第十三話 熊森へ
翌朝。僕は早くに起きて、フレデリクと共にギルドで朝食を摂った。
これから向かうのはトゥルスライト西門を出て、昨日訪れた草原を少し歩いた先にある、熊森と呼ばれる場所だ。
名前の由来は、たびたび熊が目撃されていることであり、訪れる者に危険性を訴えかけるためだという。
動きを阻害しない程度の革鎧を着ているだけの僕とは対照的に、フレデリクは重厚な金属鎧と、鉄板並みの大剣を担いでおり、完全武装といった風だ。
「重くないの?それ」
「重くないって言ったら嘘になるけど、まあ慣れだな」
受けた依頼は、ハンガーウルフの討伐。
昨日僕が戦ったのは、はぐれた狼だったが、ハンガーウルフは魔物だ。あの狼が草原まで出てきたのは、ハンガーウルフが熊森で発生したからだろうと、ユーリは言っていた。
丘を下ると、鬱蒼とした木々が見えてくる。
王都へと向かう街道はぐるりとこの森を迂回しており、街の近くで探索が進んでいるとはいえ、危険なことに変わりはない。
僕は気を引き締め、短剣の柄を軽く握った。
「あんまり気負うなよ、アイゼン」
「そうは言っても、結構緊張して」
「ハンガーウルフは魔物だけど、行動パターンなんかはほとんど普通の狼と変わらないから、君でも一方的にやられるなんてことはないさ」
「うん。ありがとう」
「ただ、森の中でははぐれないように、俺の近くから離れないでくれよ」
「わかってる。後ろの警戒は任せて」
フレデリクは満足げに笑い、深呼吸をして森へと進んでいった。
僕も彼と一定の距離を保ちつつ、森へと入る。今回の依頼での僕の仕事は、後方警戒がメインだ。
ユーリにはまだほとんど斥候の仕事を教わっていないため、ハンガーウルフの痕跡探しは、フレデリクの知識と経験に頼ることになる。
そのことに少し悔しさを感じつつも、僕は警戒を始めた。
日本にいた頃、森といえばおばあちゃんの家の裏山だった。
春は山桜が咲き誇り、夏は蝉取りに駆け回り、秋は山菜をいただいて、冬は美しい雪景色を見せてくれた。
そんな裏山の森を最後に歩いたのは、もうずいぶんと昔のことで、なによりあの森はおばあちゃんと近所の人たちが、昔から手入れをしていたため、かなり歩きやすかった。
何が言いたいのかといえば。
「は、は、は」
「大丈夫か?休もうか?」
「いや……大丈夫。ちょっと、昨日の疲れが抜けきってなかった……だけだから」
僕は不甲斐なくも、歩き始めて一時間ほどで息が上がっていた。
熊森は起伏が激しく、足元に気をつけなければ、張り出した木の根に足を取られてしまう。
走り込みで体力がついたとはいえ、普段走っている街の中とは、歩きやすさなど比べるべくもない。
さらに、三百六十度どこを見ても緑、緑。地面にも苔類が群生しており、とにかく気が滅入る。
昨日のユーリのスパルタ鍛錬と、狼との戦闘で溜まった疲労も、僕にのしかかってきていた。
「あと三十分、痕跡が見つからなかったら休もう」
「……わかった。ごめん」
「気にすんな。俺もちょっと疲れてきたところだから」
とは言いつつも、フレデリクは金属鎧でこの森を歩きつつ、息が上がってもいない。
ユーリといい、彼といい、ジム氏といい、この世界の人は少しおかしい。
とにかく身体能力が高すぎるのだ。巨大な大剣を振るい、風のように走り、樽で酒を呑む。
僕が運動をしてこなかったから、というのもあるが、日本人の平均と比べても、大きな差があるように思える。理由が何なのかは、わからないけれど。
「……ねえ、フレディ。あれ」
「よく見つけたな。たぶん、やつらの足跡だ」
僕も冒険者になったんだ。ぼんやりと考えながら歩いていたわけじゃない。最近はこの世界に関する考察と、訓練や作業を並行でこなす練習をしているのだ。
そういうわけで僕が見つけたのは、日陰に残っていたぬかるみについた、いくつかの足跡だった。
「四、五匹だろうな。魔物は子供を作れないから、群れがまるごと魔物になったのかもしれない」
「魔物って繁殖できないんだ」
「ああ。仕組みはよくわからんけど、野生動物が魔の気に触れて変化したやつらが、魔物だからさ」
魔の気、とやらがなんなのかはわからないけど、ニュアンス的に魔法に関わるもののように感じる。
とにかく、発見した痕跡を辿れば、ハンガーウルフと遭遇できる可能性は高い。僕たちは休憩を取らず、森の奥へと進んでいった。
踏まれて倒れた下草や、木の根に残った爪の跡、時に足跡を見つけつつ、早足で追いかけた先には、盛り上がった木の根元に掘られた穴があった。
穴の大きさから察するに、ここに住んでいるであろうハンガーウルフは、体高1メートルはあるだろうか。かなり、大きい。
「どうする?追い立てる?」
「いや、待とう。今すぐに戦闘に入るのは疲労の面からして危ない」
フレデリクは手早く近くの木と木の間に布を張り、その上に葉を被せて簡易の拠点を作った。
しかし、荷物を下ろし、持ってきた携帯食を広げようとしたところで、「それ」は森に響き渡った。
「Awooooooooon!!」
「Waooooooooon!!」
「アイゼン!短剣を持ってすぐ木に登れ!」
巣穴の方から聞こえた遠吠え。今までで一番緊迫したフレデリクの声。
僕たちパーティーの初めての魔物戦は、こうして幕を開けた。
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