第二十五話 鉄を鍛える。心を錬える

 レベッカさんとジム氏、ユーリ師匠が病室を出てから、ようやく僕とフレディは退院することができた。

 長話をしたせいか、昼を過ぎており、僕たちのお腹は大きな音を立てた。


 味付けの薄い病院食をしばらく食べていたため、一角亭──街中で依頼を受けていた時、僕がフレディに奢っていた店──の骨つきステーキは、全身の血を沸き立たせたといっても過言ではない。


「アルさん、怒らないよね……?」


「大丈夫だろ。あの人、一回打ち終わった剣に興味ないし」


 いつかと同じく食事を終えてから、二人でアルさんの店に向かっていた。

 後で正規の値段を払うと約束したとはいえ、格安で売ってもらった短剣を、僕はバレルグリズリーとの戦いで駄目にしてしまった。


 南の壁に張り付いた店舗に、恐る恐る入るも、案の定店先に墨色の髪の女性はいない。

 代わりとばかりに、棚の前には不恰好なカカシが立っており、奥の工房から、カーン、カーンという鉄を打つ甲高い音が聞こえてきていた。


「あいつ、ついに人形に店番させ始めたのか……」


 頭を抱えるフレディ。そういえば、二人はどうやって知り合ったのだろう。

 彼は僕を相棒と呼んでくれるが、僕は全然彼のことを知らないのだと、ふと気づいた。


「アルさん!こんにちは!」


 店の奥に入り、炉に向かってしゃがみ込むアルさんに気づいてもらえるよう、大きな声で名前を呼ぶ。

 それでも、しばらくはこちらを見てもくれなかったのだが、肩を叩くとさすがに振り向いてくれた。


「ん、んゥ……?アイゼンくんかァ。いらっしゃい」


 相変わらず顔には煤がついており、作業着は元の生地の色がわからないほどに真っ黒だ。


「よっ」


「フレディも来てたのかァ。どうした?研ぎかいィ?」


 後ろめたさを抱えながらも、僕はそっと短剣を鞘から抜いて渡す。

 アルさん謹製のそれは、柄の造りが溶けて変な形で固まっており、刃もこの短期間では考えられないほどに、ボロボロになっていた。


「こりゃまた、随分な様子だねェ」


「すみません」


「……ふゥむ。ここまで溶かそうとォ思ったら、相当なァ高温が必要だろ。なにがあったのさァ?」


 僕の魔法──龍の魔法のことは、無闇に言いふらさないことを決めている。

 だけど、この人に真実を隠してしまうのは、不誠実だと思う。僕はフレディと相談して、アルさんにはあの炎のことを話すことにしていた。


「僕たち、バレルグリズリーと戦ったんです。これ、証拠です」


「ほゥ」


 渡したのは、あの巨腕に生えていた爪。これは、短剣を駄目にしてしまったお詫びのつもりだ。


「私は詳しくないけどォ、これだけデカい爪じゃ、強かったろゥ」


「はい。死にかけて、それで……えっと、魔法みたいなものを、使えるようになって」


「魔法ねェ……」


 しげしげと短剣を観察しつつ、彼女はそう呟いた。

 魔法使いは希少な存在であり、聞くところによると、そのほとんどが貴族らしい。

 フレディも、たぶんアルさんも、実際に魔法使いに会ったことはなく、魔法も見たことがないのだろう。


「それでェ?」


「僕の体から上がった炎で、柄が溶けてしまって」


「ふんふん、こいつをォ、溶かすほどの熱かァ。……アイゼン。今は出せるゥ?」


「使いたいん、ですけど。代償っていうか、その魔法を使おうとすると、全身が燃え盛るみたいに熱くて、なりふり構わず暴れると思います」


 あの戦闘の後、まだ僕は魔法を使っていない。

 そもそも、どうしたら使えるかもあやふやだが、できれば使いたくないという気持ちが強く、使おうと念じたこともないのだ。


「そりゃァ困ったな。ここじゃ、まだ打ち終わってない鉄がたァんとある」


「おい、アル」


「まァまァ、そう怖い声ェ、出さないでおくれよ。別にィ、アイゼンを信じないってワケじゃァない」


 そう言うと、アルさんは立ち上がり、工房の隅から、真っ黒な金属の塊を取り出してきた。


「実際の火力がどなのかァ、わかんなくってもさ。あの剣を溶かすほどってェ言うんなら、だいたいわかる」


「それは?」


「魔鋼って奴さァ。鉱山に埋まってる間にィ、魔の気をたっぷり吸った鋼だよ」


 彼女の手にあるインゴットは、艶消しされた刃のよう。

 金属の塊を、こんな形で見るのは初めてだが、ここから武器へを変わっていくのだろう。


「君に必要なのはァ、溶けない剣ってェことだろ?いいね、いいね、面白いよォ」


 怪しげな笑みを浮かべたアルさんは、魔鋼を躊躇なく炉の中に放り込んだ。


「それもちょうだいな、短剣」


「あ、はい……えっと、新しい剣を作ってくれるん、ですか」


 何の説明もなしに作業を始めてしまった彼女に、思わず疑問が漏れる。

 まだ、溶かしてしまった短剣の、正規の値段も払えていないのに、新しいものを作ってもらうなんて。申し訳ないというか、甘えてしまっていいのだろうか。


「私はねェ、剣が打てればそれでいいんだァ」


「はあ」


「でもさァ、人間ってェのはね、どうしても、上へ上へ、いいものをォって考える生き物なんだよ」


 炉にふいごで風を送りながら、彼女は独特なイントネーションで、ぽつぽつと言葉を重ねる。

 フレディは黙って腕を組んだまま、目を瞑っていた。


「昨日打ったものよりも、切れる刃をォ。先週作ったものよりも、頑丈な刀身をォ。去年よりも、強い剣をってねェ」


 アルさんは鍛治のことだけを言っているけれど、きっともっと他のことでも同じなんだろう。

 冒険者たちは、昨日よりも強い魔物と戦いたがる。商人は常に高い利益を追い求める。誰だって、昨日より良いものを、良い生活をと、手を伸ばす。


 僕はどうなんだろう。橙色の炉を見ながら、ふと思った。


 この心の根底にあるのは、日本に帰りたいという望み。

 そのために王都へ行きたくて、そのために強くなりたくて。そうやって逆算して、今欲しいものを決めている。

 僕のこれは、たぶん向上心じゃない。

 日本にいた頃だって、少しでも「より良いものを」という望みを抱いたことがあっただろうか。


「アイゼンの炎に負けない、強い短剣を作るからさァ」


 力強い言葉を最後に、アルさんは黙ってしまった。

 彼女にとっては、炉と、鉄と、槌だけが世界の全てなんだろうなんて、そんなことを思った。


「行こう、アイゼン。また来る」


 アルさんの背中がやけに眩しくて、僕は目を背けた。

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