第七十一話 襲来

 明け方。珍しく焦りを滲ませたユージーン先生に、僕は起こされた。


「君たち、まずいことになった」


 元々、朝は弱くなかったが、この世界に来て、よりはっきり目覚めるようになった。


「まずいこと、とは?」


 周囲を見回しても、日が暮れる前と状況は変わっていないように見える。

 朝靄のかかった平原に、見える範囲でレイジングボアの姿はなく、かなり早く起こされたからか、グレゴリー氏たちも動いていないようだ。

 ならば、何が起きたのか。


「聞こえないか?音が」


「音……この、ばさばさ、って感じの?」


 一番最初に気づいたのはユーリ。ついで、僕とフレディの耳にも届いた。

 大きな布を、上下に振り回した時のような音。

 ばさ、ばさ。僕たちの頭上の、もっと平原の中心寄りから聞こえてくるよなうな気がする。


「鳥、か?」


「普通の鳥の羽ばたきにしては、大きすぎる。靄に影が映っていないから、近くではないはずなのに、この音量」


「魔物ですか」


「恐らく。町の噂は正しかった、ということだね」


 羽ばたきの音が近づいてくる。朝靄が風でこちらに流れてくる。この近くに、正体不明の巨鳥が降りてくる。


「どうするんだユーリ。退くか?戦うか?そもそも、あいつらは起きてるのか?」


「……グレイは起きてるよ。とりあえず、様子見にしよう」


 靄が晴れていき、平原に陽光が差す。

 昨日、グレゴリー氏たちがレイジングボアを狩った沼地の上に、それはいた。

 まず目につくのは、広げられた巨大な翼。茶色がかった羽根は、一枚一枚が陽光を反射していることから、ただの羽毛ではないことがわかる。

 尾は白く、泥地に転がったボアを掴む後ろ足には、鋭利な鉤爪がついているようだ。

 頭から尾までの大きさは、二メートルを超え、広げた翼の全長は、六メートルはあってもおかしくない。


「大きすぎる……」


 猛禽類を見たことはない。けれど、日本にこんなサイズの鳥がいるはずがないし、そもそも普通、これほどの大きさの体で、空を自由に舞うことができるとは思えない。

 間違いなく、魔の気が関わっている。僕の予想を裏付けるように、巨鳥は胸から翼の上部にかけて、紫色の筋が通っていた。


「せんせー、心当たりある?」


「ハチェットイーグル、それもとびきり大きい個体だ。昨日、殺すだけ殺して処理していなかったボアを狙ってきたんだろうけど……普通に、レイジングボアを狩る能力はあるだろうね」


 息を殺して、ハチェットイーグルが死体を掴んで去るのを待つ。

 魔鋼の短剣を握る手に、じっとりと汗が滲んでいた。


「Buummoo!Bumooooo!!」


 突如舞い降りた大いなる捕食者に、驚いていたのは僕たちだけではなかった。

 あちこちでレイジングボアの鳴き声が聞こえ、ドドドドドド、と平原を彼らの足音が埋め尽くす。


「こっち、来るぞ!?どうする、あの数は受け止められない!」


 四方八方に逃げるかと思われたボアたちは、平原の真ん中で、ぐるりぐるりと回りながら集まり、矢のように僕たちの方へ走ってくる。

 このままでは、群れに轢かれて呆気なく死ぬ。そのことに気づいて、思わず立ちあがろうとして。ビリリ、とうなじにしびれを感じた。


「みんな、伏せてっ!!」


 グレゴリー氏に気づかれても構わないと、大声で叫び、隣にいたフレディの手を掴んで地面に腹這いになる。


「ぐあああ!?」


 どこからか人の悲鳴が聞こえる。少なくとも、パーティーメンバーではない。

 背中の上を、薄く小さなものが次々に通過していったと思うと、次の瞬間、ズバババッ!と少し先の地面に突き刺さっていった。


 顔は上げられない。悲鳴の主も、地面に刺さったものの正体もわからないが、まだ、うなじのビリビリが消えない。

 腹の底から熱が唸りをあげ、命の危機を知らせてきた。


「がっ!?」


 今度は、隣から。ユージーン先生が被弾した。

 僕はより小さく丸まり、フレディと身を寄せ合う。先生の怪我が心配だが、僕たちにも余裕はない。


 やがて、なにかが土に刺さる音は収まり、風切り音も消えた。

 恐る恐る顔を上げれば、そこら中に、ナイフのように鋭利な──羽根が、突き立ったっていることに、気づく。


「アイゼン、後ろだ!」


 フレディに示されるまま振り返れば、後方三十メートルほどの空中に、前方に降り立った巨鳥とよく似たハチェットイーグルが、もう一頭羽ばたいていた。


「二頭!?」


「ううん。たぶん、親子だ!」


 師匠に示されるまま、ドドドドと、こちらへと近づいてくるボアの後ろを見遣る。

 するとそこには、猟犬かの如く、彼らを追い立てて飛ぶ、もう二頭の姿。


 ハチェット──手斧。僕に与えられた謎の翻訳が、どの程度正確なのかはわからない。けれど、今回ばかりは、正しさがわかる。

 地面に突き刺さった羽根は、手斧の刃ほどの大きさと殺傷力が、あった。


「先生、無事ですか?」


「ああ。膝裏の防具の隙間に食らってしまったけど、なんとかね」


 苦痛に顔を歪めながら、彼は癒しの実を絞って患部に当てている。

 なんとか歩けるようにはなるだろうが、レイジングボアの群れから走って逃げるのは厳しいだろう。


「フレディ」


「わかってる。だが、どうやって逸らす?」


 群れの到達まで、一分あるかどうか。勢いに乗った百頭近い魔物の群れなど、王都の城壁を持ってしても、逸らせないだろう。

 だけど、彼らが逃げている原因を考えれば、希望はある。


「僕に考えがある。けど、賭けになるし、君に守ってもらわないと、無防備になるんだ」


 じっ、と。フレディを見た。

 ここ数週間の、彼との確執。理想を追う彼と、その場での最適解を探す僕。二人の目指す場所は違っても、僕たちは共に旅をした仲間だ。

 信じてほしい、どうか、僕を!


「任せてくれ。君には、傷ひとつつけない」


 ふ、と笑って。彼は大剣を構え。

 僕は、湧き出る極彩色の炎に、身を任せた。

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