第六十九話 ユーリの理由(前)
圧巻、というより他はない。
平原に点在する泥地。レイジングボアたちは、普通の猪と同じく、そこで泥浴を行う。
グレゴリー氏と護衛二人は、ピンポイントで泥浴中のボアを狙っていた。
もちろん、耳の良い彼らは、近くで同族が殺されたことに気が付き、近づいてくる。
だが、決して相手をしない。近くの藪や低木、時に泥に塗れることを厭わず、狙った個体以外とは戦わない。
針の穴を通すような作戦でもって、淡々と狩っていく様は、ある種異様な執念すら感じさせた。
「……俺たち、必要だったか?」
陽が落ちた後も、彼らは油断せずに平原の端まで移動してから、野営を始めた。
僕たちも彼らに気づかれぬよう、距離を保ちつつ、寝袋を用意する。
いくらか戦闘はあったとはいえ、基本的に隠密行動のために疲労が少ないので、必然僕たちは眠れず、護衛対象について話が弾んだ。
「あれを見せられたら、そうも思うよね」
今のところ、僕たちが必要になるような危機はないどころか、そうなる気配すらない。
軽装の騎士二人の優秀さもさることながら、グレゴリー・ブロノーレを平凡と評することが間違っていることは、明らかだった。
「ふーむ。私も、ブロノーレ君が平凡、という意見には否定的だったが。さすがに、ここまでとは」
「ユージーン先生でも、計れていなかったんですか」
「侯爵が彼に失望し、追い込んでいるというのは、事実無根の噂だったように感じてしまうよ」
長く彼を指導していた教師でさえ、乾いた笑いをこぼす。
僕たちの中で最もグレゴリー氏を知っているであろう、元婚約者のユーリ師匠は、やはり驚いてはいないようだった。
「ユーリは、知ってたのか?」
「まーね」
夜行性の個体を呼び寄せないように、焚き火は起こしていない。そのため、彼女の表情は見えないものの、声音はどこか、懐かしむようなものだった。
「ギーノが天才だとしたら、あの男は秀才。対策、作戦、反復の三つなら……王国有数だよ」
「……でも、ブロノーレ侯爵には認められないんですね」
「地味なんだよ。ホントさ」
そこに、馬鹿にするような響きはない。
憐れむような、愛おしむような。やはりユーリ師匠は、グレゴリー氏のことを大切に思っていると、改めて感じさせられた。
「トゥルサフィア君は、ブロノーレ君の実力をきちんと理解しているなら、なぜこの依頼を受けたのかな?」
「せんせーには言ってなかったっけ。グレイに文句を言いたいからだよ」
「……君がサーシア王女殿下の元へ行く前に、ブロノーレ君に会いにいったと、私は聞いたよ。そこでは、言わなかったと?」
レベッカさんからの手紙を読んだ後すぐ、ユーリはどこかに行っていた。
ハイライトの消えた目で戻ってきたかと思ったら、手のひらを返して依頼を受けることを決めたため、なにをしていたのかと、疑問だったのだが。
グレゴリー氏に会って、なにを話したのだろう?
「トゥルサフィア君。君の目的はなんだ?場合によっては、私は教師として、君を止めなければならない」
ピン、と張り詰める空気。ユージーン先生は、彼女を疑っている──とまでは言わずとも、嫌な予感を抱いているのかもしれない。
「ボクが、どさくさに紛れてグレイを殺すとか、考えてるんですかね?」
「おい、ユーリ」
明らかに喧嘩腰な師匠を、思わずフレディが咎める。
あの手紙を受け取って、グレゴリー氏に会って、依頼を受けてここに来て。最近の彼女は、いつも張り詰めていて、余裕がない様子だった。
今はそれが、顕著に出ている。
「師匠。僕たちは今まで、一緒に考えて、話し合ってパーティーの方針を決めてきましたよね。でも、今回は僕たちが師匠を巻き込んだとはいえ、師匠が全部仕切ってる」
「別に、全部話せなんて言わない。けど、目的とか動機がわからないと、俺たちだって安心して、君に背中を預けられない。信頼は、会話の上に成り立つものだと俺は思う」
暗闇の中で、フレディと僕は、ユーリを見つめた。
僕にも、話せていない秘密はたくさんある。だから、彼女の隠していることを全部知りたいわけじゃないし、聞き出すつもりもない。
けれど、今の師匠はやっぱり、どこかおかしくて、僕はそれがとても、心配だった。
「……周りの警戒はちゃんとしてよね」
「それは、私に任せてくれていい」
ユージーン先生は立ち上がると、手の中に小さな火を灯した。
ユーリ師匠の目的に関する話を切り出したのは彼だが──たぶん、僕たちに気を遣ってくれたのだろう。
「何から話せばいーい?」
「君が不機嫌な理由……で、いいか?アイゼン」
「うん」
夜中の平原は静かで、僕たちの話し声だけが、この世界に存在する音の全てのようにすら、感じた。
「お母様の手紙、読んだでしょ。グレイとブロノーレ侯爵家は、ボクとの縁談を蹴って、おねーちゃんに婚約を申し込もうとしてる。というか、ここから帰ったら間違いなく公表される」
「僕はあんまり、貴族家の関係をくわしく知らないんですが。それって、面子を潰してるよね」
「そうだな。いくら家格に差があっても、こんな無体はそうそう許されるものじゃない。先方には、剣聖に喧嘩を売るだけのなにかがあるってことだろ」
ユーリとマグダレナさんの父、剣聖ゲオルグ伯。
家督を継ぐ前は、近衛騎士団で団長を務め、伯爵となってからも、当代最強の実力を不動のものとしている人物。
僕にとっては、北の結晶塔の探索記録の方が馴染み深い。歴代最長、三ヶ月もの探索で、結晶塔内部の地図を大きく埋めた、生ける伝説だ。
国王の信も篤いそんな人物の顔に、真っ向から泥を塗るような今回の件。
貴族のいなかった現代日本出身の僕でも、それがいかに異常な事態であるかは、わかっているつもりだ。
「二人は、王都の東と西で、なにか違いは感じた?」
「東と西って……壁の外の話だよな」
「うん」
「僕の訪れた範囲では、東の貴族領と王都の間には、山間部があるのに対して、西はなだらかで、平原が広がっているとか。あとは、東の方が比較的魔物が強力、とかでしょうか」
後半は、イェル領とトゥルサフィア領の差だから、ユーリ師匠の言う東と西の違いには当てはまらないかもしれない。
前半の分析には自信があるけれど、それと横車の婚約騒動になんの関係があるのだろう?
「アイゼンの考えはあってるけどー、完璧な正解じゃない。その地形のせいで、西にはあって東にはないものが、あるよね?」
「鉄道、蒸気機関車?」
「……そうか、あれの運営をやってるのは、運輸省。ブロノーレ家だったな」
汽車に揺られながら、ユージーン先生に話を聞いていたからだろう。フレディはすぐに、話のつながりを見つけた。
僕も、遅れて気づく。結晶塔で手に入った魔炭を集め、ブロノーレ侯爵家が、国家プロジェクトの名目で、鉄道敷設を行なっていることに。
「その通り。で、西にあって東にないのは、山のせいってわけだよ」
確かに、王都からイェル伯爵領都までは、カーブも少ない平坦な場所をずっと通ってきた。
王都から東に鉄道を伸ばそうとすれば、スイッチバックを駆使して山を登るか、危険なトンネル工事が避けられない。リスクとリターンが釣り合っていないのだろう。
「だから、次の鉄道敷設は、南側……港町までっていうのが、今の主流。でもね、ボクがおねーちゃんとの婚約なんてって、グレイをボコしに行ったらさ」
自分とマグダレナ様の婚約が成れば、父の権限で次の鉄道を東側に、という意見を通すと。そう、言われたようだ。
「それを聞いて、ボク、なんにも言えなくなっちゃった。ホント、貴族って嫌」
心底嫌そうに、けれど、苦悩を滲ませる彼女。
そこにいたのは間違いなく、貴族令嬢、ユレニア・トゥルサフィアだった。
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