- 第 21 話 - カウントダウン

「おれたちも早く逃げよう」


 次から次に地面に亀裂が入っていく。

 建物が崩れる音が轟いて、地面を震わせた。


「その前にもう少しだけ時間稼ぎをさせて」


 地面がふるえるたび、メルカの地図からも少しずつ、町の地図が消えていっている。情報が刻々と上書きされていく。


 メルカの目の前の地面にも亀裂が走り、ヒビはどんどんと広がり、町を飲み込むかのように口を大きく広げていく。


 目の前に浮かせていた地図に、メルカは人差し指でそっと触れた。


「始まりの地図かみによる固定投影――ゼノ・スティルトン」


 本はそのままメルカの周りをくるりと一周し、ぱちんと音を立てて閉じた。


 地面にバチバチと電流のような衝撃が広がった。

 小刻みにゆれていた地面はぴたりと止まり、周囲から音が消えていた。


「メティス――」


 男の声にも、女の声にも聞こえる、機械的で抑揚のない声が本から聞こえてきた。


「よし、逃げよう」

 本を手につかんで、メルカは言った。


「今度は何をしたんだ?」

「少しだけ時間を止めただけ。少しだけね。この本がカウントダウンをしているあいだだけ、地図に描かれた場所に変化は起こらない」


「アドラステア――」

 ふたたび抑揚のない声が、静まり返った空間に不気味に響く。


「ディア――」

 町を抜けるまでのあいだも淡々と、その読み上げは続いていた。


 はじめのうちは気にはならなかったが、カウントダウンが進むにつれて、メルカの髪色が少しずつ、明らかに変化していた。毛先の青く染まっていたところが、じわじわと黒髪を侵食してきている。


「気にしないで。すぐに元に戻るから」

 エリナと再会したときも同じようなことを言っていた。


 さすがのエリナもメルカの髪色の変化と、不気味に読み上げる音声から深刻さを受け取ったらしく、店舗にいたエリナの母親や、利用客が数名、エリナの呼びかけで<モル>の外にぱらぱらと集まってきた。


「何かにつかまっていてください。大きく揺れる可能性があります」

 メルカの髪色は完全に青く染まっているように見えた。


「カルメ――投影解除」


 抑揚のない声がそう告げた直後、ずずんと大きく振動があった。近くに停めてあった自転車は倒れ、店内からはあらゆる物が音を鳴らして騒ぎ出し、やがて静かになった。


 同じくしてメルカの青髪は青くゆらめいて、青い陽炎を見せたのちに、青さが抜けていった。


 見下ろしたところに見える町には、砂ぼこりが立ち込め、黒煙が幾筋も空に立ち上っていた。風にさらわれ、少しずつ町の全貌が見えてくる。


 そこには大きく穴が開いていた。月にできているようなクレーターができている。


 メルカの手の中で、ぱたぱたと本が自動的にめくられ、開かれたページを見たメルカは大きくため息をつき、肩を落とした。


「パパ!」


 エリナが声をあげて駆け出していった方向には、体格のいい、泥にまみれた男が手を振っていた。そばにカナリアが浮かびながら付いてきている。


「神隠しに遭ってそこまで飛ばされてきたんだ」

 エリナの父親は<モル>の近くまで歩いてきて、どかっと腰を下ろした。


「鉱山に何度も戻ろうとしたんだが、そのたびに飛ばされてね。なんだか不吉な予感がして、戻ってきたんだ。良かった良かった。生きてて」


 男は豪快に笑った。「そうだ、お前にも幽霊の声が聞こえるかもしれん」

「幽霊?」

 と、エリナは聞き直した。


 カナリアがふわりと飛んできた。少しやつれたような顔をしている。

「道案内してやらなきゃ、すぐに炭鉱に行くんだから。さすがにカチンときて、何度も飛ばしてやったわ」


「ほら、今も聞こえただろ。チチ……て」

 見えないものを探すように、男は視線をあちこちに向けている。


「そこに誰かいるの?」

 エリナは真っすぐにカナリアいる方向を見つめていた。

「もしかしてあんたわたしのことが見えるの?」

 と言って、カナリアはそばに飛んで行った。


「声が聞こえるだけ」

 エリナは一目だけでも幽霊を目にしようと、目を細めて一点を凝視しているが、そこにはすでにカナリアはになかった。


「もしかしてあなたは、町のカナリアなの?」エリナはたずねる。

「わたしはわたし。それにもう町はないわ。消えちゃったから。何もかも」


 メルカはしばらく町を眺めたあと、草原に腰を下ろして。空を見上げていた。


「せっかく作った地図、消えちゃったな」

 とメェダスが声を落として言った。


「地図は消えちゃったけどそれでもいいの。地図も町も、また作り直せばいい。わたしは、新しい道を作りにきただけだから」


 メルカは、そう言ってゴロンと倒れて仰向けになり、天を仰いでいた。

「本当は自由なのにね」とメルカは誰に言うでもなく、空に向かってつぶやいた。


 後ろでは、独り言にしか聞こえないエリナとカナリアの話し声が聞こえてくる。他の人にはエリナが独り言を言っているだけに聞こえているかもしれない。


 それでもエリナは、カナリアを様々な話を持ち掛け、質問をし、新しい自由を教えていた。

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