第七十三話 僕の灯
どろりとした、粘性の液体に絡め取られたような感覚。
僕が熱さと炎の代わりに手に入れたのは、気持ちの悪さだった。
真っ白な空間。奇妙な静けさの中で、世界を震わせるような声が僕を包んだ。
『
見上げれば、バレルグリズリーと戦った時にみたのと同じ、極彩色の龍がいる。
何かに怒り、苦しみ、嘆いていたあの日とは違い、どこか穏やかな、僕を気遣うような、そんな
「気持ちが悪い」
僕の呟きは、龍に届いた。そもそも、この白い世界で、僕が言葉を発することができるとは思っていなかったので、驚いた。
『
『
龍は首を下げ、寝そべった。その瞳は、不思議に僕を誘う。
一歩、一歩、半ば無意識に足を動かしてから。ぴたり、と止まった。
「……違う」
龍の声と、この空間の奇妙さに惑わされて、僕はここに来た理由を忘れかけていた。
僕が龍に求めるべきは、助けでも、救いでもない。
「僕に熱を与えているのは、あなたか?」
『
「なぜ?なぜ、僕に力を与える?」
『孤独』
『
孤独。その
龍の顕現のあと、腹を突き破って外から注がれた痛みの正体。その一端を感じる。あれは、目の前にいる龍の感情だったのかもしれない。
「僕に戦う力をくれたことは、感謝してる。苦しいし、熱いけど、何もできないより、ずっとマシだから」
この世界に来て、まだ二ヶ月。この期間で、危険溢れる旅を乗り越えられたのは、間違いなく龍のおかげだ。
まだ、元の世界に戻る方法は手に入っていないが、彼あるいは彼女の手助けがなければ、僕の歩みはもっと遅くなっていたはずだし、もしかしたら命を落としていたかもしれない。
『その苦しみを、余が癒してやろうと。消してやろうと、言っているのだ』
日本語で、龍は僕を誘う。
もし、解放されるのなら、もちろんそれは喜ばしいことだ。全身が焦げるあの苦しみは、筆舌につくし難い。
けれど、この提案を受けたなら、僕は。
うなじはピリつかない。あの感覚も、植え付けられたものなのだろう。
だから、これは、根拠のない不安。あるいは、反抗。
「あなたのところへは行けない」
『なぜ?余は、おまえを救える。おまえと余は同じだ。余のところへ来い。共にあろう』
「ごめん。できない」
慈悲に満ちていた瞳が、困惑に染まる。でも、僕はそれ以上、龍に向かって歩くことはない。
「過剰な力はいらない。僕を見限るなら、それでもいい。甘えたことを言ってるのはわかってる。けど、戦う度に倒れていたら、大切なものをちゃんと守れない」
覚悟を持って。龍の気を、炎をコントロールするため、与えられた力だとしても、自分の意思で振るうために。
僕は極彩色を正面から見据えた。
「苦しみは受け入れる。熱さは乗り越える。でも、僕が倒れかけても……命の危機に陥っても、今以上を無理やり押し付けないでくれ」
『それでは、脆弱な人間は死んでしまう』
「全力で戦って、倒れるなら、それは本望だよ」
驚くほどするりと、本音が出た。
僕の目的は日本へ帰ること。でも、それだけじゃない。この異世界のために戦いたいと、気づいた。
たとえ、僕の大切な人の隣に、僕の居場所がなくたって。
『
「あなたが、僕に何を求めているのかはわからない」
『
「けれど、僕に力を貸してくれるなら。きっと、あなたに会いに行く。心の中なんて、不確かな場所じゃなく」
『
どろりとした感覚が、急激に熱さへと置き変わる。
真っ白な空間が、赤く、赤く、燃え盛る。僕の体は、炎に包まれる。それは、龍の口から吐き出された
「結晶塔で、待っていて」
その炎の中で、僕は龍に背を向けた。
熱さは変わらない。息苦しさはなくならない。それでも、毅然と、僕は歩く。腹の底ではなく、胸に灯った火で、周りの熱を押し返しながら。
──次に見えたのは、色とりどりの閃光だった。
ユージーン先生の魔法が、ハチェットイーグルをあらゆる角度から攻撃している。
砂礫を翼に当て、火矢を頭にけしかけ、尾羽を風で惑わし、鉤爪を氷に閉じ込める。けれど、そのどれもがすぐに効果を消され、決定打にはなっていなかった。
巨鳥の足元には、大剣を振るフレディの姿。
攻撃を当てようとすると、上空に逃げられてしまうため、防戦一方だ。大剣の腹で攻撃を受けているため、余計に。
「ごめん、遅くなった」
まだ、熱さも苦しさも消えていない。けれど、お腹に力を入れれば、抑え込める。
「もう、大丈夫、なのか?」
フレディの元へ行けば、息を切らしながらこちらへ視線を向けてきた。
僕は頷き、アルさんの短剣を構える。
「うん。どのくらい経った?」
「二分くらいだよ、アイゼン君」
ユージーン先生も、度重なる魔法行使で、額に汗を滲ませているが、まだ余裕はありそうだ。
それにしても、あの空間と現実では、やはり時間の流れが異なるみたいだ。熊森の時もそうだったから、たぶん大丈夫だとは思ったけれど、間に合ってよかった。
「先生、攻撃パターンは?」
「鉤爪の掴み、振り下ろし、羽ばたきによる突風、低空飛行で嘴攻撃、あとは最初に見た、羽根の射出」
「俺の攻撃は今のところ避けられてるけど、向こうの突進に合わせない限り、ダメージを通せるかはわからない」
ユージーン先生が放った、牽制の火球を利用して、僕たちは一度下がり、対策を決める。
ごく短時間の話し合いで、先生が妨害と支援、フレディが誘い、僕がトドメを担い、低空の突進攻撃を狙うことにした。
「全体の指揮は私が執る。退くタイミングには、最低限従ってくれ」
「はい!」
「了解っ!」
僕とフレディは、息を合わせて飛び込む。
足場は悪くない。これで下が泥地だったら、かなり厳しかったが、ここなら高く跳べる。
「Quuaaa!」
戦線に復帰した僕を、ハチェットイーグルは最初警戒したが、フレディが大剣を大上段に構えたのを見て、意識をそちらに移す。
「おおおッ!行くぞ、先生っ!!」
走り込み、跳び上がるフレディ。それを避けるため、巨鳥は翼を広げ、剣が届かないところまで上昇する。
しかし、フレディは止まらない。空中にユージーン先生が出現させた、岩の足場を蹴り、さらに高く跳ぶ。
「Quraaaa!」
ハチェットイーグルは余裕を崩さない。鳴き声をあげ、羽根を光らせたかと思うと、地面に向かって雨のように、凶器を降らせ始めた。
「は、ああ゛あ゛ああ!!」
その攻撃は通させない。背中に炎の翼を展開した僕が、足場を駆け上がるフレディの周りを旋回し、彼に当たりそうな羽根を短剣で跳ね返していく。
羽根は、当たればただでは済まない鋭さを持つものの、飛行に耐えるためか、重さは投擲用のナイフと比べても軽い。
これならば、炎蛇を使うまでもなく、弾ける!
「Qua!?」
フレディの上昇速度に危機感を覚えたのか、僕に羽根を弾かれたことに驚いたのか、一瞬、イーグルが硬直する。
「今!!」
地上からの合図に、大上段に構えていた剣を倒し、自分の左側に構えるフレディ。足場を蹴った勢いを利用して、回転斬りを見舞った。
しかし、ハチェットイーグルもすぐに対応し、翼をはためかせることで下がる。
先生の魔法が届く限界の高さに到達したことで、フレディの体は落下を始め、勢いよく振った大剣はあと一歩、巨鳥に届かない。
「Quuraa……!」
目の前の魔物は、それを見て間違いなく、笑った。
「はははっ……!」
そして、僕の相棒も同じく笑う。
上昇するイーグル。落下するフレディ。ならば、僕は。
「ああああああああッッ!!燃えろおおおおッッ!!」
踏ん張りの効かない空中で、上ではなく前に飛ぶためには、足場が必要だ。それを用意できるユージーン先生の魔法は、空中戦では届かない。
ならば、そこにあるものを使えばいい。振り抜かれた大剣の、峰を。
フレデリクは囮、トドメは僕。
約束通り、僕は逆手に構えた短剣を中心に、一本の炎の矢となって、ハチェットイーグルへと飛び出した。
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