第十二話 初戦闘(後)

 ぱちぱちぱちぱち。

 狼の前で荒く息を吐く僕の耳に、そんな音が聞こえてきた。


「いやー、やっるね、アイゼン」


「師匠……こいつは、あなたが」


「おっと、ダメだよ。こいつはもう死んでるけど、動物や魔物と戦った後は、基本首を完全に落とすまで油断しちゃダメ!」


 そう言うと、彼女は肉厚の短剣を握り、包丁で肉を捌くかのように、狼の首を落とした。

 地面に血の池が広がり、思わず口を抑えようとしてようやく、自分の右手も同じように血まみれであることに気づく。


「うぷっ……」


「さすがに怪我しそうだったり、それでなくても一太刀入れられたりしたら、助けに入ろっかなーと思ってたんだけどね」


 いたずらっ子のような笑み、とはよく言うが、ユーリはそのまま、いたずらっ子だ。吐き気を抑えつつ、苦言を呈してみる。


「戦闘、初めてだったんだけど」


「上手くいったじゃん。すごいよー!」


「なんで隠れてたんですか」


「採集中にはぐれ狼を見つけたんだけど、さくっとやっちゃうより、君に相手をさせた方が成長につながるかなって思ったから」


「どんなスパルタだ……」


 彼女は僕と会話をしつつも、手早く狼を解体していく。

 図鑑によれば、彼らの肉は硬いが、毛皮は防具の補強材になったり、防寒具になったりするようだ。


「よーし、こんなところかな」


 ユーリ師匠は結構、顔立ちが整っている。そんな彼女が血まみれで笑っている姿は──別に美少女だろうがなかろうが関係ないが──猟奇的だ。


「うっ」


「あー!待って待って吐かないで。吐くと体力使うし、水分も失っちゃうんだから。慣れだよ慣れー!」


 血の赤が許容量を超え、リバースしそうになっていたが、ユーリは許してくれないらしい。ぽんぽんと背中を叩いてくれるのはいいのだが、その手は血まみれだ。

 初めての戦闘で上手くやれたこと、怪我もせずに勝てたことよりも、命を奪った感覚とか、血の滑りへの気持ち悪さの方が、僕の中では勝っていた。


「じゃ、帰ろーか」


「……はい」


 しかし、冒険者を続けていく以上、この感覚には慣れなければならない。気を取り直して、僕はユーリと共に、帰路へとついた。



「こんの大馬鹿が!」


 ギルドに戻って少しあと。ジム氏とフレデリクと合流しての、夕食の席にて。

 ユーリはジム氏のゲンコツを食らっていた。


「いったー!?ちょっと叔父貴、ボク、こう見えても乙女なんだけどー!?」


「うるせえ。新米を一人でほっぽった挙句、狼をけしかけるような奴が乙女なわけあるか!」


「災難だったな、アイゼン」


「まあ……なんとか生き残れてよかったよ」


「危なくなったら助けるつもりだったしー」


 相当不安だったし、危険だったけど、自分の成長を実感できたという面においては、狼の戦闘は僕にとっていいものだったと思う。

 彼女も僕の成長のため、と言っていたし。


「俺は誤魔化せねえぞ、ユーリ。おめえ、『窮地の弟子を助ける自分、カッコいい』とか思いながらやっただろ」


「いやだなー、叔父貴。そんなつもりは……ちょっとしかなかったよ?」


 訂正。この人はロクでもない。

 まあ、ともかく。戦闘をこなせることはわかったのだ。これからは街中だけでなく、外での依頼も受けられるんじゃないだろうか。

 そんな期待を込めて、僕はフレデリクの方を見る。


「ねえ、フレディ」


「ん、なんだ?」


「明日から僕も、君と一緒に街の外の依頼を受けてみたい」


 僕の希望を受けた彼は、少し思案するように、ジム氏とユーリの方を見た。


「ボクはいいと思うなー。アイゼンの動きは結構悪くなかったよ」


「しかしユーリ。兄ちゃんが戦った狼ははぐれだったんだろ」


「そうだね」


「実際に魔物と戦って勝てたわけじゃねえ。まだ早いだろ」


 ジム氏は酒の入ったジョッキを呷り、勝利の高揚に冷水をかけるように、そう告げた。

 確かに、あの狼は普通の野生動物で、魔物ではない。図鑑でも確認をとったし、ユーリにも聞いた。

 街の外での依頼全てに危険があるわけでは、もちろんないと思うけれど、いつ魔物に遭遇するかわからないため、ただの野生動物相手の勝利経験では、足りないということなんだろう。


「アニキの言う通り、君はまだ、はぐれ狼に勝っただけに過ぎない。まだ……」


「待ってよフレディ。確かに弟子くんは魔物とはやってないけどさー。そうやってずっと街の中に押し込んでたら、いつまでも実践経験が積めなくない?」


「それは、そうだが」


「君がついている上で、今日戦った狼が魔物化したやつと戦ってもらうくらいなら、いけるよ」


「お願いだ、フレディ。足は引っ張らない」


 師匠の援護射撃に合わせて、頭を下げる。

 フレデリクはジム氏の方をちらりと見るが、彼はスキンヘッドを掻きながら苦笑するだけで、なにか言葉を重ねる気配はない。


「わかった。だけど、三つ約束してくれるか?」


「うん」


「一つ。依頼は俺が選ぶ。二つ。俺から離れない。三つ。俺が逃げろと言ったら逃げる」


「了解。復唱した方がいい?」


「いや、わかってたら大丈夫だ」


 ユーリは「よかったねー!」とか、「フレディ過保護ー」とか言いながら僕にハイタッチを要求してきたが、やんわり断った。


「あ、叔父貴。ボクもついていっちゃダメ?」


「おめえ、忘れたか?明日は姉貴が来る日だぞ」


「忘れてた……」


 うなだれるユーリ。彼女はジム氏を叔父貴、と呼んでいるし、彼の姉ということは、ユーリの母にあたる人だろうか。


「それに、フレディとアイゼンの兄ちゃんは二人パーティーでこれからやってくんだ。おめえは師匠役だが、あんまり過剰に手助けしちゃあ、こいつらのためにならん」


「ちぇー、わかったよ。じゃ、頑張ってね、アイゼン。ボクは……明日の、準備、あるから」


 後半目が虚ろだったが、彼女は手を振って、ギルドから出ていった。


「アニキのお姉さんって、ユーリの母さん?」


「ああ」


「あのユーリが恐るってことは、さぞアニキに似て怖い人なんだろうな?」


「おいフレディ、どう言う意味だ?俺は姉貴に比べりゃ……いや、なんでもねえ」


 ジム氏は黙り込んで、ちびちびと酒を飲み始める。ジム氏のお姉さん、一体どんな人なのだろう。

 少し好奇心が湧いたが、明日の準備のため、僕は彼に挨拶して、二階へと上がった。

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