第4話 [開かない○○]

 震える手に涙が落ちた。悲しみ故か?勿論それも一因である。しかし、それらよりも恐怖や吐き気が理由の大半を占めていた。

 動揺、後悔、恐怖。それらが混ざり合い、凄まじい程の吐き気が練り上げられる。崩れ落ちる膝の元に生暖かい血が流れ、ズボンに血が染み込んでゆく。濡れた布が皮膚に貼り付く嫌な感覚が、動揺で揺れた精神にとどめを刺す。

 この出来事が現実であると無情にも自覚せざるを得ない。

 頭の中で謝罪を繰り返す。口を開けたら今にも吐きそうで声を出せなかった。





4号機「ナシメオリジン様おはようございます。こちら今朝生存確認を行ったクローンの名簿です。」


 清潔感のあるミントの香りが鼻を撫でた。クローンの4号機が書類を挟めたバインダーを手に、横になったナシメの顔を覗いていた。

 ナシメは眠気の覚めない目を擦りながらハンモックから降りた。軽く体を伸ばし、4号機の手からバインダーを受け取る。


 ナシメ「全18機中3機が停止、そして6号機が行方不明か。」


 ナシメは布団代わりに掛けていた白衣をハンモックの上から持ち上げ、軽くはたいて埃を落としす。


 4号機「只今6号機の捜索にドローンを手配しております。」


 ナシメは顔を上げ、4号機の目を見て口を開く。


 ナシメ「見つけても決して連れ戻してならないよ?立派なサンプルなのだから。」

 4号機「承知しております。」

 ナシメ「あと悪いけどこの白衣洗濯に出しといてくれるかな?少し首元が汚れてきてしまった。」

 4号機「かしこまりました」


 ナシメはクローゼットを開けて代わりの白衣を探した。


 ナシメ「あれ?1枚も無いのか?」


 ハンガーに掛けられていた筈の白衣が1枚も無い。代わりの物が無いかと、ナシメは下段の引き出しの取っ手に手を掛けた。


 4号機「ナシメオリジン様、只今その引き出しは大変立て付けが悪く、引き出すことが不可能な状態にまで劣化しております。

 代わりの白衣はこちらで用意させていただきました。こちらを御使いください。」


 と、白衣を渡されたナシメは、何か言いたげな表情で4号機を睨んだ。

 寝室のドアを開けて研究室へ入ると13人のクローン達が忙しなく動き回っていた。

 二人はクローン達の間を縫うようにして通り抜ける。


 ナシメ「4号機。さっきのの名簿とクローンそれぞれのチューン内容を表にしておいてくれ。すまないが、こんな雑務やらせるにはもっと適任な奴がいるはずなのだがね。

 それにしてもワタシの助手は何時になったら来るんだ?そろそろ来ても良い頃合いだぞ?」

 4号機「恐れ入りますオリジン様。キュウタ様は3日ほど前に退職されました。

 先日この件について、お預かりしております退職届と共にお話するつもりてありましたが、早々にご就寝なされた様でしたので話す機会を失っておりました。」

 ナシメ「なんと!退職届とは、らしくもなく律儀だな。」


 ツカツカと靴を鳴らし人混みを抜けてゆく。


 ナシメ「ワタシは歯を磨いて来る。口の中がスッキリしないと思考も回らん。」


 背中に向かってペコリとお辞儀をする4号機に見向きもせず、脱衣所へ入っていった。



 ナシメ「さて、と。」


 ナシメは洗面台の引き出しを開けた。


 ナシメ「昨日ワタシが調合した毒薬が入っていないと。では...」


 引き出しの裏へ手を伸ばす。


 ナシメ「本命も回収済みか。」


 ナシメは半分諦めたように引き出しから歯磨き粉を取り出した。歯ブラシへ粉を載せ、口へ運んだ。少し驚いたような表情を見せ、呆れた様子で歯の清掃を再開する。


 ナシメ(予備もダメとは...)


 ナシメは鏡を覗いた。そこには数日前より明らかに健康的になった自分が居た。

 眼の下の隈は消え、肌も潤い、肩まで届いた髪がサラリと風に揺れる。


 ナシメ(いつの間にか眉も整えられてしまっているな。

 ワタシの眉がここまで綺麗なカーブを描いていたことが今まであっただろうか...)


 ナシメは困り果てていた。何故ならば、クローン達のいずれかの個体が自分の自殺を徹底的に阻止してくるからだ。

 最初に三体程再生産を行った時点で、一号機が使用した拳銃を紛失した。そのうち出てくるだろうと放置していたが、それからというもの調合した毒薬や爆薬が次々に没収されていった。


 口を洗いでシンクに歯磨き粉を吐き出す。


 ナシメ「よし!とりあえずデータ収集と称してクローン達の行動パターンを探ろう。

 私の精神は限界が近いんだ。ちゃちゃっと終わらせてしまおう。」


 脱衣所を出てリビング兼実験室へ戻ると、何人かのクローンがナシメに向かって微笑んだ。


 ナシメ(さてと、ノートは何処へやったかな?)


 ナシメは白衣のポケットへ手を突っ込んだ。


 ナシメ「あっそうだこれはさっき渡されたやつじゃないか。まだ何も準備が出来ていない。

 というか、ポケット破れてるじゃないかコレ。結局引き出し開けないと駄目なんじゃないの?」


ナシメは寝室へ戻り、件の開かずの引き出しの前へ躍り出た。


 ナシメ「さてと、まずはどれくらい力の掛けて開かないのか実験しようではないか!」


 引き出しの取っ手を掴んだナシメは、力任せに取っ手を引いた。


 ナシメ「なぬ!?」


 引き出しは呆気なく開いた、赤子の手を捻るよりも簡単に開いてしまった。いや、寧ろ簡単に開き過ぎてしまった。凄まじいスピードで引き抜かれた引き出しが、丁度同じ高さにあったナシメの脛を直撃する。


 ナシメ「ヒョオ”ッ!」


 あまりの痛さに脛を抑えながら後方に跳び上がったと思えば、床に倒れ込み転げ回る。

 脛を擦りながら立ち上がったナシメは突然なんの気無しに悪寒を感じた。衝動的に寝室の内鍵をしめる。

 散らばった白衣の内、一枚を拾い上げ、着替える。その他の物は畳んで引き出しへ戻した。

 新しい白衣にポケットの破れが無いことを確認したナシメは、クローゼットの下段へ引き出しを戻そうとするが何かがつっかえて入らない。先程から寒気が止まらないナシメは早く引き出しを戻してしまおうと焦り出していた。

 ガタガタとやっている内に何かがバサリと足元に落ちた。足元にはくたびれたファイルが落ちていた。裏表紙の様子から察するに引き出しの裏に接着されていたようだ。


 ナシメ「セロハンテープで開かないよう巻かれている...

 テープの劣化は殆ど無い、最近貼り付けられたのか?」


 寒気の原因は明らかにこれであった。

 [何かを忘れている]そう言葉が過ぎったナシメはセロハンテープを切り、中身を開いた。



 数十分後、寝室に鍵が掛かっている事に気がついたクローンが鍵をこじ開けた。真っ先に4号機が部屋へ入ってくる。


 4号機「オリジン様!」


 慌ただしく部屋へ入ってきた4号機の顔にくたびれたファイルが投げつけられる。

 4号機がファイルが飛んできた方を見ると、ナシメが青い顔でこちらを睨んでいた。


 ナシメ「隠していたのか...」 

 

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