終わり、あるいは始まりのカウントダウン

羽衣麻琴

終わり、あるいは始まりのカウントダウン

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。

 一瞬、これは何だっけと考えて、そしてすぐに、ああ、と思い出した。

 これはそう、終わりのカウントダウンだ。

 この、ただ世界の消滅を告げるためだけの十分足らずのニュース番組は、この世界に取り残された一部の人間とアンドロイドのために用意されたもの、らしい。BGMに人の精神を和らげる音楽が使われているのだとか、アンドロイドに作用して緩やかに機能停止を促す信号が出ているのだとか、まことしやかな噂はいくつも耳にするが、本当のところはどうかわからない。暗号だという説もあったし、単なる慰めだといった話も聞いたことがある。どこで聞いた話だったか。

 思考を巡らせ、それからすぐに思い出した。これらの説を口にしたのは、先日この家に勝手に上がり込んで丸二日も生活していた男達のうちの一人だ。追い出してやったのは言うまでもないことだが、這々の体で逃げていった彼らの残したジャンクフードの残骸と同様に、そういう様々な憶測は、私にとっては酷く不快なものに感じられた。

 私はため息をついて、不愉快な映像を消すためにリモコンのスイッチを強く押した。力を入れすぎてリモコン自体がひしゃげてしまったが、まあ仕方ない。怒った時の力加減が苦手なのは昔からだ。壊れてはいないだろう、たぶん。

 映像が消えると、部屋の中は途端に静かになる。目の前の黒い画面が、誰もいない部屋の中を鏡のように映し出していた。テレビ、などという、今や骨董品好きの人間の家にしかないであろうこの液晶のスクリーンは、この家の家主が近所の知人に譲ってもらった代物だ。

 この家に住んでいたのは、明るい性格の青年だった。誰にでも好かれ、経済的には決して豊かとは言えないものの、人並みかそれ以上に幸せに生きているように見えた。彼は人と関わることで心の豊かさを保っているような外向的なタイプの人間で、よく町のボランティアの清掃に参加したり、向かいのおじいさんの家の雨漏りを直したり、近所のおばあさんの話し相手になったりしていた。そうやって時間や労力を提供する代わりに、色々なものを譲ってもらっていた。このテレビもそうして譲ってもらったもののひとつだ。今時テレビなんかを使う人間はほとんどいなかったが、一部の国では未だ現役らしいとも聞いた。一応今でもこうしてニュースが流れているのだから、この国でも現役なのだろう。チャンネルはひとつしか存在しないが。

 このテレビを譲ってくれたおじいさんは、家主のことを、今時珍しい好青年だと言っていた。誠実で明るくて外向的。私とは真逆の性質だ。

 しかしその彼も、今はもういない。テレビを譲ってくれたおじいさんも、向かいの家の老夫婦も、隣の家のおばあさんも、誰もいなくなってしまった。

 何も映さないスクリーンを眺めながら、私はひとり、人の気配のしない部屋でぼんやりと佇んでいる。

 ただ立っているだけで、時間はあっという間に過ぎていってしまう。つい先ほど顔を出したばかりの太陽はいつの間にか高く登り、窓から強い光を差し込んでいた。床にたまっている埃が、光に照らされてきらきらと輝く。

 私はその輝きに吸い込まれるようにして、窓辺にするりと近寄った。眩しいのは嫌いなので、直射日光は当たらない微妙な距離で外の世界を眺める。

 四角く切り取られた枠の中に、家の前の通りと、向かいの家と、それからわずかに青い空が見えた。通りには空き缶やゴミが転がり、向かいの家の窓は割られていてうらぶれた様子だったが、その上に広がる空だけは綺麗な青で、場違いにも平和の象徴のように見えた。七日後にはあそこから降ってくる惑星によって地球が崩壊するなんて、全く想像もできない景色だった。

 地球に直径千キロメートルの準惑星が「投げ込まれた」ことがわかったのは、どのくらい前のことだったか。軌道予測上ではありえない経路で、それは突然観測された。専門家たちがあれこれと意見を交わし、調査隊も派遣されたが、結局今日まで「どこの」「だれが」惑星を投げ込むなどという暴挙を行ったのかはわからない。専門家たちは調査と並行して対策を練ってもいたが、根本的な回避の方法は見つからなかった。当時すでに宇宙旅行や他の星への移住は庶民の手にも届き始めていたものの、世界中の人間がたやすく地球から脱出できるわけでもないので、多くの人間が地球の崩壊とともに死ぬことが決まっていた。しかも衝突までの猶予はたったの一年半と、あまりにも短かった。せめてあと五年あれば何かはできていたかもしれない、と専門家は沈痛な面持ちで語っていた。

 この衝撃的なニュースは、世界中をパニックに陥れた。しばらくは治安も大変なことになったようだが、一年もすると多くの人間が諦めることにしたのか、それとも治安の悪化のせいで人口が減ったのか、とにかくだんだんと落ち着いてきた。私はその間もずっとこの家にいたから、詳しいことはわからないけれど。

 ちり、と焦げるような熱を感じて足元を見ると、窓から差した日の光が足の先に当たっていた。太陽の向きがいつの間にか変わっている。というか、すでに傾き始めている。近頃ぼんやりすることが多いせいか、時間が過ぎるのがあまりにも早く、時々不安になることがある。

 私はため息をつきながら、そっと窓から離れた。ほんの少し赤く色付いた陽が差し込むリビングを眺めながら、ふと、私がこんな風にぼんやりするようになったのは「近頃」だっただろうかと疑問に思う。いつからだろうと考えてみるが、よく思い出せない。最近だった気もするし、もっとずっと前からだったような気もする。

 しばらく考えてもわからなかったので、私は思考を放棄した。仕方がない。こういうものなのだ。私は所詮、この状態を受け入れることしかできない。

 地球も私と同じだった。どうすることもできず、ただ崩壊という未来を静かに受け入れるしかなかった。

 地球の崩壊が回避ができないということがわかってから、人々の行動は早かった。宇宙に脱出できる手段を持っていた富裕層はさっさと地球から離脱していき、もたもたしていた者たちは離脱を妨害されて殺された。中流層以下は離脱を模索したり、徒党を組んだり、暴れたり、静かに暮らしたりと色々だった。しかし多くの離脱できない人間は、せめて直撃は免れようと、落下予想地域から出て行った。逆に集まってくる者たちもいたが、それは一部の信仰を持つ変わり者や、勇敢さを示そうとする粗暴な者たちだけだった。私のいるこの家は、その落下予想地域に含まれていた。

 一番最初に、テレビをくれたおじいさんが出て行った。落下地点から最も遠いとされる地域に、孫娘が住んでいるのだという。最期に孫と暮らせることを、彼は喜んでいるようだった。

 次に、向かいの老夫婦が出て行った。子どものいない彼らは、しかし友人が多く、彼らからこの地域を出た方がいいと勧められていた。妙な信仰を持つ連中が多く街に来るようになっていたからだった。それで、ある程度治安の落ち着いた隙を見計らって、迎えにきた友人らしき男性とともに出て行った。そんな風にして、ひとり、またひとりと住民たちは街を出て行き、一番最後に家主の彼も出て行った。隣の家のおばあさんを離脱させたいがひとりでは心配だからついていくという、ずいぶんと彼らしい理由だった。

 ひとりになってからも、私はずっとこの家にいた。この家とその周辺の、半径せいぜい二十メートルくらいが、私に許された行動範囲だった。それ以上進もうとしても、私にはそれができないのだ。何度か試してみたことはあるが、行動範囲外に行こうとすると途端に動きが鈍くなり、最終的には一歩も前に進めなくなるので、結局諦めてこの家に戻るしかなかった。

 日が沈み始め、部屋が暗くなる。今日も終わりか、と思ったところで、日課を終えていないことを思い出した。まだ完全には暗くなっていないリビングを滑るように移動して、キッチンへと歩を進める。

 私には、毎日行うことにしている習慣がある。

 ダイニングキッチンの奥の壁に備え付けられたタッチパネル。その前に立って、私は音もなく片手を持ち上げた。そして、ホーム画面に大きく配置されている室内AIの呼び出しアイコンの上にそっと指を重ねる。通常は声を出して呼びかけるものなのだが、私は上手く声を出すことができないので、こちらの方がまだ可能性があると判断しているのだ。

 パネルの上で何度か指を動かしてみたが、いつも通り反応はなかった。毎度のことだが、やはり少し落ち込む。来客が頻繁にあった家だったし、彼も呑気で不用心な人間だったから、個人認証のロックはかけられていないはずなのだが、生体感知センサーはデフォルトで搭載されているのだろう。事故が起こらないよう、私のように体温のないものには反応しないように作られているのだ。だからこの家は照明がつかないし、空調も調整されない。私が自力でテレビをつけることができるのは、あれが自動ではなくリモコンで操作するタイプの古い家電だからに過ぎない。

 仕方なくリビングに戻って、もう一度テレビをつけた。リモコンが妙な形にひしゃげていて、一瞬おや、と思ったが、すぐに自分がやったのだと思い出した。たしか、毎朝やっているあのニュースに腹が立ったのだ。あれはいつのことだったか。最近だった気もするし、そうじゃないような気もする。ああ、違う、今朝だったか。それとも昨日だったか。思い出せないが、とにかく最近のはずだ。

 リモコンが無残な状態でも、テレビはきちんとついた。しかし画面は暗いまま、わずかに灰色に光るだけで、何の映像も流れては来なかった。毎朝規則正しい時刻に放映されるあのニュースのほかにも、テレビには不定期で番組が流れてくる。主にニュース番組だが、時折動物などの癒しの映像が流れてくることもあるし、宇宙や惑星についての解説がされる番組が流れることもある。

 行動範囲に制限がある私は、ひとりになってからは主にこういった番組から情報を入手している。二十四時間配信されているわけではないので、こうして何も映らない時間も多いが、配信されている時間にテレビがついていれば、外の世界の現状を把握することができる。

 たとえば先日は、時間について解説する番組を見た。地球に取り残された多くの人類たちが助かるには、最初に地球を離脱した者たちが、今の人類にない技術を手に入れて、時間の概念すら超えて救助に戻ってくれることを期待する、というような内容に、科学的な解説を加えたものだった。しかし万が一本当に救助が来たとしても、残念ながら私には関係のない話だ。

 陽はもうすっかり落ちて、辺りは暗くなっている。闇の中で白く光る画面を眺めながら、私は「あと七日」と小さな声で呟いてみた。しわがれた声は自分で聞いても酷く不快で、不気味と言ってもいいくらいだ。生きている人間が私の声に怯えるのもわかる気がする。姿も、鏡に映らないので自分ではわからないが、きっと目撃した瞬間に逃げ出したくなるような酷いものなのだろう。

 多くの人に恐怖の感情を向けられながら、この家で長い時を過ごしてきた。どれくらい長い間いたのかはもう覚えていないが、少なくとも三回は家が建て替えられ、今の家も二回は改修工事が入った。

 この場所から離れられないことを考えると、私はたぶん、地縛霊というやつなのだろう。

 この場所に取り憑いた最初の理由はもう覚えていない。でも、きっと何か切実な理由だったのだと思う。だって、どんなに記憶が曖昧になる時も、「この場所に住む人間を追い出さなければならない」ということだけははっきりと覚えているから。

 誰かがこの部屋に入って来たら、「追い出さなければ」と得体の知れない焦燥感に駆られる。そういう風にできている。そして、行動せずにはいられなくなるのだ。物を壊したり、大きな音を立てたり、時には相手の首を締めたりして、脅かさずにはいられなくなる。

 霊感のある人間というのはさほど多くない。けれど、多くの人間が本能的に得体の知れないものを怖がる。そういう風にできているのだ。だから今まで、ここに住まう人間を追い出すのはさほど難しいことではなかった。それなのに、最後に住んでいた彼は例外だった。清々しいほどの鈍感さで、この家を出て行く最後の瞬間まで、私の存在に気付かなかった。

 真夜中に音を立てても、金縛りを繰り返しても、食器を割ってみても、彼は一向に驚かなかった、というか気付かなかった。ならばと寝ている身体の上に乗って首を絞めてやったこともあったが、それも破滅的に悪い彼の寝相のせいで失敗に終わった。腕や足を掴んで転ばせても気づかれなかったし、二階へ続く階段から突き落としてやっても華麗に受け身を取られて逆に感心してしまった。鈍感もここまで来るともはや才能と言えるだろうなとすら思った。

 それとも、どうだったのだろう。本当は気づいていたけれども、せっかく格安で住めた一軒家を手放したくなくて無理をしていたのだろうか。ひとりになってから時折そんな風に思って考えて直してみるが、何度考えても違うような気がしている。演技には見えなかった。人間の脳は見たいものだけを見るようにできているというが、その最たる例が彼なのかもしれない。

 最初はかなり苛立ったのを覚えているが、途中から面倒になり、最後はもはや楽しむようになっていた。久しく抱いた覚えのない感情に、自分でも驚いたほどだった。

 それで結局、追い出すのはやめて、観察してみることにしたのだ。時折衝動に負けてちょっかいをかけることはあったが、彼は怪我をしても自分の不注意だと思い込んで、笑い話にして周囲を楽しませた。

 この家に、あの彼はもういない。今ごろどこか遠く離れた場所で、周りに親切にして好かれているのだろう。地球が消滅するとしても、彼だけは最期まで幸福でいてほしいと願う。一度も存在を感じたことのない、しかもすでに死んだ人間にそんなことを願われているなど鈍感な彼は露ほども思っていないのだろうが、それでも構わない。彼に生きていて欲しい。そして、できれば笑っていて欲しい。いつからか私は、そんなことを強く願うようになっていた。

 テレビはぼんやりとした光を放ったまま、何の映像も映さない。私は諦めて、リモコンを取ってスイッチを押した。ぷつ、という小さな音と同時に光が消え、辺りは正真正銘の暗闇に包まれる。

 この家に人間が住むことは、たぶんもうないのだろう。

 それは、私の当初の望みだったはずだ。それなのに、いざ誰もいなくなってみればこんな有様だ。私は何故か成仏できず、こうしてただ毎日をひとりきりで過ごしている。笑い話にもならない。

 どうして成仏できないのかは、私自身にもわからない。だけど、彼がこの家を出て行ったあの日、寂しい、と感じたことは妙にはっきりと覚えている。身体のどこかにぽっかりと穴が空いてしまったかのような、奇妙な感覚だった。それはあの日からずっと続いていて、何をしても消えることがない。寂しい、虚しい、何かが足りない、欠けている。そんな気持ちを抱えたまま、私はこうして、終わりまでの日々を淡々と過ごしているのだ。

 深い闇の中で、私はそっと目を閉じた。追い出す対象がない今は、誰かを脅かすために徘徊する必要もない。

 そのことに妙に安堵しながら、七日後のことを考える。

 惑星が衝突する時はきっと、この家どころか、この大地も消えてなくなってしまうのだろう。そうなれば、私はようやくここから出て行けるかもしれない。

 この場所から解放されたら、私はどこに行くのだろう。

 今度こそ成仏して消えるのだろうか。それとも、場所を失って自由に動けるようになるのか。

 できれば前者がいいと思ったが、少し考えてみると、後者でも別にいいような気がしてきた。

 もしも動けるようになったら、彼を探す旅に出よう。そして今度は場所ではなく、彼自身に取り憑けばいい。本能的な衝動で多少怪我をさせてしまうかもしれないが、そういった衝動にはできる限り抵抗する心づもりだ。そうして鈍感な彼が私に気付かぬまま死んだ時、私はようやく彼と言葉を交わすことができるようになる。「ずっと見てました」だと怖いだろうから、「初めまして」と声を掛けることにしよう。それまでに、もう少し綺麗な声を出す練習をしておくべきだろうか。それとも霊体同士なら、声は関係ないのだろうか。他の霊に会ったことがないから、私はそういう知識が乏しい。

 初めまして、私と日々を共にしてくれませんか。

 と、言うのはちょっと唐突だろうか。もう少し、距離を詰める時間が必要になるかもしれない。まずはきっと自己紹介が必要だ。

 初めまして、一目惚れです。私はずっと一つの家に取り憑いていて——。

 それはなんだか、幸福な夢のように思えた。私は鏡に映らないからわからないが、もしも自分の姿が見ることができたら、きっと今、私の口元は弧を描いていただろう。



 いつの間にか、朝になっていた。

 何故かひしゃげているテレビのリモコンを手に取り、スイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと六日になりました」と言う。

 一瞬、これは何だっけと考えて、すぐにああ、と思い出した。

 これはそう、終わりのカウントダウンだ。


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