第七十五話 元婚約者の意地

 ユーリ師匠の状態は、見た目ほど酷くなかった。

 背中から攻撃を受けたことで、防具と肋が上手く内臓を守ってくれたからだろう。蓄積した出血で、危険な状態には違いないが、今すぐ死んでしまうような状況ではない。

 彼女に庇われたグレゴリー氏も、呻き声を上げてはいるものの、激しい外傷は見られなかった。


「アイゼン、まだ、癒しの実は余ってるか?」


「うん。げほ、げほ……全部使って」


「ああ。って、君、血を吐いてるぞ!?一つは自分で使ってくれ、頼むから」


 腰に下げていたポーチから、ごろごろと癒しの実を取り出し、中の液体を満身創痍の二人にかけていく。


「ごめん、フレディ。僕が、君の邪魔をしなければ……」


「謝るなら、ユーリにしてくれ。今は考えなくていい」


 ぎり、と頬の内側を噛んだ。

 口内のものなのか、お腹から上がってきたものなのかわからない血を、つばと一緒に吐き出して、僕は再びハチェットイーグルを睨んだ。

 炎弾を警戒しているのか、先生の魔法から逃れるように、今は少し上空を旋回している。けれど、いつ急降下してくるかわからない。


「……ユーリ。どうして、俺を庇ったんですか」


 いつの間にか意識を取り戻していたグレゴリー氏が、ボソリとつぶやいた。

 目は焦点を結んでいないようで、表情はまだぼんやりとしている。


「けほっ……さあ?」


 ユーリもまた、目を瞑ったまま、そう返した。


「そも、そも。なんで助けになんて、入ったんですか」


「あは、さっきも言ったじゃん……なんとなくだよ」


 僕とフレディは、できる限りの応急処置を施しながら、ぽつ、ぽつ、と交わされる二人の会話を聞いていた。

 喋るな、とは言えなかった。二人には話し合いが必要だと、思ったから。


「俺は、君との婚約を破棄して、姉君に婚約を申し込んだ……恥知らずなのですよ?」


「そうだね。でも、それは侯爵が決めたことで、グレイは被害者でしょ?」


「…………」


「図星?ま、ボク勘がいいからねー。ごほっ、けほけほ」


 今にも気絶しかねないほどの怪我を負っているにもかかわらず、彼女は笑った。

 それはたぶん、グレゴリー氏を安心させるため。もう一度、立ち上がらせるため。


「ブロノーレ侯爵令息」


 黙りこくった彼に、僕は話しかけた。

 彼だって、ここまでの激戦で怪我を負っている。けれど、まだ戦えるはず。あれほど完璧に、レイジングボアを仕留めていった腕があれば、ハチェットイーグルをもう一頭、倒せるかもしれない。


「僕たち平民と、兄を殺した冒険者と、肩を並べて戦うのは不服かもしれません。だけど、このままじゃユーリを助けられない。先生もいつまで時間を稼いでくれるか……」


「俺は君をまだ、疑ってる。でも、その腕は確かだと、認めてるつもりだ。今は、ユーリのために」


「どうか、一緒に戦ってください」


 最後の癒しの実の汁を、師匠に飲ませ、僕たちはグレゴリー氏に頭を下げた。

 あまり時間はない。旋回していたイーグルは、空中でぴたりと止まり、こちらの様子を伺っているようだから。

 断られなくとも、長く悩むようなら、彼を戦力としては数えられない。


「グレゴリー、で構いません」


 果たして、グレゴリー氏は、ぐるりと両腕を回して、立ち上がった。

 その口調はぶっきらぼうで、笑顔ひとつ浮かんでいないが、視線は真剣そのものだ。


「さんざん傷つけた女性に、ここまで助けられました。自分は彼女を守ることもせずに逃げるなど、俺はしません」


 その言葉を聞いたユーリ師匠は、柔らかく微笑んで、意識を落とした。



 師匠を寝袋に包み、僕たちはユージーン先生と合流した。

 戦力が増えたのはいいものの、全員が疲労困憊、炎弾を放った時に焼けた腕が治らない僕と、限界戦闘を行なっていたグレゴリー氏は傷を負っている。

 打開策は正直、思いつかなかった。


 先生が魔法での牽制を止めたことで、ハチェットイーグルは攻撃を再開した。

 今はフレディとグレゴリー氏で、どうにか受け流しているが、こちらからの攻撃が通らない以上、ジリ貧だ。


「先生、なにか案はありませんか?」


「すまないが、お手上げだね。私の魔法も、これ以上となると打てる数が厳しい」


 悔しさに、僕は腕を見つめた。

 もっと上手く、もっと長く、龍の炎が扱えれば、もう一度あの巨鳥を落とせるのに。

 今は、剣戟の音を聞くことしかできない。


 ガキィン!という、一際大きな音が響き、鉤爪と大剣を衝突させたフレディが、大きく後ずさる。

 自分だけで前線を維持できないことを悟っているグレゴリー氏も、同じく僕たちのところまで下がってきた。


「はぁ、はぁ、どうする?アイゼン。俺もそろそろ、きついぞ」


 至近距離にせまったことで、羽根を飛ばす攻撃が来なくなった代わりに、鉤爪と嘴のラッシュが激しくなった。

 大剣の腹を向けることでしか、防御ができない彼は、鎧のあちこちに凹みを作っている。おそらく、衝撃が届いて骨にヒビが入っているところもあるのだろう。動きがぎこちない。


「今展開できる炎じゃ、飛んでいるあれには届かない……ごめん、力不足で」


 先ほど、羽根を燃やそうと力を込めた炎の壁は、本来の想定の三分の一しか伸びなかった。

 巨鳥に届いた炎弾は、右腕を半ば犠牲にして撃ったものだし、当たったとしても、有効なダメージを与えられていたかはわからない。手応えが、軽かったから。


「ユージーン先生。俺に考えがあります。先生のお手を煩わせることになるのですが」


「どんな提案でも、言ってみなさい、ブロノーレ君」


 僕が堂々巡りの無力感に打ちひしがれる中、グレゴリー氏は先生に考えを話し始めた。

 せめて、彼が共有を終えるまでは、と、僕とフレディは目配せをして、降りてくるイーグルの迎撃を担当する。


「剣を……纏わせて……空に……」


「……では、持続……届くかも……」


「ありったけを……なら」


「だが、その……誰が……」


 基本的にはフレディが攻撃を受け、彼が体勢を崩した時は僕がカバーする。

 体の熱さと息苦しさは消えたため、立ち上がって動くことは可能だが、じくじくと痛む右腕のせいで、短剣をしっかりと握れない。

 かすかに聞こえてくる相談の内容が、早くまとまってくれないと、いつまで攻撃を受け流せるか、自信がなかった。


「アイゼン君!」


「ふぅ、ふぅ、はい!?」


「手で触れたものに宿した炎を持続させるなら、今の君でも可能かい!?」


「……集中力が保てれば、三十秒は保たせます!」


 魔法の燃料となっていた龍の気は、ほとんど僕の体から抜けてしまっており、補充を拒否したために、どれほど長く使えるかはわからない。

 それでも、僕は保たせると言う。そのくらいできなくて、友だちを守れるはずがないと、自分に言い聞かせながら。


「フレデリク君!一分間、一人で全ての攻撃を引きつけられるかい!?」


「やって、やれないことはない!」


 ぶん、と剣を振り、ハチェットイーグルを上空へ退かせるフレディ。


「一分。きっかり一分で決着をつけます。俺の言う通りに動いてくださいよ、平民」


 不敵に笑ったグレゴリー氏の言葉に、嘲りの色は一切含まれていなかった。

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