- 第 8 話 - モルニアの幽霊

 深く息を吸うと、まとわりつくような焦げた匂いが戻ってきた。


 陽は傾いたままだった。空は茜色に染まり、ひびの入った地面にメルカとメェダスの影が伸びていた。


「それで地図はどうなったんだ」とメェダスは聞いた。

「見えるかしら」と地図を目の前に飛ばしてくる。


 公園を中心として円形に地図が解放されていた。周辺の道や建物の場所が描き込まれて広がっている。自分たちで地道に、危険地帯に乗り越えて、メルカの地図から消えた区画をすべて埋め尽くしていくよりははるかに効果的だった。


「今回は公園の記憶を読み取ったから公園の周囲の地図が解放されたの。思い入れの強い、もっと大勢の人が待ち合わせに使っていたような現地の遺物だと、もっと範囲は広がるわ」

「これをあと何回かやるのか」

「そうね。でももっといい方法がある。幽霊とお友達になるの」

 やれやれと、メェダスは肩を落とした。


「メルカも見ていただろ? あの男の子には見えていたかもしれないけどさ、あのうるさいおばさんには見えていなかったみたいだ。そんなに都合よく見えるわけ」

「だいじょうぶよ、だってほら」と、メルカは何かに気づいたかのように、別の方向に視線を向けて言った。「世界を共有しちゃったから」


 メェダスはその方向を振り返った。

 ブランコの前に広がる空き地の、ちょうど少年がミミズを描き記していたあたりに、少女がたたずんでいた。

 過去の世界で見た少女をまったく同じ姿をして、金色の髪を風にゆらしていた。


「……チ、……チ」


 少女はこちらに目を向けずつぶやいていた。

 ゆっくりとメルカは少女に近づき、まるで猫でもあやすかのように普段より声のトーンを少しあげて話しかけた。


「初めまして、わたしはメルカよ。こっちの茶色いのがカピバラのメェダス」

 常々感じていたことだが、メルカには何かが欠けている。それは恐怖心かもしれない。

「もともとはヤギだ」とメェダスは勇気を振り絞って言った。


 少女はこちらをゆっくりと振り返った。瞳の色は妖しく光っていた。

「本当にだいじょうぶなのか」とメェダスはひそめて聞いた。

「何事もまずは友達から」と深いような浅いようなことを言った。

「……チ?」

 少女はあどけない顔をして、首をかしげている。

「そう、友達。わたしたちとお友達になりましょう」


 少女は下ろしていた小さな腕をゆっくりと持ち上げた。少年が過去でやっていたように握手をするのだと思った。

 少女はもう一方の腕もゆっくりと持ち上げた。これはメェダスに向けたものかもしれない。多少の違和感があったが、そういった文化もどこかにはあるだろう。


 その違和感はすぐに確信へと変わった。


 少女はあげた腕をこちらに向けたまま、1本ずつ指を曲げていき、手のひらを閉じていった。

 身体を何かに締め付けられたかのように動けなくなった。それはメルカも同じようであった。

「安心して、わたしたちは悪い人じゃないわ。どちらかというと」

 メルカは声を振り絞って余計なことまで言った。

 メルカの説得は異国の幽霊には届かず、少女は伸ばした腕をどんどんと空に向けていく。

 少女の動きに連動して、身体はどんどんと高く上がっていった。遠くのほうにぽつんと明かりが見えた。


「ひとつだけ、聞いておきたいことがある」

 メェダスは声を振り絞りメルカに話しかけた。「着地ってどうするんだ?」

「風になるの」とメルカは言った。

 飛び上がるときと一緒じゃねえか、と言いかけたが、声にはならなかった。メェダスが考えることを諦めるのと同じくして、メルカとメェダスの姿は夕闇に消えた。


 公園でひとり残された少女は、静かに雑草の生えた地面を見つめていた。

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