第15話 いびつな建物

「ふーふー、ふふふふふふ?」

「だーかーらー、駄目だって。これは鹿西さんの車‼オジサンの車じゃないんだから触んなよ。客だからってなんでもやっていいと思うなよ?」


 陽菜の上司は目を離した隙に、マイクロバスに戻っていた。

 そして、30代くらいの男、運転手と揉めている。


「なななん、ナンデモさん‼何をやってるんですか。運転手さん、困ってるじゃないですか」

「ふーふーふ。ふふー……。あー、やっと喋れる。嫌な予感がするから帰りたいんだよ‼乗せてってもらえないなら、俺が運転して山の麓まで降りるんだ」

「はぁぁぁ?何を馬鹿なことを言ってんの。それにバスの調子が悪いんだ。給油もしてねぇし。ここまでの運転もヒヤヒヤもんだったんだぜ。帰りたいなら歩いて帰りな。」


 漸く陽菜からの猿ぐつわから解放された南出雲は、着いたばかりなのに帰りたいとごねていた。

 その横を、大きな荷物を抱えた女二人が通り抜ける。

 一人はショートカット、もう一人は三つ編みの女。

 その三つ編みの方がすれ違いざまに、ボソボソと呟いた。


「こ、こないだクマが出たんだって。こ、こ、怖いから早く塔に入りましょ…」

「クマ?この時期に?それってヤバいんじゃない?冬眠できなかったクマってことでしょ?」


 二人とも南出雲に向けて話した訳ではないが、男の両肩がぶわっととんでもない勢いで跳ね上がった。


「クマ⁉この暗闇の中に?う、嘘だよな。そんなの既に殺処分されてるよな?」

「この山って訳じゃあねぇよ。こないだ近くでクマの目撃があったってニュースでやってたんだ。あー、そだ。クマよけの鈴があるから、それ持ってくか?」


 南出雲と変わらないくらいの歳の運転手が半眼になりながら、がさごそと鞄を漁る。


「い、い、い、いや。ちょっと待ってって。明日の朝になればバスも直っているんだろ?」

「はぁ?馬鹿を言うなよ。クマが出るかもしれない山ン中で徹夜で整備しろってか?しかもこの寒さの中で?勘弁してくれ。そもそも三泊四日のツアーだろ。それまでには直しとくからさ」

「三泊四日⁉それ…」

「ナンデモさん‼いい加減にしてください。運転手さん、困ってるじゃないですか。それに私、言いましたよね?ゆったり、のんびりする為の旅行って」


 南出雲はそれなりに身体能力が高い。

 ただ、若さでは陽菜に軍配が上がるし、その若さのお陰で南出雲を無力化できるほどに成長していた。


「おいおい。こいつら、大丈夫か?」

「準君。早く行こ。僕、暗い山の中、苦手だから」

「ん?男二人カップル…」

「なんだよ、おっさん。悪いかよ。それとも…」

「すみません!すみません!この人、ちょっとおかしいんです。ほら、ナンデモさんも頭を下げて‼」


 先ほどは女二人、今度は男二人が横切った。

 後からやってきた理由は、彼らが背負っている荷物を取り出していたから。

 南出雲たちは荷物をトランクから取り出す前に、探偵事務所の二人に捕まってしまっていた。


「ただ、ありのままを口にしただけだって。他意はないんだ。それにしても、三泊四日だったとは…」

「それはそうですよ。晴れの確率が高いとはいえ、曇りの日だってあるかもしれないし。何より山の中だし」

「いや、そのことじゃなくて。俺がどうして知らないのかって話だ。」

「スケジュール管理を全部私に丸投げしてるからです。さ、私たちも荷物を持ってチェックインしますよ」


     ◇


 南出雲は旅館を前に立ち尽くしていた。

 理由は建物の外観にあった。

 建物はそれほど高くないが、星降る塔と呼ばれる為に建てられたような外観、円柱形の旅館なんて流石に珍しい。


「……ただ、塔と呼ぶには階数が少なすぎる。、…痛‼痛いって‼俺は何も…」

「一人で話し始めてましたよ。私がチェックインの手続きをしている隙に何をやっているんですか」

「驚きましたか?階数は三階しかありませんけど、山の麓から見れば木で上手く隠れて塔に見えるんですよ。だから星降る塔です」

「誰だ、このお爺さん。突然話し始めたけど」


 白髪混じりの髪、口ひげを蓄えた初老の男がポニーテールの女、東雲陽菜しののめはるなの隣に立っていた。

 その男を訝しむように観察していると、ポニテ女の拳がナンデモを襲った。


「ナンデモさんに言う資格ないです。この方が鹿西さん、この旅館のオーナーですよ」

鹿西ろくせい裕次郎です。我が城へようこそ、ナンデモ様」

「みなみいずもですけど。オーナーってことは、このラブホみたいな建物の所有者?」

「ナンデモさん‼」

「ははは。良いんですよ。よく言われることですから。でも、ちゃんと意味があるんですよ。後程分かることなので、今は言えませんが。さ、早く中へお入りになってください。熊代がバスのメンテナンスを怠ったせいで、夕食まで時間がありませんので。その節は誠に申し訳ありませんでした。南出雲ナンデモ様。」


 男は頭を軽く下げ、南出雲の奥を睨みつけた。

 どうやら、あの鈍行バスにオーナーは腹を立てているらしい。


「ですって。行きましょ、ナンデモさん‼」

「あ、あぁ」


 その様子に居た堪れなくなった陽菜は、悠の手を引き急いで館内に入った。

 そして中に入った早々、ナンデモが喋り始める。


「って、なんだよ、これ。一階部分は伽藍洞?……いや、真ん中にポツンとテーブルがあるけど、もしかして…」

「宿泊用の部屋は二階部分だけみたいです。あ、言っておきますけど、部屋は別々ですからね」

「それは…当然…だろう。俺にもプライバシーって概念があるし。って、二階部分だけ?三階建てって言ってなかったか?」

「そういえばそうですね。でも、一階が伽藍洞ってことは従業員の部屋とかがあるんじゃないですか?鹿西さんの部屋とか…」


 南出雲はやはり訝しみながら階段を上る。


「どうしてそんな奇妙な造りをしているんだ?っていうか、この壁沿いの階段だって…」


 かなり幅が広くて、一段一段がとても低い。

 それに普通に考えてあるだろう、と思っていたものがその先にはなかった。


「あれ。この階段って三階に続かないのか?」

「だったらやっぱり従業員用ですよ‼それにほら、上への階段ならあそこにありますし」


 二階フロアで一番最初に目に付いたのが、中央にある螺旋階段だった。

 まるで結婚式場か、それとも本当に貴族の城でも意識したのか。


「そして不釣り合いに配置された宿泊部屋。何なんだ、この建物。やっぱり本当はラブホテルを作るつもりだったんじゃないか?」

「うーん。確かに流石にこれを見ちゃうとそう思っちゃいますね。」


 宿泊部屋は壁側にあり、どの部屋のドアも中央の螺旋階段の方を向いている。

 ということは部屋の間取りが前後非対称、バームクーヘンのカケラのようになってしまっている。


「旅館の入り口があっちだから、こっちは北側か。寒そうだな」

「部屋が余ってて良かった…」

「ん。なんか言ったか?」

「なんでもありません。それより時間がないみたいですから、荷物を置いたら直ぐに降ります。ナンデモさんの着替えは後で渡しますからね」

「あ……。——そこで漸く俺は気が付いた。俺は荷物を持っていない。だって、旅の段取りは陽菜と先生が決めたんだ。でも、あれか?俺は彼女に荷物を持たせている最低な男って思われていたのか?あー、だから他の宿泊客の俺を見る目が……」

「その通りです。バスの中ではずっと喋ってるし、ついて早々運転手さんに絡むしで、ナンデモさんは絡みづらいキャラに加えて、デリカシーのない男になってます」

「う……。だって、今まではずっと一人で行動してたし。友達もいないし。女連れで歩いたことなんて……」


 ナンデモが肩を落としてウダウダと独り言を呟く間に、陽菜は自分に割り当てられた部屋のドアを開けて、荷物を放り込む。

 そして、彼の手を引き再び歩き出した。


「今は私がいますよ。それに半分は冗談ですから、気にしないでいいです」


 とんでもない悪癖を持つ上司だが、新たな一歩を踏み出せたのは彼が居たからに他らない。


「う…。それじゃ、俺の気が…」

「心配要りません。私はナンデモさんの扱いに慣れてますから。皆みたいに白い眼は向けませんよ」


 そして階下に向かう二人。

 そこにはこの章で登場する人物全員が揃っているのだ。

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