第十一話 初戦闘(前)

「覚えられたー?」


 十数分後、銀灰色の瞳で、師匠は僕を覗き込んできた。


「全部ではないですけど、ここら辺に生えてるものはなんとか、たぶん」


「おー、すごいね。かしこい」


 ふふっと笑って、彼女は僕の腕を取った。


「じゃ、初めての薬草採取……だよね?れっつごー!」


 ユーリに導かれるままに丘を越えると、真っ白い小さな花が咲き乱れる場所が見えてきた。


「問題!あの花は?」


「ハルジオン……かな」


 自信はないが、日本にも群生している植物だったはずだ。

 図鑑には、茎や葉を茹でて食べると美味いが、灰汁を抜けと書いてある。


「あたりー。ハルジオン自体は食べられるけど、花畑にくるのはあれ目当てじゃないことが多いよ」


「えーと……」


「まあ、実際見た方が早いかな!」


 ずんずんとユーリはハルジオンの花畑を進んでいき、その一角で足を止めた。

 すぐにしゃがみ込んでなにかを見つけたらしく、こちらに手招きし始める。


「ほい。冒険者のお目当てはこれー」


 彼女が指差した先には、周りが花を咲かせているにもかかわらず、未だ冬越え用の形である、ロゼッタを保ったままの株があった。

 よく見てみると、その中心に緑色の宝石のようなものがついており、親指の爪ほどはあるそれが、成長を妨げているようだった。


「あっ、これが『癒しの実』?」


「せいかーい。アイゼン、優秀だねー」


 癒しの実は、この世界ではありふれた植物らしい。僕は始めて見るけれど。

 この緑色の宝石を表面が硬くなるまで茹でて、冷やしておくと、回復能力を向上する薬になるのだと、図鑑には書いてあった。


「ハルジオンに限らず、一年草のロゼッタから栄養を盗むんだ、こいつら」


「植物、なんだよね?」


「うん。それは間違いないよ。このまま放っておくと破裂して、ちーっちゃい種を空に飛ばすんだ」


 なんとも不思議な植物だが、薬になるから冒険者ギルドで買取をしてくれるという。

 外での依頼中に、自分で下処理をすることもできるため、冒険者は癒しの実の生息場所と活用方法を覚えることが必須だ。


「この花畑はトゥルスライト近辺だと、結構有名な癒しの実の採集場所だから、あんまりないかもだけどー。とりあえず一、二時間くらい、競争といこう!」


 冒険者として結構先輩であるユーリに、採集対決で勝てるとは思えないが──まあ、何事もやってみるしかない。

 僕は図鑑を片手に、ハルジオンの花畑を彷徨い始めた。



 夕陽に草原が染められ始めている。

 だいたい一時間半は採集をしていただろうか。ユーリに借りた皮のポシェットは、緑色の実でいっぱいになってきた。

 そろそろ街に戻るべきだろうか、と顔を上げて辺りを見回すが、師匠の姿は見えない。


「あれ?ユーリ師匠ー?」


 花畑全体に聞こえるよう、走り込みで鍛えた肺活量で名前を呼びかける。

 しかし、彼女からの返答はない。

 首を捻り、周囲を見渡しながら少し歩いてみる。

 ハルジオンの花畑は夕陽に照らされて美しかったが、不安はどんどんと僕の中に積もっていくのだった。


「ユーリ師匠ー!ユーリ師匠ー!」


 がさり、という音が後ろから聞こえ、振り返る。

 だが、そこに彼女の姿はなく。代わりに、小柄な犬のような──否、狼の姿があった。


「っ!?」


 慌てて飛び退くと、狼は唸り声をあげ、体勢を下げたままこちらを睨む。

 灰と茶色が混ざったような毛並み。遠くからであれば、花畑に隠れるほどに体は小さい。が、口元から覗く牙と大きな歯が、そいつが狼であり、狩人であることを主張している。


「ユーリ……に、助けを求めてる余裕はないか」


 さっきからどれだけ呼びかけても、彼女が顔を見せる気配はない。どこかで見ているのかはたまた忘れていて移動してしまったのか。とにかく、師匠の助力は得られそうにない。


「逃げる、のも無理か」


 脳裏にフレデリクの言葉が蘇る。魔物は僕たちよりずっと足が早いため、街まで逃げるのは不可能だろう。


「グルルル……」


「やるしかない、な」


 鞘から短剣を抜き、構える。体勢を下げ、狼の両目をじっと見つめると。


「ガウッ!」


 眼前いっぱいに、体毛が映った。一瞬、強張る体を無理に動かし、飛びつきを避ける。


「早いけど、ユーリほどじゃない!」


 ステップを踏み、狙いを定めさせない。反復横跳びの要領で、それよりも小さな動きで。

 さっき、ユーリ師匠との稽古で、どうにかこうにか身につけた最低限の動きで、狼の猛攻をいなしていく。


「シッ!」


 狼が前のめりになったのを見て、前へ!

 逆手に持った短剣を一閃。驚いたように目を見開いた狼の鼻面を、鋭く切り裂いた。

 飛び退く相手を深追いせず、再びステップで元の位置へと戻る。

 アルさんの作品であるこの短剣は、相当な切れ味で僕の振りに答えてくれていた。


「狼に勝てたら、狼のようにっていうのもわかるかもしれない!」


 午前中の稽古に加え、採集の疲れも溜まっている。あまり長引かせると、今は見切れている攻撃も、食らいかねない。

 狙うは短期決戦。ヒットアンドアウェイで、首を斬る!


 再びの飛びつき。牙を掻い潜り、爪を弾き、返す刀で右前足を斬りつける。

 小さく悲鳴をあげる狼。僕はステップを踏みながら右後ろへ下がり、より上体を落とす。ぎりぎり、地面につかないくらいまで。


「はあぁっ!」


 ハルジオンを数株踏みつけ、踏み締め、前へ跳ぶ。勢いをそのまま、右腕に伝えて、一閃!


「ギャウゥ……」


 薄刃の短剣は狼の首筋を深く裂き、赤い血が花畑を染めていった。

 なんとか、どうにか、僕は異世界で──人生で初めての、命のやりとりに勝利したのだった。

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