幕間 第三王子
イェル伯爵領都郊外で発生した、大規模なレイジングボアの群れは、北へ北へと走りました。
ユージーン・レドコヒル先生の話によれば、町に被害を出さずに、群れを誘導したのは、アイゼンさんたち「仮名『龍と鎧と風』」の尽力とのこと。
詳しいお話を聞きたいのですが、アイゼンさん、フレデリクさん、ユレニアさん、そしてグレゴリーさんも、皆深い傷を負っており、わたくしが面会に行けるような状況ではございません。
とにかく、わたくしは自分の判断が正しかったことに、ほっと息をつきました。
北に逸れたボアたちは、城塞都市を訪れていた剣聖様によって、一網打尽にされたと聞いております。
いくつかのパターンを考えておりましたが、その中でもっとも犠牲の少ない結果となったことが、なによりも喜ばしいです。
それでも、死者が出ることは避けられませんでした。愛する国民が、尊い命を散らしたことに、わたくしの胸は痛みます。
こんこん、王宮の北の端にある、わたくしの執務室がノックされます。
入手つの許可を出せば、カレンがいつも通りのポーカーフェイスで、佇んでいました。
「サーシア様。会場の準備が整いましたので、お着替えの後、ご移動をお願いいたします」
「……もう、そんな時間ですか」
かけていた眼鏡を机に置き、わたくしはカレンに導かれるままに、ドレッシングルームへ向かいます。
いくら、冷遇されているとはいえ、わたくしは王女。色とりどりのドレスが並んだそこに入るたびに、わたくしは憂鬱になりました。
着飾ることは、好きです。可愛らしい服、美しいアクセサリー。華美な装飾は好みませんが、綺麗なものに惹かれる気持ちは、人並みにあると思っています。
けれど、どれほど飾っても、わたくしの容姿は忌み嫌われるもの。
ドレスを着るということは、自分に嫌悪の視線を向けてくる方と、お会いしなければならないことと、同義なのですから。
控えめにフリルのついた薄桃色のワンピースドレスに、小さなエメラルドのネックレスを首からかけて、わたくしは塔を出ました。
髪はまとめて、黒い帽子の中に隠していても、すれ違う貴族には侮蔑の目を向けられます。
けれど、そんなものは、いつものことですから。気にせず、カレンを伴って、目的地へと向かいました。
王城の東側。政務に使われる区画から、渡り廊下を進んだ先に、それはあります。
張り巡らされた水路と、咲き誇る黄色の花に囲まれた、真っ白なドーム。聖堂です。
「サーシア・ドラコ・ゴルテンライム王女殿下の御成です」
裏門の前でカレンがそう言えば、たちまち中に通されました。
貴族が礼拝を行う、表門側と異なり、王族とその関係者、高位の神官のみが入ることを許されている裏側は、宗教画や聖遺物の類は一切なく、それどころか礼拝用の部屋すらありません。
あるのは、密談に使われる、小さくて息苦しい部屋だけ。
わたくしは、カレンを扉の前で待たせ、そのうちの一つに入りました。
「やあ!よく来たね、シア」
明りとりの窓があるだけの、石造りの内装。壁に天井、椅子や机も全て真っ白に塗られており、その中で正面に座る方の金髪は、一際目立っておりました。
「ご機嫌麗しゅう存じます、セムお兄様」
ゆったりとした法衣を着た、マロンヘアの男性。わたくしの末の兄、セルミウム・ドラコ・ゴルテンライム様です。
お歳は、十八。本来ならば、貴族学園にまだ通っている年齢ですが、先日お誕生日を迎えられた、同い年のエイリーズお姉様と同じく、飛び級で卒業されていらっしゃいます。
「座りなよ!今日は、真っ白な部屋を用意してみたんだ。君の穢れた髪も、ここなら目立たないでしょ?」
「お気遣い、痛み入ります」
わたくしはこの方を、きょうだいのなかで最も苦手としておりました。
天然なのか、計算なのか、いつも年齢より幼い立ち振る舞いで、悪意を感じさせることなく、毒を吐かれる。
今も、一点の曇りもない笑顔で、わたくしの髪の色を嘲られましたし。
「本日は、どういったご用件でしょうか?」
「せっかく、兄妹水入らずの団欒の機会だろう?そう、急かなくてもいいじゃないか」
白々しい、と思ってしまったことを、わたくしは上手く隠せていたでしょうか?
呼び出しの名目はお茶会であるにも関わらず、お兄様との間には、カップもポットもございません。この方は、わたくしとお茶を飲むなどという発想が、最初からないのでしょう。
「お兄様の貴重なお時間を、こうしていただいてしまっているのです。どうしても、恐縮が勝ってしまいまして」
──それでも、笑顔は絶やしません。
どれほどわたくしを下に見ていようと、酷い言葉をかけられようと、この方は半分血の繋がった家族ですから。
わたくしは正面から、愛していると、自信を持ってそう言うことが出来ます。
「まあ、君がそう言うのなら、それもいいね」
柔らかい笑顔を心がけるわたくしと、朗らかな笑みを浮かべ続けるセムお兄様。
何も事情を知らなければ、仲のいい兄妹だと思われるかもしれませんね。
「シア。君が囲っている冒険者……名前はなんだったかな?ええと、アイサン?違うな」
「アイゼンさんのことでしたら、わたくしは囲ってなどおりませんよ。むしろお恥ずかしながら、勧誘を断られてしまいまして」
本題の思わぬ内容に、わたくしは身を硬くします。
彼本人にも、権力者に狙われる可能性は、お話いたしました。けれど、王族であるお兄様に、目をつけられるなんて。
「おや?そうなんだ。じゃ、僕がもらっちゃっても問題ないよね!」
確認の形を取った、脅迫です。
わたくしは、ただでさえ王族の中で立場が弱いです。その上で、王位を巡って争っていらっしゃるお兄様に、正面から逆らったとなれば、わたくしだけでなく、侍女たちにも迷惑がかかるでしょう。
けれど、それでも、わたくしは。
「お言葉ですが、セムお兄様」
「なにかな?」
「彼をお兄様の玩具になさるのは、やめておいた方がよろしいかと」
形の上では、やんわりとした否定です。しかしその実、お兄様のなさっていることを言外に告げることで、正面からの攻撃とさせていただきました。
「へえ……なんで?」
わたくしが断るなど、想像してもいらっしゃらなかったのでしょう。形のいい眉をぴくり、と動かすお兄様に、説明を重ねます。
「アイゼンさんは、トゥルサフィア家、及びストロブラン家との間に、強い結びつきを持っています。剣聖を当主とする家と、落ち目とはいえど、歴史ある家……未だ王位継承権争いにおいて、立場を明らかにしていない二つの家を敵に回すリスクは、負うべきではないと愚考いたしますわ」
早口になっていないでしょうか。怪しまれていないでしょうか。
彼を庇えば、わたくしは危ない橋を渡ることになるでしょう。
それでも、アイゼンさんと彼を取り巻く人たちは、わたくしの心強い味方になってくださる──そんな、予感がするのです。
全ては、愛する国のために。
「君が僕に意見するなんて、明日は槍でも降るのかな?あははっ、そうなったら面白いね!」
セムお兄様は、笑顔のままです。けれど、その目が笑っていないことに、わたくしはもちろん気がついております。
「今日のところは、妹の顔を立てて、僕は引くことにするよ」
立ち上がるお兄様に向けて、わたくしは丁寧にお辞儀をいたしました。
「……あまり、調子に乗らない方がいいよ?
すれ違いざまにかけられた、灰かぶり姫と並ぶ、わたくしに対する蔑称に、反応しようとする自分を抑えるのに、いささか苦労しました。
これは誘い、誘いなのです。わたくしを正面から、断罪するための。
「御機嫌よう、セムお兄様」
「ばいばーい」
こんなわたくしの髪を、瞳を、真っ直ぐ美しいと言ってくださった人くらい、守れずに。
なにが王女でしょうかと、そう、言い聞かせて。
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