばれるだろうから、覚悟しておいてね」


 かくして、ユーリ師匠とグレゴリー氏による近況報告が終わり、僕とフレディが人類最強格と会うことが半ば確定してしまった。胃が痛い。


「それでー?仲良くできそう?アイゼン」


「正直、今すぐは厳しいです。僕は、グレゴリー氏のことをまだよく知りませんし」


「俺の方もそうですね」


 彼の赤い瞳を、初めて真っ直ぐ見たような気がする。

 狂妄に曇っていた兄のギーノとは違う、澄んでいながら、情熱も感じさせる目だと、思った。


「けれど、近いうちには」


 仲間ユーリの大切な人だ。今は無理でも、きっと、互いを認め合える日が来る。

 根拠はないけどそう感じられたことが、少し、嬉しかった。

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