第七十六話 覇者、墜とせり

 極限の集中力で、触れた剣に炎を纏わせていく。

 両手から肉が焦げる匂いがしてきても、治まりかけていた息苦しさがぶり返してきても、目の前の剣から目を逸らさない。


 グレゴリー氏は、命を落としてしまった護衛騎士の持っていた剣を集め、僕とユージーン先生に魔法を付与するように要請した。

 剣に魔法を纏わせるのは、高度な技術が要求される反面、接近戦では諸刃の剣となりかねないので、使用者はほとんどいないと、先生はぼやきつつも、手際よく付与を行なっていく。


 結局、グレゴリー氏の愛剣も使い、合計五本の剣を、キラキラと魔法が包んでいる。

 先生が付与した、風、水、雷、火。僕が付与した、龍の炎。

 グレゴリー氏はそれらを一度地面に置き、そのうち一本を持って、陸上競技の槍投げのような構えをとった。


 彼の提案した作戦は、いたくシンプルだ。

 魔法だけでは威力が足りず、剣の攻撃が届かないのなら、剣に魔法を纏わせて投げればいい。

 簡単なようで、全員に大きな負荷がかかる、思いついても実行しないような作戦。


「はあ゛ぁっ、はあっ、うまく、行きますかね……」


「わからない。ただ、これが無理だと打つ手がないのも確かだ。ブロノーレ君を信じるしかない」


 前方では、相棒フレディが、鬼気迫る迫力で振り回し、巨鳥を引きつけている。

 力任せにやっているようで、決して剣に体を流されることもなく、適度に隙を作ることで、魔物が自分を放置してこちらに飛んでくることも防いでいた。

 極限の集中がなせる、偉業だ。


「ユージーン先生。俺が投げたら、次をください」


「了解だ。気負わず、やってくれたまえ」


 不安をかけらも見せず、魔法の連続行使で相当疲れているはずの先生は、グレゴリー氏の補佐についた。

 僕に、僕にできることはなにか。ないのだろうか?


「グレゴリー氏」


「なんですか、アイゼン」


 初めて、名前を呼ばれた。力を溜めるように、ぐっ、と踏ん張りながら、その声音は一切震えない。


「もし、もう一度、羽根が来たら」


 ちらりと、後ろを振り返った。

 できるだけ戦場から遠ざけつつも、すぐにカバーに走れる位置に、ユーリ師匠が寝かされている。


「次は必ず、僕が防ぎます」


 精一杯の覚悟と、空元気を込めて、そう言えば。


「ユーリだけ、守ってください。彼女が無事なら、俺はそれで構いませんから」


 ふ、っと。初めて笑った気がした。



 今までの人生で、最も長い一分間だった。

 グレゴリー氏が一投目に選んだのは、僕が炎を付与した剣。絶対に、集中を切らすまいと、拳を握るほどに、炎は燃え上がる。


 フレディはよく耐えた。つかず、離れずの間合いで、決して無視できない威力の攻撃をハチェットイーグルに与えつつ、倒されないように、的確に下がり、ガードする。

 それでも、タイムリミットは近い。嘴による突き、と思わせての、宙返り。

 曲芸じみた巨鳥のフェイントに、彼の対応がついに、遅れた。


「は、あ、あ、あ、あ、あ、ああああああああああああッッッッッッ!!!!」


 だが、宙返りをしたことで、ここまで目の前のフレディの相手をしながら、僕たちへの警戒を解くことは絶対になかった魔物の目が、僕たちから離れた。

 それを待ち続けていた男は、爛々と輝く赤い瞳の軌跡を空中に残しながら、全身で剣を振り抜く。投げ放つ。


 ズバアァァァアン!!と、まるで世界を切り裂くように飛ぶ剣。

 引き伸ばされた感覚の中で、僕は必死にその軌道を追いかけた。絶対に、意識を途切れさせない。炎は、消さない。

 果たして剣は、わずかに狙いを逸れ、巨鳥の右の翼を掠るだけに留めた。

 けれど、それで十分。僕は見ていた。イーグルの体の横を通過する瞬間を、確かに見ていた。ならば。


「燃えろおッ!!」


 ぐるぐると剣に巻き付いていた炎蛇が、今解き放たれ、目の前の獲物に食らいついた。

 僕の余力的に、維持できるのはほんの一瞬。それだけあれば、片方の翼を燃やし尽くすくらい、簡単なことだ。


「Quaaaaa!?!?」


 唐突に右の翼の感覚が消えたことに驚いたのか、ハチェットイーグルは急激にバランスを崩し、宙返りの状態でがくん、と高度を下げる。

 それを見逃すグレゴリー氏ではなく、再度地面を踏み締め、人外の膂力で次の剣を投擲した。


 二本目は、雷。バランスを崩した巨鳥の足に突き立ち、電撃を体に流し込む。

 三本目は、水。これは外れ、はるか遠くに落ちた。

 三本目は、風。なんとか体勢を整えようと、必死で翼を動かすイーグルに、旋風となって襲い掛かり、落下を加速させる。


「ふう……!い、け、えええええええええええッッッッ!!」


 そして、最後の一本。赤く輝く火の剣が、空の覇者の心臓を力強く、貫いた。

 奇しくも、僕がもう一頭のハチェットイーグルを、体当たりで突き破ったのと、同じように。


「Quooaaa……Quraraaaa……」


 完全に飛ぶ力を失い、落ちてくる巨鳥。懸念していた羽根による反撃は、あの様子ではもう放てないだろう。

 最後は、落下地点にいたフレディが、振り上げた一刀のもとに、首を叩き切った。


 ずしん、という音をたて、巨鳥が完全に地に墜ちた。

 明け方より続いた決戦の終わり。中天に輝く太陽を遮るように、僕は手をかざして、目を瞑る。

 生きている。息は、苦しいまま。腹の底から上がってくる熱こそないけれど、両腕に負った火傷は、全く治る気配がなく、じくじくと痛む。

 けれど、生きていた。目を開き、上半身をなんとか、起こす。


「けほっ、けほっ、生きて、ますかー……?」


「私は問題ないよ。気だるさはあるけど、外傷はない」


 ユージーン先生は、力無く笑う。杖を放り投げて座り込んでいるため、立ち上がれないのだと予想できる。


「アイゼン、無事か?」


「うん」


 フレディは自力で歩いて、僕たちのところまでやってきた。

 全身鎧は、もはやがらくた同然の状態であり、あちこちに流血も見られる。それでも、立って歩いているのは、ひとえに彼がタフだからだろう。


「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ」


 四人の中で一番限界がきているのは、グレゴリー氏だった。

 師匠と共に、ハチェットイーグルとギリギリの攻防を繰り広げた後に、あの投擲だ。

 理外の速度、飛距離、威力を実現するために、なんらかの魔法──もしかすると、魔の気そのもの──を利用したことは、間違いない。


 僕たち動けない三人は、意識を取り戻さないユーリの近くで一塊になって、動けるフレディが、町へ知らせに行くことを決めた。

 冒険者を引き連れた彼が戻ってきたのは、それから三時間ほど経った後のことで、癒しの実も切らしていた僕たちが、誰一人失血で命を落とさなかったのは、本当に幸運なことだった。

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