依頼者

 夜の王都。大衆向けの店などが看板を下ろし始める頃、今度は自分たちの番だとばかりに看板がこれでもかと主張してくる。酒場、賭博場、人には言えないいかがわしいお店。それらに群がる客たちは、さながら誘引灯に群がる虫だろうか。そこでは日中の賑わいとはまた違った種類の喧噪が溢れているのだろう。


 そんな王都を歩く一人の少女がいた。黒いローブに身を包み、周りから意識されないよう気を付けているようだ。彼女は今、依頼を受けるべく目的地へと向かっていた。


 人のいない裏通りを通り抜けながら、目的地であるとある屋敷へと到着する。時間は20時頃。依頼主の要望通りの時間だ。


 彼女は呼び鈴を鳴らし、依頼を受けに来た旨を伝える。すると、ほどなくして屋敷の門が開かれた。彼女は今日も依頼を達成するため、屋敷へと足を踏み入れるのだ。



 屋敷に入ると一人の女性が出迎えてくれる。長い黒髪に端正な顔立ちをしていて、まさに美人といっても過言ではない。


「初めまして、私はチェルシー・ハイランドと申します。あなたが今回の婚約破棄を代行してくださる方でしょうか?」


 依頼者である彼女が確認してくる。


「そうだね。私は婚約破棄代行者のエリーゼ。以後よろしく」


 フードを取りながら、彼女の問いに答える。


 エリーゼの顔をまじまじと見るチェルシー。


「? どうかした?」


「あ、ごめんなさい。思っていたよりもお若い方でしたから……。歳は、私と同じくらいでしょうか?」


「そこは想像に任せるよ。それより、仕事の話は?」


「……そうですね。どうぞ、上がってください」


 彼女に勧められて屋敷へと上がる。彼女の後をついて行って部屋に入ると、テーブルを挟んでお互い椅子に座った。


 初めに声を出したのはエリーゼだった。


「で、今回のターゲットは誰なのかな?」


 問いかけると、彼女は懐から一枚の写真を取り出した。


「私の婚約者である彼、ライネス・フェビアンです」


 差し出された写真を受け取り、視線を落とす。そこには銀髪の美青年と言っていいほどの人物が映っていた。


「彼ライネスはフェビアン伯爵家の長男で、周囲からは明るく人当たりがいい人物と言われています。また、他人には優しく親からも領主としての仕事も任されていて、その仕事をこなす優秀さから次期領主として期待もされています」


「聞いてる感じでは、すごくいい人なんだけど?」


 彼女に疑問を投げかけると、どこか暗く影を落としたような表情になった。


「だけど、それは人前でだけ見せる姿で、本性は違います。彼は私と二人の時はいつも暴言ばかり吐いてきます。その上、彼の気分が悪いと、殴る・蹴るなどの暴行は当たり前……。一応、彼も私が怪我をしていれば大事になるとわかっているのか、顔や腕などの周りから見える場所にはしないよう気を付けているようですが……」


 そう言うと、彼女は自身の服の下を見せてくれる。そこには時間が経ち青くなった、痛々しいあざが残っていた。


「そして、彼の領主としての仕事も、自分ではせずにいつも私にやれと命令してくる。それで時間に間に合わなければ、また暴行……。お互いに愛がないことはわかっていたし、政略結婚だからと我慢もしていたけど、私にはもう無理……。彼とは早く離れたいの……」


 エリーゼがいるからから、彼女が泣き出すことはなかった。けれど、泣きそうな声色から、彼女が必死に我慢していることは感じ取れた。


「それだけの事実があったら、両親に告げれば婚約は解消してもらえたんじゃない?」


「無理よ……。だって、彼は人前で私にするような姿は見せてないもの……。たとえ告げたとしても、私の方が嘘を言っていると思われる……」


「でも、その傷を見せれば、少なくとも何かあるとは思わせられたんじゃない?」


「……かもしれません。だけど、こちらは子爵であちらは伯爵。こちらの身分が低い上、先に婚約破棄を言い出せば私たちの家は没落してしまう……」


 婚約を正当な理由なく一方的に破棄することで、周りからの信用は落ちる上、賠償までしなければならなくなる。向こうの地位が高い上、ライネスが裏の顔を周囲に見せないようにしているならば、チェルシーが言ったところで誤魔化されるだけだろう。そうなれば、ただのわがままで言っているように見えるため、正当な理由としては認めてもらえない。


 だから、自分に頼んできたってわけね……。


 彼女からではなく相手側、ライネス側から婚約を破棄させることができるのなら、彼女も彼女の家も名誉を落とすことはない。そのため、何とかしてライネスに婚約破棄の言葉を言わせてほしい。つまり、そういうことだろう。


「なるほど、理由は理解できた」


「でしたら――」


「だけど、少し確認がある」


 希望の光が見えたと喜びの表情を浮かべていたが、私の言葉に不思議そうな顔をしていた。


「確認ですか?」


「そうだね。まず、婚約を破棄することであなたは婚約者じゃなくなる。その結果、婚約者から捨てられた傷物として多分扱われるだろうね。それでも、大丈夫?」


「はい。それぐらいなら甘んじて受けます。何より、すでに私は傷物なのですから……」


 すでに体に傷をつけられている彼女にとっては大したことはないってことね。


「じゃあもう一つ。彼に婚約破棄をさせることによって、彼の本性が明らかにされ、地位も名誉も失墜することになるけど……問題ないよね?」


 エリーゼがニヤリとした笑みで尋ねると、チェルシーは確かな力を込めて言った。


「ええ、問題ありません。お願いします……」


 そう答えた彼女の目には光がともっていた。



 チェルシーから前金をもらい屋敷を後にすると、早速準備に取り掛かる。彼女の気持ちとしては、一刻も早くライネスとは離れたいことだろう。なるべく準備は迅速に済ませるべきだ。


 ライネスとチェルシーの二人が通うのはヴィクトリア貴族学園。名前の通り、貴族のみが通うことのできる学園だ。彼女の婚約破棄を成立させるためには、エリーゼもここに入学し、ターゲットと親密な関係を築いていく必要がある。


 そのためにも、まず学園への入学準備を進める必要がある。幸いにも、こういった時に使える仮の身分はいくつか確保しているため、その内の一つを使い入学手続きを済ました。


 今回使用する人物はメリル・ランチェスター。ランチェスター侯爵家の一人娘で、大人しめの性格。少し抜けていて初対面の相手にはなかなか気を許さないが、ライネスを相手にどんどん心を許していく。頭も悪くなく、侯爵家の仕事も時折手伝っている。そんな設定。


 髪は金色で長め。本来の長さではどうしようもないので、ウィッグを使用。顔はメイクを使い、少し弱々しい印象を受けるように調整する。後は学園の制服を着れば、ヴィクトリア貴族学園に通う、メリル・ランチェスター嬢の完成だった。



 数日後。準備を終えたエリーゼは、メリル・ランチェスターとしてヴィクトリア貴族学園へと来ていた。王都の中心部近くにあるこの学園には、多くの貴族が通っている。門の前には馬車が入れ代わり立ち代わり止まっていて、学生の姿で溢れていた。その場にいるエリーゼのことなど誰も気にかける者はいない。


 彼女はまず校舎の中に入り、教師がいる場所へと向かう。担任の教師に自分が入学者であることを告げ、共に教室へと向かう。


 教室に入ると、クラスメイト達が驚いた様子を見せていた。その様子を見るに、入学者が来ることは聞かされてなかったのだろう。教師とともに見たことのない生徒が入ってきたら、それも当然の反応かもしれない。


「皆静かにしなさい。今日から一緒に学ぶ転入生だ。さぁ、自己紹介を」


 こちら向いた教師の中年を象徴するような出っ張ったお腹と、少し後退し始めた頭を見せられて、笑わないよう必死に堪えながら口を開いた。


「わ、私はメリル・ランチェスター。きょ、今日から、よろしくお願いします」


 緊張しているように思われたのか、クラスの皆は温かい目で拍手をしていた。


「メリルは……。そうだな、あそこに座るといい」


 教師が示したのは、一番後方で窓際の席。後方の席というのはクラス全体を見渡せるため理想の場所だ。それもメリットではあるが、今回は違う。一番のメリットはターゲットが隣の席にいるため、関係を持ちやすいことに尽きる。


「よろしくお願いします」


 席に座りながら、ターゲットであるライネスへと声をかける。


「ああ、こちらこそ」


 確かに見た目には人当たりのいい性格のようだ。


 さて、これから彼の信用を得るためにどうすればいいか。エリーゼはいくつも考えを張り巡らせるのであった。

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