第六十八話 グレゴリーの実力

 イェル伯爵領都は、牧歌的な雰囲気の町だった。

 トゥリアと違って、交易の拠点として賑わっているといった趣ではなく、穀物の集まる倉庫が立ち並んでいる。

 情報収集のため、顔を出した冒険者ギルドも、東の辺境や熊森などの危険地帯が近いトゥルスライトよりも活気がなかった。

 観光客は多く、町全体に活気はあるために、少し意外だ。


「農業関連の依頼を受ける冒険者ばかりで、ボア狩りをしばらくやっていなかった、と」


 聞き込みの結果を反芻するように、フレディが言う。

 この街における冒険者の立ち位置は、農作業における力仕事を請け負う日雇い労働者、または家畜に寄ってきた肉食動物を追い払う役、といった風だ。

 結果、魔物化した動物に対応できる人間が街を離れたり、高齢化したりしていき、定期的に行われていたレイジングボアの狩りが行われていないという。


「サーシア様の懸念は、群れが大きくなりすぎている可能性がある、ってことだったのかな」


「たぶんな。すごい情報収集能力だよ、さすが王族」


 僕たちが汽車で着いた時、グレゴリー氏はまだ町に到着していなかった。

 そこで、ユーリ師匠が町の門で街道を見張り、ユージーン先生は引き続き近辺の魔物についての調査をして、僕とフレディは町の中を見回っている。

 見回りの一番の目的は、ボア狩りに参加したことのある冒険者探しだったが、成果はなかった。


「来たよ」


 昼下がり。街に近づくグレゴリー氏と護衛の姿を、ユーリが発見したことで、僕たちの仕事は本格的にスタートした。

 前衛職と思われる二人の男を連れた彼は、遠目に見てもどこかピリピリしているように感じる。

 バレるわけにはいかない僕たちは、必然、大きく距離をとって、レイジングボアの目撃情報を集め始めたグレゴリー氏を観察した。


「ユージーン先生、どうですか?」


「明確な手がかりや、情報は得られなかった。私の調べられた限りでは、レイジングボア以外の魔物が出現する可能性は低い、が」


「が?」


 僕たち三人の元へ、後から合流した先生は、魔物の情報に関して、言い淀んだ。

 正確でないことを生徒に教えることが好きではないと、前に言っていたから、きっと不確かな内容の情報を掴んだのだろう。


「先生のポリシーは知ってるけど、ボクたちは今、非常事態にいることを思い出して。情報共有を怠って、死ぬのはあの男だよ」


「トゥルサフィア君に諭される日が来るとは。すまない、私も鈍っていたね。……伝承、とも言い切れないような噂話なのだが、ボアを長く狩らないと、空から影が現れて、ボアと一緒に家畜を攫う、という話を聞いてね」


「捕食者、それも巨鳥でしょうか」


「おそらく。だが、この近辺で、レイジングボアを捕食するほどの、空を飛ぶ魔物は観測されていない。眉唾、と思うべきだと、私は判断した」


 二メートル近いサイズを持つレイジングボアを獲物にするなど、あのバレルグリズリーにも難しいだろう。

 いないに越したことはない。いない可能性の方が高い。けれど、全く対策しないわけにもいかない。僕たちは町で、投げナイフと、師匠が使えるという弓矢を買って、草原へと繰り出した。



 領都郊外の草原は、広大だった。

 見渡す限りに人工物はなく、下手をすると山手線の内側ほどの広さがあるのではないだろうか。

 あちらこちらに低木が見られるが、かなり見通しはいい。しかし、所々に泥沼があるようで、グレゴリー氏たち一行は、足元に気をつけながら、進んでいる。


「ユーリ、ボアの気配はわかるか?」


「うーんと……向こうの泥沼に三頭。あっちの藪に四頭いるのは分かるけど、それ以上はちょっと」


 師匠の気配感知はどういう仕組みで行われているのか、よくわからない。

 この世界の強者たちは、魔の気の揺らぎや溜まっている場所を見分けたり、匂いを感じたりしているらしいのだが、彼女にやり方を聞いても「びびっと来るんだよね」「虫の触覚のように髪の毛で感じて」とか、いつも通りのふわふわ指導が飛んできた。

 ただ、間違いなく言えるのは、師匠の感知の精度が高い、ということだ。


「先生、この平原にいるレイジングボアの数は、どのくらいの予想ですか」


「ふーむ。最低でも五十頭、多ければ二百頭あまりはいるだろうね。データが少ないために憶測だが」


「それだけの数が、もし一斉に突進してきたらと思うと……ぞっとするな」


 レイジングボアは魔物化の影響で、牙が大きく鋭くなり、筋肉の発達によって突進力が増している。

 時に、圧縮された魔の気によって、牙の先が赤熱化することもあるようで、まともに受け止めれば、全身鎧の重装騎士でも無事では済まないそうだ。


 グレゴリー氏は軽装の剣士スタイル、護衛の二人も盾こそ持っているものの、鎧は急所を守る程度で、受け流しで対処を目論んでいることは僕にも分かる。

 当然、数を相手にすることはできないだろう。


「師匠。僕たちでボアを誘導して、数体ずつ戦わせてあげられませんかね?」


「リスクが高すぎるよ。ボクたちは隠密行動中だということ、忘れないでよね」


 ハラハラしながら見守っていると、グレゴリー氏が泥浴びをしていた個体に気がついた。

 三人は剣を抜き、速度を落として近づいていく。


「とりあえず、見守るしかないな」


「うん」


 泥沼のすぐ近くまで近づいた彼らは、レイジングボアのうち一頭が、泥浴びのために体を倒したタイミングで、飛びかかった。

 グレゴリー氏が素早く横になった個体の首に剣を一刺し。護衛二人は、彼を他の二頭から守るように、立ち回る。


「Bumooooo!」


 驚くべき切れ味で、グレゴリー氏の剣は一撃の元にボアの首を落とした。

 仲間が殺されたことに怒った二頭が、突進を始めようとするが、足元が泥沼であるために、加速が上手くいっていない。

 それでも、長く鋭い牙を掬い上げるように護衛へ向けたが、彼らは持っていた剣を自在に操り、それを受け流していった。


「……すごい」


「ああ。正直、予想以上の腕だな」


 思わず漏れた感嘆の声に、フレディが同意を返す。

 ユージーン先生も、感心したように戦闘の様子を見ているようだ。ユーリは、相変わらず無表情だが。


 泥の上での戦闘に、危なげなく勝利した三人は、一息つく間もなく次の獲物を探し始めた。

 結局、その日は夜になるまで、グレゴリー氏が怪我を負うことすらなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る