第2話 この宿で俺は働きたい。
「予約していた
俺は壮年から初老くらいの女と話をしている。
「あらあら、貴方がそうなのね?なんて言ったっけ。なんとか依存症?」
「……ば、バレてましたか。そうなんです。飯塚先生にここを勧められまして。」
「あの人も昔、ここに泊まりに来たんですよ?仕事で病みそうだーって。」
その言葉で俺は合点がいった。
あのオジサンは違う理由で病んでしまったのだろうが、俺の症状を見て直ぐに予約を入れてくれたのだ。
「ここは旅館の電話しかないからって。確か無理やり俺の部屋を取ってくれたんでしたっけ。」
「予約が詰まってたのでね。ほら、ここってそういう人達ばかりだから、一人一部屋なの。だから準備する余裕が無くてね。南出雲さんのお部屋は、期待外れになっちゃうかもしれないわね。ゴメンなさいね。」
「いえいえ。そんな。あんな急に予約する方が悪いんですよ。……そか。みんな病んでるから、一人になりたいから……。そういえば飯塚先生が、夫妻で民宿をしてるって言ってましたけど。もしかしてお二人だけ……、流石にそれはないですよね。」
俺はこの発言した瞬間に悔やんだ。
考えるより先に言葉が出てしまう悪癖を恨んだ。
だって、その答えは目の前にあったのだから。
「そんな顔しなくても大丈夫よ。三カ月前に転げ落ちちゃって、そのまま。親戚からは引退したら、って言われたんだけど。働いている方が、あたしにとっては良いみたいで。それにこの仕事、とても楽しいの。あたしはただご飯の世話とお風呂とお洗濯をしているだけだけどね。帰る頃にはみんなが手伝ってくれて、それに来た時とは別人なんじゃないかってくらい、明るくなって帰ってくれて……」
流石にこの時ばかりは、俺も声を失った。
いつの頃からか、世界は。少なくとも日本は変わってしまった。
携帯、スマホ、インターネット、それらが人々の生活を加速してしまった。
色々と考えさせられる。
俺もあらゆるしがらみから解放されたこの島で、そうなることが出来るだろうか、と。
そして、彼女は最後にこう締めくくったのだ。
「あらあら。ゴメンねぇ。この年になると話が長くって。一人でゆっくりしたいって来てくださったのにね。」
とても感じの良いお婆ちゃんだった。
足腰はまだ元気そうで、今晩からは彼女の手料理が食べられるのだ。
きっと、インターネットや観光雑誌に出てくるような立派な旅館料理は出てこない。
それでも、俺はこのお婆ちゃんの為にも、ひたすら何も考えないスローライフとやらを味わってやるぞと誓ったのだ。
◇
「ふぁぁぁ、部屋にお風呂がついてるのマジでいいな。ユニットバスだけど。大浴場は一つしかなくて、男と女で時間帯が違ってた。まぁ、それはいいんだけど、他のお客さんと一緒になったら、また俺の独り言で引かれるだろうし。……そういや、食堂には誰も来なかったな。シヤさん曰く、全員自室に持ってったって話だったけど。」
そういえば、その時。
「なんか、チャラついた男に会ったな。男の時間帯だったし、もしかしたら入れるかもと思ったんだ。で、ちょっとだけ、大浴場を覗こうとした時に、そこから出て来たんだ。だから、俺は引き返したんだった。名前は聞いていないけど。あいつもスマホ依存症か?そうじゃないにしても、どこか病んでんだろ。」
心療内科から勧められた旅館だ。
「俺に話しかけて来たんだ。君も命令されたのかい?君はどこから来たんだい?もしかして別の組織からか?って。」
流石に声が出なかった。
アレはどっちかというと、ちゃんとお薬を飲んだ方が良いやつだ。
「怖っ。近づかないようにしよ。っていうか、今何時だ?朝ごはんは……」
いつもスマホを入れているポケットを探ってしまう。
でも、そこは空っぽ。まだまだ俺は癒されていないということだ。
「懐中時計は……。あぁ、そうだ。飯塚先生に時計も隠せって言われてたんだった。朝日で時間を知るってさ。俺はそこまで文明を遡らせるつもりはないんだけど。でも確かに、これは圧巻だな。」
来る途中には気付かなかったけど、山頂に民宿があるわけではなかった。
建物の北側にはまだまだ山が続いていて、ここは海が見える南側に建てられていた。
俺たちは北からやって来た。
だから、北側だと下手をしたら街の明かりが見える。
「俺の部屋は最上階、といっても二階だけど。それでも見渡す限り海!仕事を辞めて良かったとさえ思える。昨日の話だと海底にパイプがあって、電気と水の心配はないって話だったな。ここで働かせてもらうのも……。あ、そうだ。シヤさんが一人で朝ごはん準備してるのか。俺、手伝いに行こうかな。シヤさんは自分も話をするのが好きだから、俺の独り言も気にならないって言ってくれたし。」
一晩だけでも効果てきめんだった。
仕事はないから掛かってこないとは知っていても、よく分からない電話番号から勧誘電話はある。
それに、ついついネットを見てしまう。寝ながらも見てしまう。
「ないってだけでも、全然違うんだな。急いで用意してくれた部屋は、確かに急ごしらえだったけど、それも落ち着けた理由かも。綺麗すぎる旅館はやっぱり今風だし。……まぁ、この部屋が人気がない理由は何となく分かる。角部屋なのはいいけど、東向きの窓。ずーっと眠りたいって人にとっては不人気だろうな。」
この民宿は元々は個人が二階建ての別荘として建てた、という話だった。
初野貝家が買い取って、民宿としてリフォームしたらしい。
シヤさんの旦那さんも極端な電波嫌いで、それならばと作ったのが島の宿『静寂壮』
それぞれの部屋にユニットバスを取り付けて、それぞれの部屋に鍵を付けただけ。
そして、旦那さんである慶喜さんの狙い通り、細々とだが経営で来ていたらしい。
元々、かなり安く買ったから、退職金による簡単なリフォームだけ。
借金の返済もないから、本当にのんびりと営んでいた。
「よし、俺の就職活動の一環だ。シヤさん、俺。手伝いますから!」
角部屋からゆっくりとドアを開けて、廊下を歩く。
「既に日は昇っているけど、遮るものがない。多分、まだ朝は早い。これ以上引かれたくないから、起こさないように。……でも、この廊下。歩くと時々音がするんだよな。かなり古い建物だから、仕方ないんだろうけど。あ、そか。昨日の片づけとかもあるのか。」
そして俺はなるべく音をさせないように廊下を歩いて、シヤさんがせっせと準備をしているだろう、台所に言った。
大昔のお金持ちが趣味で作ったと言われる別荘。
だから、台所もかなり広くて。
——ただ、俺はそこで不可解なものを見つけてしまったんだ。
それがどういうことか、俺は何も考えずに
昨日、シヤさんは「ドアにカギを付けた時に、全てのドアノブを丸いものから、レバーハンドルに変えた。握力がないからね」と言っていた。
「シヤさん‼大丈夫ですか‼今、開けますから!これ、どういう悪戯だよ。レバーのとこにつっかえ棒をしてたら、鍵とか関係なく開かないじゃん。」
ただ、構造は簡単だから、シヤさんの監禁悪戯はこれで終わり。
病んだ奴らがいる旅館だ、こんなことをする奴だっているかもしれない。
だが、食材置き場にシヤさんの姿はなかった。
だから、俺は探した。
もしかしたら、怯えて隠れているのかもしれない。
「シヤさん‼もう、大丈夫だよ‼……あれ、シヤ……さん?」
その瞬間、俺は目を見開いた。
予め、巨大冷蔵庫、冷凍庫があることは聞いていた。
——その巨大冷凍庫に昨日見た布切れがあった。
彼女が昨日着ていた服が冷凍庫のドアからはみ出ていたのだ。
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