第七十八話 心配性のお嬢様

 王都へ戻ってから、さらに一週間。針で指先を怪我しなくなった頃に、メルティさんが瑠璃の館を訪ねてきた。

 裁縫は、黙々と一人で細かい作業をするというところが僕にあっていて、ハマり始めた折だったので、支配人さんが教えてくれなかったら、お嬢様を無視してしまっていたかもしれない。

 久しぶりに会う彼女が、思い詰めたような表情で、どうか元気を出して、なんて言われたものだから、面食らってしまったのだが、よく話してみると勘違いをしていることに気がついた。


「あっ、ごめんなさい……メル、アイゼンさんが誰にも会わないように宿に引きこもっているとばっかり……」


「オイナさんにはなんと聞いていたんですか?」


「アイゼンさんはしばらく家庭教師の仕事を休むから、彼の方から来るまでは会いにも行かないように、と……」


 その言い方では、確かに勘違いしても仕方ない。

 オイナさんはわざとなのか、忙しいからなのか、言葉が足りていない時がある。今回はどちらかわからないが、メルティさんの性格を熟知している彼女なら、わざとのような気もする。

 なぜなら、こうして会いにきてしまっているから。


「先日のイェル平原での一件では、亡くなった方もいると聞いて……ユーリ様もまだ戻っていらっしゃいませんし、塞ぎ込まれているのかな、と」


「お嬢様のご心配には及びませんよ。僕の怪我を過剰に心配した宿の人が、外に出してくれないだけなんです」


 手を動かすのに問題は全然ないんですけどね?と軽く腕捲りをして、火傷の痕を見せる。

 前回、炎の反動で火傷を負った時と異なり、一瞬で完治はしていないものの、普通と比べれば驚異的なスピードで回復が進んでいる。僕としては、急速に健康的なものに置き換わっていく皮膚を見る必要がないため、今の方が気持ち悪さが少ないくらいだ。


 捲れ上がった肌は綺麗に剥がしているため、壊死した場所と、治りかけの場所が同居して、僕の腕に斑模様を描いている。

 毎日見ていることで、回復に向かっていることを知っていた僕は、この腕が他人に与える印象を失念していた。


「ひゃっ……アイゼンさん、それ……!?」


「あ、すみません。見てて気持ちのいいものではないですよね。しまいます」


 メルティさんは、しかし、袖を戻そうとした僕の手をぱしっ、と掴んだ。

 思ったより強い彼女の力に、ぐっと体を引き寄せられ、ストロベリーブロンドが間近に迫る。

 そのことにドギマギするよりも先に、いつもの彼女からは想像できないほどの早口が、僕に浴びせられた。


「こ、これどうされたんですか!?痛くないんですか?治るんですか?なんで、どうしてこんなことに……そうだ、薬!メルが薬を用意します。薬学は、得意です、から。どうしてもっと早く……いいえ。どうして、こんな怪我をする危険な仕事を、アイゼンさんがしなくちゃいけないんですか……!?」


 あまりの勢いにたじろいでしまうが、ちゃんと説明しないと手を離してくれそうにない。

 僕は今までに言っていなかったことも含めて、少しずつ、メルティお嬢様に事情を話すことになった。


「これは、僕自身の魔法の反動ですから、治りますよ。心配しないでください」


「心配しないでって……こんなに酷い火傷痕、見たことがありません。無理ですよ……!魔法、魔法って。アイゼンさん、魔法が使えたんですか?」


「えっと、まあ、はい。炎の魔法を」


「術者を傷つける魔法なんて、危険すぎます!」


 僕だって、そう思う。今まで出会ってきた魔法使いたちはみな、魔法の行使にこれといった代償は払っていないと言っていた。

 ギーノと僕だけが、龍を由来とする魔法使いだけが、肉体や精神に強烈な反動を受けながら、魔法を使っているのだ。

 でも、この炎がないと、僕は駆け出し冒険者と変わらない。フレディやユーリと一緒に、戦えない。それは僕にとって、身を焦がす熱さよりも増して、受け入れ難い苦しみだった。


「……仕方ないんです。仲間と戦うためには」


「ですから、どうしてそんな危険な仕事をする必要があるんですか!?メルは、冒険者の方々をあまりよく、知りません。けれど、彼らの多くは、他に生きていく術がないから、魔物を倒して生計を立てていることくらいは……知っています。アイゼンさんなら、他に生きていく手段がたくさん、あるじゃないですか……!」


「そんなことありません。僕は、根無草ですから、戦うことくらいしか……いえ、それも、取り柄と言えるかわかりませんね」


 苦笑する。借り物の力でようやく、仲間の隣で戦えるような僕だ。お世辞にも自分が強いなんて言えない。

 彼女は他に生きる術があると言うけれど、それは僕が異世界人であることを知らないからだ。本質的に、この国に居場所がない僕に、流れ者以外が務まるとは思えない。

 幸運に恵まれて、メルティさんの家庭教師をさせてもらっているけれど、この仕事だって、彼女の意向一つでどうなるかわからない、不安定なものに違いはないのだから。


「メルは、メルは知っています。アイゼンさんは、教えるのが上手くて、難しいことも一緒に考えてくれて、優しくて、勉強熱心で……!」


 ぎゅう、と腕を抱き締められた。

 柔らかい感触に包まれて、さすがに焦る。こんなに、女性に近づいたのは初めてかもしれない。


「ちょ、っと。お嬢様、近いですって!」


「どうして、メルに話してくれないんですか?うちは確かに、貧乏です。でも、アイゼンさん一人も養えないほど、メルも、お母様も、弱くありません!貴方がずっと一緒に、勉強を教えてくれるなら……メルは……!」


 僕を見上げるメルティさんの瞳には、透明な雫が溜まっており、今にも溢れ出しそうだ。


「……ごめんなさい。僕は自分の意志で、冒険者をやっているので」


 綺麗な顔立ちを歪めている原因が自分にあると思うと、心が痛む。けれど、故郷に帰る、結晶塔に行く、という目的がある以上、冒険者をやめるわけにはいかなかった。


「教えて、ください……話してください。王都を出ていたのは、ユーリ様とグレゴリー様のためだったんでしょう?メルに、貴族のメルに話してくださったら、もっと、別のやり方だって考えられました。どうして、教えてくれないんですか?全部の秘密を聞きたいなんて、言いませんから。ねえ、アイゼンさん。メルは、メルは……信じられませんか?」


 信じていないわけがない。お嬢様は、図書館で僕を助けてくれた人で、仕え甲斐のある方で、可愛らしくて──。


「どうか。貴方が冒険者を続ける理由を教えてください。アイゼンさん」


 僕が一番信じていないのは、僕自身だと気がついた。


「このせ……この、国のため。ですよ」


 だからまた、隠し事をする。

 この世界のためと、自分は異世界人だけれど、この世界が好きだと、メルティさんに言えたなら。どれほど楽だっただろうか。

 でも、僕は自分を信じていないから。彼女が信じてくれても、くれなくても、抱えてきた一番大きな秘密を話したときに、別の世界に帰るために、努力していることを話したときに。

 積み重なった自己矛盾と、目を逸らしてきた「帰れない可能性の方が高い」という現実に、押しつぶされてしまう気がしたから。


「そう、ですか」


 僕は、悲しそうに目を伏せ、宿を出て行ったメルティお嬢様を。

 ついに、呼び止めることも、追いかけることもできなかった。

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