第十九話 極彩色の渇望

 体のあちこちから上がる悲鳴を無視して、僕は叫んだ。

 突然現れた二頭目の巨熊は、一頭目と同じように異常発達した腕で、フレディを横合いから殴りつけようとしており、僕の声が届いたとして、回避が間に合うかもわからない。

 それでも、なにもできない自分を許せないから。僕は壊れかけの体から、声を振り絞った。


「っ!?くうっ……!!」


 熊の拳が風を切り、彼の体が宙を舞う。

 だが、声を上げた甲斐あってか、直撃ではないように見えた。


 それでも、絶望的な状況であることに変わりはない。

 フレディは、一頭を相手するのにもぎりぎりだった。あのまま行ったら相討ちに持ち込めていたかどうか、というところだろう。

 それが、もう一頭。

 熊は恐らく、こちらの意識の外側を突く能力を持っている。今のところ初撃にしか使われていないが、もしその後の攻防にも使えるなら、いよいよお終いだ。


 僕は立ち上がれないほどの傷で、フレディも左腕を怪我している。

 正直、逃げることもできそうになかった。


「フレディ……!まだ、生きて、る……!?」


「ははっ……なん、とかな」


 転がってきた彼が、僕の近くで止まる。うつ伏せながら、しゃべることはできるようだ。


「助かった。君の警告がなかったら、はぁ、はぁ、死んでたかもな」


「伝わって、よかったよ」


 木に背中を預け、座り込む僕と、地面にうつぶせのまま、ぴくりとも動かないフレディ。

 とっくに限界の僕らを見て、熊が離れていくことを期待したが──どうやら、そうもいかないらしい。


「……すまん、アイゼン」


「謝ら、ないでよ。僕が最初に、攻撃を受けなかったら……げほっ」


 咳には血が混じり、いよいよ死が歩み寄ってくる。

 不思議と恐怖はなかった。

 勿論、家に、故郷に帰りたいという気持ちは、変わらない。だけど、自分を「相棒」なんて呼んでくれた、本当に久々にできた友人と、冒険の末に命を落とすのなら──それも、悪くないかもしれない。


「Kuoouu」


 二頭の巨熊が、唸り声を上げながら、一歩、また一歩と近づいてくる。

 よく見れば、後からやってきた方の個体の体には、あちこちにべったりと赤い返り血がついており、所々毛皮が引き裂かれてた。

 僕の予想は、間違っていなかったようだ。


「目は、瞑っておいた方がいい。冒険者は……ぐうう……みんな、そう教わる」


「わかった、よ」


 言われるままに目を瞑る。

 フラッシュバックするのは、日本での思い出ではなく、この世界に来てからの記憶ばかり。まだ一ヶ月も経っていないのに、ずいぶんとたくさんの人と関わって来たものだ。

 フレディ。ユーリ師匠。ジム氏、アルさん、ギルド長、そして──。


 ぞわり。鳥肌が立つ。

 ?確かに、依頼主や酒場で会った冒険者を含めれば、他にももっと出会った人たちはいる。

 だけど、五人ほどにお世話になった人は、他にいないはずだ。


 ザザザ、ザザザ。記憶の再生に、ノイズが走る。

 それはちょうど、酒場でジム氏に肩を掴まれる少し前。僕は自分の家の扉に手をかけて、それを開いた次の瞬間に──。


『渇望』


 瞼の裏に、極彩色がちらつく。


『渇望』


 真っ暗闇に佇む光。極彩色の光。


 僕はいつの間に夢の世界に落ちてしまったのだろう?

 気づけば、極彩色の光を纏った巨体を、僕は暗闇の中で見上げていた。


渇望ほしい渇望ほしい渇望ほしい


『孤独。孤独。孤独さびしい


 譫言のように、極彩色はことばを紡ぐ。

 日本語ではない。ドラコ語でも、ないと思う。その正体はわからないのに、僕は理解ができた。


渇望おまえがほしい


 青と緑と黄色と赤と紫と、さまざまな色がぐちゃぐちゃに混ざり合いながら、決して一色にはならない。

 巨体を震わせ、極彩色は僕にその口を近づけた。


拒絶しなせぬ


不許可しなせぬ不許可しなせぬ拒絶しなせはせぬ


 開かれた口の中は、血よりもなお赤く、真っ白な鋭い牙がずらりと並んでいる。

 この巨体が絶対者であることは、それを見れば誰もが悟る。そんな口だった。


『余が……』


 意味だけがなぜかわかる音が、日本語に変わる。

 慈悲にしては、どす黒く。粘着質な言葉が、僕を絡めとる。


『おまえを死なせはせぬ』


 巨大な口に飲み込まれる寸前、僕の目は、極彩色の巨体の全容を捉えた。

 それは「龍」。暗闇に翼を広げ、鱗に覆われた巨体はとぐろを巻き、燦然とそそり立つ角までの一切が極彩色の龍であった。

 。僕が、この世界で初めて出会った存在こそ、その龍だったのだ。今、思い出した。


「……はっ、はあ、はあ、う、ああ、ああああ、あああ゛あ゛あ゛゛!!!!」


 ばたばたと手足を動かし、背中を木に打ち付ける。傷だらけの全身をより痛めつけるように、目を開けた僕は暴れ回る。


「アイゼン!?どう、した……!?」


「ああ……あああ゛あ゛っ!!」


 見れば、巨熊はもう数メートルのところまで近づいてきていた。

 突然暴れ始めた僕を警戒してか、一度足を止めたようだが、彼らが僕とフレディの元へ辿り着くのはもうすぐのことだろう。

 そうしたら、殺される。ハンガーウルフのように。


 


 とにかく全身が熱い。今にも火を吹きそうなほどに熱い。熱い熱い熱い熱い。


「あああああ゛あ゛あ゛あ゛!!熱い!!熱い熱い熱いい゛い゛!!!!」


「アイ、ゼン……どうした、なにが、あった。答えてくれ」


 体を木に打ち付けても、痛くないあつい

 動かなかった右腕が、動くあつい


「アイゼン……!アイゼ、ン……?」


 フレディが、うつ伏せのまま僕の方を見ている。

 僕は燃えているのだろうか。自分の手を見ても、炎は見えない。でも、。これほど熱いのだから。


「君、その体の、色は……!?それ、に、背中に……!」


 ああ、そうだ。背中だ。最も熱いのは背中だ。熱い。燃えている。僕の背は火を吹いている。きっとそうだ。


「Kuooooooo!!」


 熊が突進してくる。どうでもいい。今はこの熱さしか考えられない。ああ、ああ!熱い!熱い!!


 僕はなんの抵抗もなく立ち上がり、熊の巨腕を正面から受け止めた。

 激しい衝撃が全身を揺らす。どうでもいい。熱さは消えない。なくならない。


「ううああああ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」


 熱さを振り払うように、腕を振る。

 三メートルはある熊の巨体を、僕は振り回し、投げ飛ばす。


「Kugyaaauu!?」


「Kuoooaaaa!!」


 すぐさまもう一頭が、僕へ拳を向けてくる。僕は熱さを吐き出すように叫び、走り、

 背中の炎が空気を焼きながら羽ばたき、驚く熊の鼻面を思い切り殴りつける。

 まだ、まだ、まだ。

 僕の体は、熱いままだ。

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