第十話 短剣指導(ハードモード)
さて、僕はジム氏のおかげで、ユーリという短剣の師匠を得られたわけだが。
彼女の訓練は、想像以上に過酷で──なんというか、様々な能力を試される、というか。とにかく、難しく厳しいものだった。
「全然ダーメ!もっと狼のように俊敏に!」
「お、狼のように……」
「そう!山道を下り、獲物を追い詰める狼」
よくわからないままなんとなく体勢を下げ、切り返しを早くする。
「君は狩人でありながら獲物なの。鹿よ、鹿のように高く、強く跳ねて!」
よくわからないままに切り返しにジャンプを挟んでみる。
「違う!進み続けるの!」
よくわからないまま前傾姿勢で、バランス感覚をフル活用しながら前に跳ぶ。
いつも僕が持久走をしている間、フレデリクが大剣を素振りするのに使っている広場は、僕のよくわからない激しい動きによって、もうもうと砂煙が立ち始めていた。
「ほら、自然をアイゼンの味方にして!」
ほら、と言われても。今回のはかろうじて、砂煙に体を隠せ、ということなのかな、と解釈できたが、それ以外の指示は全くもって意味不明だ。
ジム氏による「他人に教えることが苦手」という評価は、過分に身内への甘さが含まれていたのだと、気づく。
ユーリには、自分のしていることの言語化能力が欠如している。それも致命的に、だった。
「いい!いいねーアイゼン!ちょっと動けるようになってきた!」
今やってることといえば、反復横跳びをしながら時折前にジャンプしつつ、広場をぐるぐると回っている、という謎の行為なのだが、これで合っているようだ。本当か?
「よっし、じゃあボクと軽く打ち合い稽古ね!腕が鳴るぞー!」
そう言うやいなや、彼女はその銀灰色の髪を砂煙の中に消した。
僕の立てる音以外に、移動する音も聞こえない。だが、切り返しのステップを踏んだ瞬間に、それは訪れた。
「!?」
「はいおそーい。ボクが刃を当ててたら首落ちてる」
ひんやりとした感覚が首筋に当てられ、足を止める。ユーリの握った、彼女の容姿とはずいぶんアンバランスな肉厚の短剣が、僕の首に触れていたのだった。
「次!ほら動いて!鹿のようにー、時には猪みたいな苛烈さも!」
やっぱりユーリの言っていることはわからない。
その後、へとへとになるまで反復横跳びのようななにかをさせられ、午前の鍛錬はお開きとなった。
「どうだった?稽古は」
「どうもなにもないよ……」
昼食を摂りにギルドへやってくると、午前中は見回りの依頼を受けていたフレデリクがいた。
彼の前に座って、パンとスープを頼んでテーブルに突っ伏すと、苦笑を返される。
「そんなにきつかったのかよ。お疲れ」
「きついっていうのも、あるけど。ユーリ師匠の教え方って言ったら」
狼のようにとか、鹿のようにとか、猪のようにとか、僕の知っている野生動物に例えてくれていた間はまだよかった。よくはないけど。
打ち合い稽古の後半では、『バレルグリズリーのように豪快に!』『ホーンラビットのように鋭く!』などと、僕の知らない動物──もしかすると魔物──の名前が出てきて、もうなにがなんだかわかったものじゃなかった。
「ジムのアニキが言ってたユーリの問題って、そういうことだったか」
「大問題だったよ……」
「ユーリには申し訳ないけど、他の短剣使いに頼んでみるか?一応、もう一人か二人、ギルドで見かけたことはあるけど」
「いや、それはいいよ。ちゃんと身についてるかは不安だけど、師匠と頑張ってみる」
ほとんど砂煙で見えなかったが、彼女の身のこなしは鋭く、そして華麗だった。
というか、その身のこなしを隠す技術も習得してほしいという狙いがありそうだ。たぶんだけど。
「了解。じゃあ、数日はユーリに頼んで、俺はちょっと街の外の依頼を受けるよ」
「わかった。僕のために街中の依頼ばっか受けさせちゃってごめん」
「いいっていいって、街の人の役に立てるいい機会だったし。じゃあ、あんまり遠くまでは行かないから」
ひらひら手を振って、フレデリクは去っていく。
「あ、走り込み忘れないように」
「……努力します」
なかなかキツい数日間のブートキャンプになりそうだった。
午後は、西門のすぐ外に広がる平原に出た。
斥候の技術も教えてくれるということで、早くも実地なわけだが、正直ユーリの雰囲気指導がここでも待っていると思うと、戦々恐々だ。
「よーし、じゃあとりあえずはこれ、覚えよっか」
そう言って、彼女は二冊の本を取り出す。
皮で綴じられた薄いものだが、思い出してみればこの世界に来てから本を見るのは初めてだ。
「これは?」
「トゥルスライトの周りによく出没する魔物と野生動物の図鑑と、ギルドで買い取ってくれたり、野外で役に立ったりする野草の図鑑だよー」
トゥルスライト、というのは街の名前だ。
ぱらぱらと開いてみると、中には挿絵付きで動植物がびっしりと書かれていた。
誰が作った物なのだろう。かなり使い込まれていて、ページも黄ばみが目立つが、破れていたり、欠けていたりする場所はない。
「斥候はパーティーに先行して魔物の偵察をしたり、休息の前に薬草や食べられる野草を探しておいたりすることが主な仕事なんだ。だからー、アイゼンにはまず、それらの見分けをつけるようになってもらう!」
「えっと、今すぐですか」
「そう、今すぐ。覚えたら、薬草採集始めるよ!」
そんな無茶な。
いくら分厚くないとはいえ、見覚えのない植物もかなり含まれている図鑑を、すぐに覚えろとは。
いや、よく考えるべきだ。これから採集をする、ということは街の西の草原に生息している植物を、重点的に覚えれば、なんとかいけるだろうか?
「じゃ、ボクは一走り、近くに魔物がいないか見てくるねー」
そう言うや否や、ユーリはなだらかな丘を駆け上がっていってしまった。
マイペースな人だ。彼女が戻ってくる前に、なんとか薬草を覚えて見せよう。
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