第四話 決意

 ギルドの二階は、いくつかの大部屋に分かれた雑魚寝スペースになっていた。

 フレデリクに聞いたところ、銅貨一枚というのは、相場の四〜五分の一くらいの値段らしい。確かにこの惨状ならば、格安価格も納得だ。


 僕の通された部屋には、一階で酔っ払った男たちが、ゴザに乱雑に転がされていた。

 布団などなく、いびき、酒臭さ、その他諸々の悪環境に、目眩を覚える。


「すまん。俺、一週間分宿とっちゃってるから」


「ああ、うん、こちらこそごめん、宿代払ってもらっちゃって」


「これでも、慣れたらそこそこ寝られるからさ。じゃあ、おやすみ」


 フレデリクは申し訳なさそうに、ギルドを出て行った。

 しかし、慣れるまでと言っても、これはさすがにキツイ。というか、僕が入るスペースはほぼない。


「壁に座って寝る、か」


 大部屋の隅の方に移動して、木の壁に背中を預けると、角度的に夜空がよく見えた。

 星にはあまり詳しくない上、窓から見える星は限られているため、僕の住んでいた世界との違いは全然わからない。

 そもそも、ここは今何月なのだろう。日本の七月よりも幾分か涼しいし、湿気はほとんどないが、それだけでは今の季節は判断できない。

 暦が知っているものと同じとも限らないし、わからないことだらけだ。


 考えれば考えるほどに、沼に嵌まるように思考が連鎖していく。

 目を瞑っても、不安な気持ちばかり溢れて来て、ちっとも睡魔はやって来てくれなかった。


「外、歩いてみようかな」


 酔っぱらいたちを踏まないように気をつけつつ、部屋を出て一階に降りる。

 まだ、酒場の掃除をしていた店員さんに軽く会釈しつつ、扉を開けた。


 この世界に来た時にちらりと見たきりだったが、外はやはり、映画の中でしか見たことのないような街並みだった。

 舗装されていない土の道は、片側一車線の道路くらいはありそうで、ギルドの性質上、この街のメインストリートなんだろうと予想がつく。

 石造の建物は、軒並み二階建てで、空が随分と大きく見える。やっぱり、知っている星座はなさそうだ。

 明かりの少なさは、中学生まで住んでいた、おばあちゃんの家の周りを思い出させた。


 僕にとっての帰るべき家は、あの田舎の一軒家だった。


 小さい頃から、父は家族にあまりリソースを割かない人だった。

 仕事、仕事、仕事で生きている人で、母はそんな父に愛想を尽かして出て行ってしまった。今でも、二人がなぜ結婚したのかは疑問だ。

 父の元に残された僕は、すぐに父方の祖母の家に住むことになった。

 小中学校の間、親代わりとして僕を育ててくれたおばあちゃんが、僕にとって唯一の家族だといっても、過言ではないと思う。


 毎日、遊びまわった後に食べるおばあちゃんのご飯が好きだった。

 おばあちゃんが肺を悪くしてからは、部活にも入らずに早く帰って来て、手伝いをした。

 僕が「ただいま」と言うと、おばあちゃんは必ず、「おかえり」「待ってたよ」と言ってくれた。

 僕が帰りたい故郷、帰りたい家、それは今も間違いなく、あの家なんだろう。


「……帰れる、かな」


 おばあちゃんが亡くなって、まだ半年しか経っていない。

 今でもあの家に帰ったら、「おかえり」と言ってくれるんじゃないかと、そう思うけれど。もう、おばあちゃんの家は父が売ってしまった。


 ぼんやりと歩いていたら、石造の壁が見えてきた。

 おそらく、この街の外壁だろう。他国への備えなのか、魔物とやらの対策なのか、それは僕にはわからないけれど。

 三階建ての建物より少し高いくらいの壁の上には、見張り用の篝火がいくつか焚かれていて、人の影を大きく揺らめかせていた。


 もし、フレデリクの提案を断って、冒険者にならないことを選んだら。僕はこの世界で生きていけるだろうか。

 僕の記憶している料理のレシピを売って、王都に行けるだけの大金を稼げるとは思えない。パソコンやスマホなど作れるはずもないし、材料もない。

 こんなことになるのなら、もっと漫画やアニメ、ライトノベルに触れていれば良かったと切に思う。異世界に転移してしまった主人公たちは、どうやってお金を稼いだのだろう。


「あ、魔法って、あるのかな」


 あまりライトノベルを読んだことのない僕でも、異世界といえば、魔法というイメージはある。

 もし、僕に魔法が使えたなら、選択肢は大きく広がることだろう。


「ファイアーボール。ウォーター。ウィンド……カッター?」


 思い出せる魔法の名前や、昔読んだ本に出て来た呪文を唱えてみても、何かが起こる気配はない。

 そのうち何だか恥ずかしくなってしまって、やめた。魔法があるのかはわからないが、使えないのならないのと同じだから。


「やっぱ、冒険者になる以外ない、か」


 正直、剣を振ったり、戦ったりする自信は全然ない。魔物に出会ったことはないけど、たぶん怖いだろうし、怪我もしたくない。

 でも、あの世界に、地球に、日本に帰るためには。それしかないのも、事実だった。


 頑張ろう。ぐ、と拳を握りしめ、僕はギルドへと戻った。

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