第22話 二回目の星空は
「それじゃ、行ってくる。迷惑を掛けるなよ」
「分かってる。準君、気を付けて」
犬山と猿田が抱き合って、別れの挨拶を惜しむ。
その様子を女二人組の一人は何とも言えない顔で見守っている。
もう一人はキョロキョロと落ち着かない様子だった。
「あの…、猪川さん。狐座さんの姿が見えないんですけど…」
すると陽菜と同い年くらいの女は肩を竦めて、視線を狐座に送った。
送られた狐座は軽いため息を吐いて、一人階段を上っていく男を見つめた。
「犬山様とオーナーはお知り合いのようで、主人はオーナーの部屋に犬山様を案内することになっています。ご心配なさらずとも、犬山様をお連れしたら、直ぐに戻って参りますよ」
「そ、そ、そう…ですか。昨日と違うなって思った…だけで、わ、私は…」
「久美子、その辺にしておきなよ。今日は純粋に星空を楽しむんでしょ?」
オーナーは部屋に閉じこもったまま。
それを考えただけで、頭が痛くなる。
このメンツを見るだけで、お腹も痛くなる。
「もう一人、欠けてるんだけど。それはどうなってんだかなぁ…」
「今日こそはギリギリまで寝るって言ってたわ。昨日は誰かさんが煩過ぎて、夜空に集中できなかったってね」
「そりゃ、どうも。…星なんて興味ないくせに。」
「あら、そんなことないわよ。本当に口が悪い男ね」
星空を楽しむ探偵が居たとして、名乗る必要がどこにあるのか。
悠がそう思っていると、陽菜はパンのカケラを彼の口に放り込んだ。
口の中がぱさぱさになるが、ここにいる全員からの要望なので仕方がない。
陽菜は「ナンデモを黙らせる」という約束を朝の間に交わしていた。
猿ぐつわよりはずっと人道的な方法である。
「主人はまだのようですが、今から上がります。昨日と同じで、危ないので歩き回らないようにしてくださいね。」
「へ?ほっほははふはい?」
「ちょっと早くないって、多分言ってます。すみません」
「久美子様の要望を主人がオーナーに伝えたのです。久美子様は、冬のダイヤモンドが見たかったのですよね?」
鯉沼久美子が目を剥き、両肩が跳ね上がる。
「は…、はい。私の要望を恭介さんが……」
「久美子様は星を愛していらっしゃいます。主人は貴女のことをとても気に掛けているようで」
「そ、それは…。あ、ありがとう…ございます」
ポイポポイと魔法のようにパンのカケラが悠の口腔に溜まっていく。
妻の涼子が余裕の対応をしたというべきか、それとも色々と乱れているのか。
そも、そんなことは悠にはどうでも良いこと。
もう一人、肩を跳ね上げた人物の方がよほど気になる。
「では、そろそろ移動をしますね。足元に気を付けて階段を上ってください。」
階段を上る。さっき、犬山が一人で上った階段を。
彼は三階フロアのオーナーの部屋に向かった。
そこには当然というべきか、やり過ぎというべきか、簡単な柵が設けられていて、スタッフオンリーの札がぶら下がっていた。
そこまで辿り着いた時、下からドタドタと大きな足音がした。
「あら、遅かったわね。っていうかこんな時に寝坊するなんてアナタはまだまだね」
「ぜぇぜぇ…。姐さん、起こしてくださいよ。それに時間より早いじゃないっすか。」
「星の王子様が、女の子の願いを叶えたいんですって」
「なんすか、それ。」
「なんでもないわ」
欠けていた人間の一人、烏丸健二郎と鷹城深雪の他愛もないやり取りだった。
そして、螺旋階段は三階フロアを通り越して天井をぶち抜いていく。
昨日と同じ照明、次第に暗くなっていく演出。
色々臭い。色々臭う。そんな同じような屋上へと続く階段。
ピ……、ガチャ、ズズズズ
天井の扉を開けるカードキー。
認証されて、ロックが開き、天井の一部がズレる。
「さぁ、今日こそ満天の星空が広がっています。直ぐに閉めますので、どうぞ一人ずつお上がりください。」
「って、真っ暗だな。それに」
「あ、そ、そうですよね。まだ目が慣れないでしょうから、お気をつけて。」
涼子の艶やか、だが不慣れな声。
「蓮、手を繋いで…」
「え……」
一瞬の沈黙、だが直ぐに繋がれる手。
とても小さな手、冷たい手。……震える手。
この感じはどこかで。
「陽菜。お前も蓮の体に触れておけ。男と男の約束だからな。」
「私は女です。それに約束じゃなくて依頼……。じゃなくて‼男と男の約束ですもんね‼行こ、蓮君‼」
「…はい」
昨日までは犬山が握っていた手を、悠と陽菜が代わりに握る。
それでも彼の手の震えが止まることは無かった。
「久美子‼六角形よ?ちゃんと六角形が見えているわよ‼」
「ほんとだ。恭介様が……、わた…私の願いを……」
上にぎょしゃ座のカペラ。左上にふたご座のポルックス。その下にこいぬ座のプロキオン。真下には一番明るい星、おおいぬ座のシリウス。右上はおうし座、赤い巨星のアルデバラン。
「そして、今日はオリオン座の体が全部見える。当然、リゲルも。俺はベテルギウスの方が色んな話題があって好きだな。だけど…」
「そう…ですよね。やっぱり、オリオン座が主役…です…よね?」
「あ。ナンデモさん。また独り言が出てますよ?パンだとあれなんで、キシリトール入りのガムとかどうでしょう」
「あー、そっちの方が良さそうだな。虫歯になりそうだし。……って、今のは独り言じゃないよ。だって、この星空は見る価値がない…」
「え?ここまで来て見る価値がないって……」
色んな意味が込められていたということ。
そして、それを台無しにする奴が蠢いているということ。
「皆さま。星を見る準備は整いましたか?……それでは、ここの扉を」
その時、ダン、ダン、ダンと階段を駆け上がる音がした。
「あら、アナタ…」
「え。恭介様?」
ここで鷹城の言う、星の王子様が舞い降りた、いや駆け上がってきた。
そして。
「なんだ、これは。それにこの臭い…」
狐座恭介もこの異変に気付いたらしい。
「あぁ。見る価値もない。そのダイヤモンドってのは全部一等星以上だ。それにこれは昨日の再演、いや……」
「クソッ‼こんな姑息なことを…、アイツ‼」
暗闇に南出雲悠の声、そして激昂する恭介の声。
地上からの光源は建物内の螺旋階段から漏れる微かな灯のみだ。
とは言え、完全な闇に近い。だったら尚のこと、星の光が暖かい筈だ。
「最初は目が慣れないから……と思っていた。って?いやいや、これは流石に気付くよ」
「ナンデモ…さん?」
「こんな方法で僕たちの大切な星空を穢しやがって。僕がどれだけ頑張ったとも思っているんだ、熊代ぉぉぉぉ‼」
「アナタ、落ち着いてください‼」
「落ち着いてなんかいられない。出所して仕事が見つからないアイツを僕は‼」
「皆さん‼本当に申し訳ありません。今日も星空観賞は中止とさせてください。猪川、明日の天気は?」
「た、た、多分。晴れ…だったと…思います」
激昂するのは恭介だったこと以外、昨日と大して変わらない結末。
完全に昨日の再現。……いや
「昨日よりもあからさまか。」
「ナンデモさん…、これは…」
「流石に特徴的だから聞こえているだろ?ボイラー音とは違う独特なカラカラ音。そしてこの臭い。昨日はグルグル回っていたからだけど、今日はもっと直接的だな。」
「このような失態を父に知られたら、僕は…お終いだ…」
ぼんやりとしか見えない男がユラユラと揺れた後、突然踵を返して走り出した。
「恭介さん、落ち着いてください。お客様の前ですよ。猪川、お客様をダイニングにお連れしなさい‼」
「落ち着いてられるか‼僕だって父さんに救われたんだ‼」
扉からうっすらと漏れる淡い光が、恭介のシルエットだけを映し出す。
そして、地面へと吸い込まれていった。
「猪川‼」
「は…、はい。あの、今日もダメみたいなんで…、こちらに…」
「何をちんたら案内してるの。あの手のマイクロバスの排気ガスって、とても有毒なのよ。」
「マジっすか。おい、てめぇら。急いで戻るぞ。こういうのは後から来るもんだからよ」
幸いにも、まだ扉は開いたままだったから、戻るのは容易だった。
先ずは猪川が階段を降り、女二人組が続いた。
その後、悠たちの足元が懐中電灯で照らされた。
「そこの三人も早く降りなさい。陽菜ちゃん、そこの男二人を早く連れ出しなさい」
「は、はい。ナンデモさん、蓮ちゃん」
「…分かってる。蓮も行くぞ。」
「わ、分かり…ました」
そして、階段を下りていると、
ピ……、ズズズズ、ガチャ
後ろにはフクロウ探偵事務所の二人と、猪川咲奈と狐座涼子。
昨日と同じく、今日も涼子が鍵を閉めたらしい。
「あの…大丈夫…でしょうか?」
「それは…、いや。陽菜、口寂しい。ガムをくれ」
「あ、はい。こちらに…」
悠は小さなガムを五、六粒口の中に放り込み、咀嚼しながら一階、ロビー兼ダイニングを目指した。
一体、俺は何をやっているんだ、と頭を抱えながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます