第三話 目標選択

 帰りたい。切実にそう思う。

 なんの前触れもなく、僕は異世界に転移してしまったらしい。なぜか言葉が通じるし、味付けこそ少し違えど、同じ食材を同じ食器で食べている。

 なにもかも違和感だらけだ。ここから、一刻も早く逃げ出したい。

 たとえ、「おかえり」も「待ってたよ」もなくたって、僕は家に帰りたかった。


「うーん、そうか。帰りたい、か」


 フレデリクは、ソテーとスープ、パンを食べ終え、首を捻った。

 彼に問われた「したいこと」に、僕は「帰る」以外の答えを持たない。けれど、たぶん、それは難しいことだろうとも、思っている。


「ニホンっていう国がどこにあるかわからないのが、問題なんだよな。アニキに嘘バレるわけにはいかないから、他の誰かにも聞けないし」


 周りのテーブルの男たちは、変わらず酒を飲んでいる。気にする余裕がなかったが、今日は祭りか何かなのだろうか。


「さっき、ギルドって言ってたけど、ここって酒場じゃないの?」


「冒険者ギルドもない国?すると、やっぱりここら辺じゃないんだな、ニホン」


 冒険者ギルド。ゲームやアニメで聞いたことがある。

 確か、冒険者なる何でも屋、あるいは兵士のような職業の者たちの、相互扶助組織だったような。


「ギルドは、昼間は俺たち冒険者に依頼を斡旋して、夜はこうやって冒険者の溜まり場になってる場所って感じだな」


「冒険者って、兵士みたいな、えーっと」


「兵士かあ、当たらずとも遠からずだけど、あんまり他のヤツらに言わないほうがいいぞ?」


「どうして?」


「冒険者って、自由であることにこだわってるヤツが多いんだ。魔物の討伐は領主様の兵もやるけど、俺たちの仕事はそれだけじゃない。特定の仕事に雇われたがらないっていうのかな。討伐、護衛、採集、なんでも屋であることに誇りを持ってるって言えばいいのかな」


 冒険者もそうだが、魔物なんて、ゲームの中にしか存在しないものだと思っていた。

 やっぱり、ここは異世界で間違いないらしい。


「それで、君の故郷に帰るための手がかりっていうか、手段があるんだが」


「っ!?ぜひ、教えてほしい」


「王都にはでっかい図書館があるらしいんだ。俺もまだ行ったことはないんだが、国中、世界中の書物が集まるって話なんだよ」


 ここが異世界である以上、普通に歩いて、ないし乗り物を使って日本に帰ることは、絶望的だろう。

 だけど、フレデリクがそこまで言うほどの蔵書量なら、転移とか、記憶喪失とか、そちらの手がかりが見つかる可能性はある。


「王都って、ここからどれくらい?」


「歩いて一ヶ月はかかるなあ」


 一ヶ月、それも歩き。少し見えて来た希望が、即座に打ち砕かれた気分だった。

 自分で言うのもなんだが、僕のフィジカルは相当弱い。

 中学でも部活には入っていなかったし、何人かの友達もインドア派が多かった。

 とてもではないが、一ヶ月の歩き旅など耐えられるとは思えない。


「それに、こっから王都までってなると、道中の魔物も無視できない。隊商なんか、護衛なしじゃ絶対行かないし」


「隊商って、馬車だよね。それに乗せてもらうとかは」


「うーん、どうだろうな。みんな命懸けだし、金貨五枚くらい出したらあるいは?」


「ごめん、お金の価値がわからないんだ」


「あ、そうか。ドラコ金貨一枚は銀貨十枚な?それで、ドラコ銀貨は銅貨十枚。銅貨は小銅貨十枚で、その下に鉄貨がある。このソテーが小銅貨九枚、ここの上の雑魚寝宿が一泊銅貨一枚だ」


 物価の違いもあるだろうが、一番使う機会が多そうな小銅貨は、一枚百円くらいの価値のようだ。

 となると、金貨五枚は五十万。一文なしの僕がどうにかできるようなお金じゃない。


「あり、がとう」


「どういたしまして。まあ、君じゃなくても現実的ではないな」


「そうだね……」


 しかし、手がかりがあるかもしれない、王都の図書館には絶対に行きたい。

 そこ以外に、目指す場所も物も思いつきはしなかった。


「わかった。歩いて行くことにするよ」


「一人で?」


「うん」


「いやいや、無茶だって!」


 ぶんぶんと、目の前の金髪が勢いよく横に振られる。

 とはいっても、他に選択肢なんてない。


「アイゼン、戦えるのか?そもそも」


「いや、たぶん無理」


「じゃあ王都まで一人なんて、絶対無理だ。君の国にはいないのかもしれないが、魔物は丸腰の一般人が相手できるような代物じゃない」


「でも、逃げるくらいなら」


「基本、ヤツらは人より早いし、持久力もある。見つかったが最後、バクッと行かれるだろうな」


「それじゃあ、僕はどうすれば……!」


 思わず、テーブルに拳を打ち付けてしまう。

 木の食器は大きな音こそ立てなかったが、つい周りの目が気になってしまい、恐る恐る酒場の中を見渡す。

 別のテーブルの男たちは、もうすっかり出来上がっており、配膳をしていた女たちも、彼らの食べ終えた食器を片付けるのに忙しそうだ。

 どうやら誰も、僕に注目していなかったことに安心しつつも、なんの問題も解決していないことに気づいて、目の前が暗くなるような思いだった。


「なあ、冒険者にならないか?」


「冒険者、って。君と同じ?」


「ああ。冒険者になれば、色んな人から強くなる方法を教えてもらえるし、金も稼げる。あと、ジムの兄貴にも、君が冒険者になるためにこの街まで出て来たって言っちゃったし」


「…………」


「歩いて行くと言ったって、今すぐは絶対無理だ。この街で強くなれるまで、生活しなきゃならない。隊商に乗ってくならなおさら、金がいる」


「……そうだね」


「俺、ソロなんだ。パーティーを組むなら同年代がいいと思っててさ、今この街の冒険者は歳上ばっかで」


 確かに、ここにいる人が全てではないのだろうが、若く見える人でも二十歳はたぶん、越えている。


「ソロじゃ受けられない依頼とかもあるから、パーティー組みたいなーと思ってたんだよ。だから、アイゼンが良ければ、冒険者になって、俺とパーティーを組んでほしい。俺が君を、鍛えるから」


 正直、いい提案なんだと思う。

 僕は今、右も左も分からない状況で、帰るための手がかりは、どうしたって一人では掴めそうにない。

 ここまでの会話で、フレデリクがとんでもないお人好しであることは明らかだし、彼がついていてくれるなら、僕も多少、戦えるようになるのかもしれない。


 でも、なかなか踏ん切りはつかなかった。


「ごめん、ちょっと、すぐには結論が出せない」


「ああ。俺こそごめんな、なんか畳みかけるように誘っちゃって」


「ううん。申し出は嬉しかったよ」


「そうか。それなら良かった」


 また、太陽のように笑う彼の優しさに甘えて、僕はその日の宿代を払ってもらってしまった。

 本当に、申し訳ない。

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