第二十七話 初めての模擬戦
翌日。まだ朝日が昇って間もない時間。僕は日課の走り込みをこなした後に、ギルドにやってきていた。
この朝夕の走り込みにも、かなり慣れた。
特に、あの戦いで龍の炎に触れた後は、前よりもずっと体が軽いような感覚があって。少しだけ、それが怖い。
「おはようございます、ギルド長」
「おはよう。よく眠れたかい」
「はい」
依頼の報酬が出てから、僕はギルドの二階の雑魚寝宿を出た。
移った先は、一角亭の二階。朝昼の食事は節約のためにグレードを下げたが、それを補って余りあるほどに、ベッドは眠りやすく、絶品夕食の割引がありがたい。
「じゃ、行くよ」
ギルド長の先導で、人通りの増え始めてきた道を歩く。
いつも走り込みをする頃は、街の人も冒険者もまだ目を覚ます前で、道を歩く人はほとんどいないが、太陽の高さが城壁の二倍に差し掛かるくらい──九時半にもなると、商人の馬車もちらほら走り始めていた。
「相手って誰なんですか?」
「行ってみればわかる」
「場所は?」
「着いてくればわかる」
なにを聞いても、おばちゃんから返ってくるのはそんなふわっとした解答ばかり。
トゥルスライトの街は、僕が知る限り治安がいいし、突然ガラの悪い人たちの中に放り込まれるなんてことは、ないと信じたいけれど。不安だ。
キョロキョロしながら歩いていたら、一つ気づいた。
この道、フレディと鍛錬を始めた日に、東門と北門の間の広場に行った時に通ったのと同じだ。
高さも幅も乱雑な家の間を抜け、細い道を進んでいく。
少し前までは鍛錬の時もフレディと一緒だったため、この道もよく通っていたのだが。今ではあの広場も、ただの通過点だから、ずいぶん久々に行くような気がした。
「フレディ」
「おはよう、アイゼン」
果たして、広場に立っていたのは、予想通りというべきか──僕の相棒、フレデリクだった。
「良いんですか、ギルド長」
「なにがだい?」
「フレディがわざと負けるかもしれないのに」
「それでも構わないさね。あたしが見るのは、この模擬戦の勝ち負けじゃない。ババア舐めんじゃないよ。戦いを見りゃあ、あんたが本当にクラスカードを渡すにふさわしいかくらいわかる」
ふん、と鼻を鳴らし、ギルド長は僕たちに構えるよう、促した。
僕は予備で借りている短剣を。フレディは訓練用に刃を潰された大剣を。それぞれ構え、向き合う。
「てっきり勝てと言われるものかと」
「さっさとやりな」
「はい。それじゃ、いつでもいい?フレディ」
「ああ。……俺は勝つつもりで行くぞ」
騎士風の構え──両手で握った大剣を耳の横で立て、彼は真剣な表情でそう言った。
そんな顔で言われたら、僕だって勝つつもりでやらなきゃ、失礼だろう。
「うん。行くよッ!」
合図もなしに、短剣を逆手に握り、僕は土の広場を勢いよく駆けた。
先手は絶対に取れる。体勢をぐっと下げた僕に、フレディは振り下ろししか合わせられる技がないだろう。
でも、大剣は一度下げてしまうと、再び攻撃に移るまでに隙ができる。だからこそ、彼はそれを選ばないだろう。
「ふッ!」
足を斬りつけようと、右手を振る。必ずかわされる。だから、相手の剣は見ない。攻めて、攻め切る!
「シッ!はあッ!」
読み通り、フレディは足を下げ、僕はステップを踏みながら、追い縋る。
体を起こしちゃダメだ。横薙ぎがくる。
突きを交える。僕の短剣はリーチがない。だからこそ懐に潜り込み、大剣の間合いにさせない。
ざっ、ざっ、フレディはただ下がる。僕はそれを追い、斬りつける。
僕の斬撃は当たらず、彼の剣を振るうには近すぎる。そんな、膠着状態。
「くっ!?」
それは、長く続かなかった。太ももへの突きを、フレディは後ろに避けず、足を大きく開いて対処した。
彼は止まり、僕はまだ前へ進もうと地面を蹴ってしまった。
ぶつかる!と思う間も無く、背中に衝撃が走る。おかしい、剣の間合いではないはず。
地に落とされながら、僕はすぐさま跳ね上がる。
押さえつけられる前に、早く、早く。股の間をすり抜け、体を起こしてから、振り返る。
「速いな」
「ユーリ師匠ほどじゃないよ」
剣は振り下ろされていなかった。
僕の背中に走った衝撃は、もっと軽い──籠手で殴られたか。
「……ふうッ!」
今度は、フレディが攻めを展開する。
一度リーチの差を押し付けられれば、僕に成す術はない。
斜めの斬り下ろし、腰の捻りを使っての斬り上げ。流れるような連撃に、僕は大きくバックステップをするしかない。
だが、彼は追いかけてこない。残心をするように、再び最初の構えへと戻るだけ。
「来ないの?」
「俺は、君がやられて一番嫌なことを知っている」
悠然と佇む彼に、僕は苦笑する。
最初に戦った狼も、その後もハンガーウルフも、僕はカウンターで倒した。
こちらに向かってくる相手の間合いを、さらに潰す形で前に出て、一撃見舞う。それが、今のところ僕のスタイルだ。
リーチを生かして「受け」に徹する。なるほど、フレディのそれは、僕が一番やりづらい戦い方だった。
「待ってるだけじゃ、楽しくないんじゃない?」
「俺を戦闘狂だとでも思ってないか?楽しさなんて、あってもなくてもいいものさ。勝つ、守る。それが、俺の戦いへの向き合い方だよ」
挑発も涼しげに流される。これはなかなか、苦労しそうだ。
「ふう……シッ!」
この模擬戦の目的は、僕の力をギルド長に見せること。
やりづらい相手だからって、逃げたり、待ちに入ったりしたって、意味がない。
僕は呼吸を整え、大剣の間合いへと飛び出した。
右へ、左へ、反復横跳びの要領でステップを踏んでいく。できるだけ狙いを定めさせないように。
でも、このやり方では、横薙ぎには対応できない。
「おおおッ!」
それをフレディももちろんわかっている。
全身の力を使っての、右から左への斬撃。刃が潰されているとはいえ、あの勢いで鉄の塊をぶつければ、怪我は免れないだろう。
だから、避ける。下に?いいや、上に!
「りゃ、あああッ!」
模擬戦が始まって以来、僕は体勢を低く保ち、フレディの足を狙い続けてきた。
短い時間だが、自分を下から狙ってくる相手と戦い続ければ、注意や意識が下へ向いてしまうことは避けられない。
今までならば屈んで避けていた攻撃を、突如跳んで避ければ──さらに、その勢いを攻撃に転じれば。
「なっ、くそッ!」
実力差がある相手でも、一撃くらい、なんとか入れられるものだ。
「はぁ、ふぅ……どう?」
「ははっ、これはしてやられたな。俺も修行が足りない」
体の動きは、ハンガーウルフを奇襲した時のものを、改良した。
もちろん、この意識誘導は、フレディよりももっと強い人間や、高い知能を持つ魔物には通じない可能性が高い。
だけど、低姿勢からの速攻を主体とする、短剣使いの僕にとって、この跳躍からの飛びかかりは、心強い武器なのだった。
「俺はまだ負けてないぞ。プレートメイルの上から一撃もらっただけだ」
「わかってる」
彼の言う通り、僕の攻撃では、金属鎧や分厚い毛皮を貫通できない。
だからこそ、工夫を。狙うは、関節部分──。
「そこまで!」
「え、終わり?おばちゃん、そりゃないぜ。これからってとこなのに」
こくこく頷く。フレディとの、本気一歩手前の手合わせ。僕も彼も、この機会に高揚していた。
「黙りな。あんたたちは明後日、王都に発つんだろう?ここで怪我してちゃ、世話ないだろうよ」
「それもそうでした……すみません」
模擬戦を続けられないのは残念だが、本来の目的はギルド長に実力を見てもらうこと。
彼女が納得したのであればと、僕は渋々予備の短剣を鞘にしまった。
「そんで?どうだった、俺の相棒はさ」
「ふーむ。……悪かないね」
ふっ、と笑う彼女に、僕は心の中でガッツポーズをする。
この一ヶ月の、血の滲むような鍛錬は、無駄ではなかったのだ。
「だが、まだ一人でCクラスとはいかないね」
「え、っと。じゃあ、僕はDですか」
「いいや。冒険者のクラスは、個人だけじゃなく、パーティーでもつけられる。あんたには、パーティーでCクラスを認めるカードを渡してやるよ」
「ありがとうございます!」
一瞬落とされかけて驚いたが、無事僕もCクラスとして認めてくれたみたいだ。
ギルド長に勢いよく頭を下げてから、もはやお約束になったグータッチを、フレディと交わした。
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