第七十話 ユーリの理由(後)
冒険者こそ数が少なかったものの、イェル領は観光客で賑わっていた。
今は限られた人しか、切符を確保できないのにも関わらず、だ。
さらに、ここは穀倉地帯なのだから、上りの列車には当然、王都で売る農作物も積まれていることだろう。
鉄道がもたらす経済効果というのは、馬車の比ではない。
マグダレナさんは、ユーリと同じく、課外活動の名で結晶塔探索に行っている五回生らしい。
十九歳ともなれば、この国の貴族は、婚約者がいることが大半で、中には子供がいる人も少なくない。
姫騎士としての名声で、結婚という責務を跳ね除けることは、そろそろ難しくなってくる頃だ。
家のため、王国東部のため、と言われれば、尚更に。
「お父様は、おねーちゃんを溺愛してるから、渋ると思う。けれど、ボクと婚約を破棄してからっていう前提がなければ、良縁なのは間違い無いんだ。グレイは今、侯爵家の嫡子だからさ」
ぎり、と歯軋りが聞こえた。
ユーリが怒っているのは、果たして姉が無理に結婚させられることだろうか。それとも、自分では役不足であることだろうか。きっと、いくつもの原因が、ないまぜになっているのだろう。
いつだって不敵に笑って、余裕を崩さない彼女から、笑顔がずっと消えている。この件の重大さが、そこに表れているようだった。
「事情はわかったと、思う。それで、君はどうしたいんだ?ユーリ」
「おねーちゃんを、貴族の政治の道具にはしたくない。このまま、グレイを王都に帰すつもりはないよ」
それを聞いて、身構える。
さっきは冗談かと思ったが、まさか本気で、グレゴリー氏を──?
「ちょっとアイゼン?暗くってもバレバレだから。別に、あいつを殺してボクも死んでやるー!みたいな、恋愛小説みたいなことは言わないよ」
今度こそ本当に冗談めかして、師匠は笑う。
僕たちに気持ちを吐き出して、少しでも楽になったのなら、よかった。
「じゃあ、どうするつもりなんですか?」
「えー、まあ……攫っちゃおっかなって、思ってた」
前言撤回。あまり冗談ではなかったようだ。
貴族令息を攫う。凶悪犯罪だ。いくら下手人が貴族令嬢でも、ただでは済まない。
そもそも、グレゴリー氏は相当な実力者であり、護衛の騎士も凄腕だ。彼女だって、容易なことではない。
「今はちょっとずつ地道に潰してるけど、明日か明後日になったら、匂い袋を使ってレイジングボアを集める計画だったんだ」
「そんなことをすれば、死人が出るだろ」
「うーん、紙一重かなって。ユージーン先生についてきてもらったのは、万が一にも君たちが死んじゃわないようにだし」
「師匠はどうするつもりだったんですか?」
「グレイを助けるために、群れの中に飛び込んで、死んだ……ってことにしてもらおっかなーって。たはは」
話しちゃったから、完全犯罪とはいかなくなっちゃったけどね、と。彼女は笑った。
全然、笑い事じゃない。
「ふざけんなよユーリ。君は……俺たちに、君を見殺しにして、置いていかせるつもりだったのか」
「んまあ、そういうことになるかな。シア様には、謝っといてね」
驚くほど、冷めた声音。彼女は自分のやりたいことと、貴族としての責務を天秤にかけて、自分を死んだことにする決断をしたのだろう。
トゥルサフィア家に迷惑はかかるが、ブロノーレ侯爵も、嫡子を危険地帯に送り込んでいる手前、表立って伯爵家に文句は言えないはずだから。
「さて、ボクの目的はこんな感じだよ。話しちゃったからには、協力してもらうからねー?」
「……仮に、上手くいったとして。グレゴリー氏は納得しないのでは」
「うーん……どうだろうね。グレイは、捻くれてて、素直じゃなくて、何にも相談してくれないけど。でも、ボクはあいつが被害者ってことを知ってるから。案外、全部放り投げて、一緒に暮らしてくれるんじゃないかな」
「師匠は、彼が好きなんですね」
「まーね。破棄されちゃったけど、婚約者だったし」
婚約破棄された当時は、貴族の責務から解放されて清々した、などと言っていたが、やはり動揺の表れであって、本心ではなかったようだ。
それもそうだろう。婚約破棄は不名誉だが、貴族令嬢である限り、結婚しないという選択肢は基本ないと、聞いている。
ならば、グレゴリー氏との婚約が解消されても、いずれは誰かと結婚しなければならないし、その条件は今よりずっと厳しいものになることは明らかだ。
貴族が嫌いなユーリ師匠にとって、好きな人と結婚できることこそが、幸せを掴む唯一の方法で。
だから、これから国を敵に回して逃避行をする、なんて言っているのに、彼女の雰囲気は穏やかで、どこかワクワクしているように感じた。
「俺は、協力できない」
「フレディ……」
「アイゼンはいいのか?仲間が、国を敵に回して逃げる生活を始めるって言ってるんだぞ?しかも、作戦自体も危険だ。下手をしたら、死んだことにするじゃなくて、本当に死にかねない」
「じゃあ、フレディには他にいい案があるわけ?」
「もっと話し合いを重ねれば、妥協点だって見つかるかもしれないだろ」
「そんなことで済むような世界じゃないんだよ。君にはわかんないだろうけど」
再び、空気が悪くなっていく。
さすがに、ここが危険地帯であることはお互い理解しているためか、声を荒らげるようなことはないが、リスクは高い。
「二人とも、落ち着いて。ボアやグレゴリー氏に気づかれたら、全部台無しだよ」
「だが……!」
「アイゼンはボク側でしょ?フレディのかったい頭には、君も苦労してたし」
だめだ。僕では止められそうにない。
頭を抱えたその時に、小さな火と共にユージーン先生が戻ってきてくれた。
「話は終わったかな?」
「終わってない……!」
「もう、終わりだよ」
食い違うフレディとユーリの言葉に、先生は苦笑する。
「もう遅いから、眠ろう。見張りはフレデリク君、アイゼン君、トゥルサフィア君、私の順でいいだろう」
「わかりました」
まだ何か言いたげな相棒の肩に手を置いて、僕は頷いた。
理想を追い求める彼のやり方は美しい。けれど、この世には綺麗事で回らないことも、やっぱりあるのだ。
一度、頭を冷やして欲しい。
幸い見張りの順番は問題なく回り、その日の夜は無事に過ぎていった。
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