第29話 満天の星空を君に
鹿西香織は小さな頃から体が弱かった。
山登りを始めたのは体力づくりの為だった。
彼女の母も体が弱く、香織が十を数える前に死んでしまった。
「私の体が弱いから…?お母さんの体が弱かったから…?」
母親が他界した後、彼女の世界がガラガラと崩れていった。
父親の女癖の悪さは手が付けられない程だった。
次々に現れる年上、年下の異母兄弟。
「鹿西家の娘はお前だけだから」
父親からそう言われても、多感な時期に真っ直ぐ育つのは難しい。
それに彼女の父は大富豪だった。
父を無視して、生きる日々の中で、疎まれることも多々あった。
「冬のダイヤモンド。でも、私はこっち…」
登山の次の趣味は山の中で星を見ることだった。
写真を撮ることも趣味の一つとなった。
それで知り合いになった人もいたり、好きになった人もいたり。
「え…。私の家?だって…、私は…」
友情はお金で支払われていたらしい。
お金が人を惹きつけていたらしい。
そして、お金のせいで彼女は山の中で、……置き去りにされた。
「つ、繋がった……。私はここに居ます。場所は…」
◇
「この男に騙されたんです‼」
「違う‼お前が唆したんだ」
「私は本当に知らなかったんです」
「アンタのことを許した訳じゃないわよ‼」
罵詈雑言が飛び交う中、パトカーのランプが山々を照らしていた。
「こんな山の中で電波が届いたんですね。」
「スマホ持ち込みは禁止。つまり電波がないとは言われていない。それに裕次郎はこの場所に拘っていた。だったら、その理由がある筈。ここに彼女が戻ってくるかもしれないと思える理由がある。って、思ったんだ」
「…はい。恥ずかしいくらいご名答です。」
行方不明になったのは、迎えに来たのが警察でも、家族でもなかったから。
「北川邦夫。間違いありません。指名手配中の男です。」
無線を傍受した悪漢が彼女を連れ去ったのだ。
そして彼女は誘拐を受け入れた。
「ストックホルム症候群…って思われたくはないんですけど」
香織はそう言い残して、警察に呼ばれていった。
「でも、それが父親に会えなかった理由になった。そして誘拐した男もどうすればいいか分からなくなった」
「行方不明から七年で失踪宣告、でしたっけ。それから三年間、裕次郎がそれをしなかったのは、それらしい情報が犬山、いえ北川から送られていたから、ですか」
「周囲の人間はやきもきしてただろうな。そして裕次郎が死ねば、それが叶う、と。甘いなぁ。激甘だなぁ。警察を舐めるなっての」
鷹城の計画は途中で頓挫していた。
それでも止めなかったのは、逃げる自信があったからだ。
「あれは鍵じゃない。だから私は負けてないって、謎のメッセージが残ってたみたいですけど」
「下見してない方が悪い、と」
「ですよね。ナンデモさんが下見したら、全部喋っちゃって通報されそうですけど。」
「まぁ、なぁ。そもそも初日に決めないと駄目だったろうな。熊代の死体は雪の中。雪の中に保管したところで、胃の内容物やら紫斑の出方やらで、かなり特定できる。北山の殺害の方も返り血を誤魔化そうとした絆創膏が決定的な証拠になるし。色々とボロボロだ。」
目が眩むほどの財産だったのだろう。
行方不明の娘を諦めさせるために、あらゆる手段を講じてきたのだろう。
それでも、誰かに計画をさせるんだから、実行する自信はなかったのだろう。完璧な計画を立てられなかったのだろう。
「逃がし屋と出会うことになるとはな。俺達もそうなんだけど。…で、俺達の任務って結局なんだったんだ?」
結局、最後まで分からなかった。
依頼主は確か…
「鹿西裕次郎からの依頼です。『そろそろ殺されるかもしれない。その時、もしも娘が関与していたら、彼女を逃がしてやってくれ』です。だからなんだかんだ、成功ですね。流石、ナンデモさんです。」
「いや。今回は流石に陽菜がいてくれたからだよ。」
「それ、流れ星の話ですか?私が欲深いっていう…」
「違うって。男装してるかも、とは思ったけど、確信が持てなかった。流石は経験者。」
「それは確かに…、言えてますね」
警察はあっという間に屋上のロックを外してしまった。
そこからも色んな秘密道具が押収されていく。
その様子を鹿西香織は見つめていた。
「うー。声、かけ辛いですね。」
「それはそう。俺なんて何を口走るか分からないから、近づくこともできないし」
父親と恋人を同時に失ってしまった。
今度こそ、彼女は一人ぼっちになってしまった。
「え、ちょっと待って。近づいてくる。陽菜、ガム、ガム‼」
「もう、持ってないですよ。事情聴取の時に全部使っちゃいました。」
男装していると分かると、女性としか思えなくなる。
多分、髪型を変えるだけで、可愛らしい女に変わることだろう。
「まぁ、バレないってことは整形してるのかもしれないけど」
「し、してませんよ‼」
「ナンデモさん、酷いです。」
「え、いや、今のは…」
「いいんです。……それくらい、父は私を見てくれなかったんです」
それでも——
「それでも星空は覚えていたんだな」
「それでも星空は覚えていました」
悠と香織の声が揃う。
「星…空?」
「えっと…」
「オリオン座でも、冬のダイヤモンドでもない。テーマはプロキオン。こいぬ座だった。」
陽菜が首を傾げていると、香織が説明する前に悠がサラリと答えてしまった。
「え…。あの…」
「妖精の裸に見惚れた男が小鹿に変えられる。そして飼い犬に食い殺される伝説…、それってさ」
オリオン座の体半分が隠れていた。
二日目の夜は早めに出たから、オリオン座は真ん中にあった。
裕次郎が拘っていたのは、冬の星座の主役オリオン座ではなかったのだ。
ならば、おおいぬ座かこいぬ座。どちらかだけど、何となくこいぬ座の伝説の方がしっくりきた。
「流石…ですね。あの壁の星の並びは、私がまだ失踪していない時に、嫌味のつもりで送り続けていた写真のものです。女に夢中になってたら自分の身を滅ぼすって、……本人が気付いていたかは分かりませんけど」
「まぁ…、それについては何も言えないし、その意味が伝わっていたかは分からないけど、何度もそれを見せられたから、香織はその星空が好きなんだと思ったんだろうな。…でもさ、プロキオンは飼い主が見つからない悲しみで零した涙だ。それって今のお前に似ている。家族がいなくなって、帰る場所が無くなって……。香織、それでもやっていけそうか?」
そこで女二人が目を剥いた。
「えええええ⁉それ、口説いてます?俺が帰る場所になってやろうかって言ってます⁉」
「あ、あの…、いきなりそんなことを言われても。い、嫌とかじゃなくて…、えっと、なんて言っていいか…」
「っていうか、——ナンデモさん。絶対に星、好きですよね‼」
「好きじゃない‼昔、星を見てるときに、説明が煩いと言われてから嫌いになったんだ‼」
思い出せない記憶の中で、微かに覚えていること。
それしか覚えていないから、星が嫌い。
ぶつぶつと文句を言っていると、短髪の女がクスッと笑った。
そして、一人で星降る塔に向かって歩きだす。
その途中で、彼女は振り返ってニコリと笑った。
「私、きっと悪女なんですね。大嫌いだったけど、それでもたった一人の父。大好きだったけど、犯罪者の彼を失っても、どうにかやっていけそうです。」
瞳からは涙が零れ落ちていたけれど。
「悪女の顔には見えないけど?」
「悪女ですよ。だって…、私。ここの星空を手に入れるんです。次こそは宝石のような星空にしてみせます。」
そういえば結局、一度も真の闇に輝く星空を見ることが出来なかった。
「だから見に来て欲しいです。——お二人に‼」
遺産相続やら、他の家族やらの話は野暮だと思った。
今回は殺される側からの依頼だった二人。
悠と陽菜も立ち上がり、彼女に向かって歩き出す。
「いいね。今度こそ、俺の心のやすらぎを頼む」
「っていうか、その二人に私、入ってます?さっきのでやられてません?」
そういえばマイクロバスごと持ち去られたスマホのことも、今は忘れて彼女に歩み寄った。
「ちゃんと入ってますよ。肌を重ねて一緒に寝た仲じゃないですか」
「あ、ほんとだ。私の方が絶対に魅力的ですよ。うるさくないし…」
これが悠と陽菜の初めての探偵事件簿だった。
悪癖のある俺が旅館で殺人事件に巻き込まれました。 綿木絹 @Lotus_on_Lotus
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