8/1 「Stayin' Alive in the Void」あとがき
辰井圭斗さん主催の「第二回遼遠小説大賞」( https://kakuyomu.jp/user_events/16818093076531695408 )に参加しました。
僕の参加作品は「Stayin' Alive in the Void」( https://kakuyomu.jp/works/16818093081788783457 )。
……なんですが。あまりにも色々ネタを詰め込んだので、なんか半年もしたら自分でも制作意図を忘れてしまいそう!!
というわけで、忘れないうちに、どういうつもりでこの作品を書いたのか、メモしておこうと思います。
■コンセプトについて
大会の裏テーマは、「遠く」でした。
主催の辰井圭斗さんによれば、「遠く」とは「小説の可能性」の意味である、と。
これを見たとき、まっさきに頭に浮かんだのは、
「俺たちは一歩も進めない。ここから、どこへも」
という確信。
でもその直後、脳の奥からこんな直感も湧き上がってきました。
「行けらあ!! 宇宙の果てまで! 時空の果てまで!!」
全く矛盾する二つの結論が同時に浮かんできたことに戸惑いながら、2ヶ月あまりテーマについて考え続け、プロットを組んで崩して直して変えて、書いて消して書いて消して……と動き続けてきましたが、いまいちビシッとした形にならず。
悩んでいたときに、その悩みをTwitterでポロッとこぼしますと、辰井圭斗さんから励ましのお言葉をいただきました。
『大事なのは「自分が今痛切に一番書きたいものは何か」ということ』
これを受けて、「そっか。じゃあ今回は100%趣味に走ろう」と思い付きまして。
そこからコンセプトを練り直しました。
・読者を楽しませる「くすぐり」は置かない。つまりエンタメ要素を一切排する。
・テーマを描くことのみを純粋に尖らせる。
・だが、そのテーマすら誰にも分かられなくてよい。
という土台を設定したところで、ふと、頭の中にストーリーのアイディアが浮かんできました。
僕が導いた答えは、「無限の円環輪廻」です。
■メインテーマ「円環輪廻」
というわけで、作中に「円環輪廻」の要素を色々組み込みました。
・舞台となる宇宙船は「ハイポサイクロイド型」。(どんな形かは検索してみてください。名前は知らずとも見たことはあるはず)
・宇宙船内では原子の半永久的な「輪廻(リサイクル)」が行われている。
・何度も繰り返されるセリフ「ここから何処へも行けない」=どこへも向かわず巡り続ける図形、円環。
・「タタラ→フォージ→テツ」というキャラクターの関係性が円環の一部を為している。
・物語の最後に作品冒頭へのリンクを貼ることで、この物語自体が永久に繰り返す円環を為す。
さらに、上記のような形式・象徴的な円環のみならず、作中に描きこんだ要素がひたすら「ここから一歩も外に出られない」という絶望的な現実を示すようにしました。
たとえば……
過去の名作の援用、引用。
第一回サブタイトルは「ニューロマンサー」第一章。
書き出しも、同じく「ニューロマンサー」の超有名な書き出し「港の空の色は、空きチャネルに合わせたTVの色だった」の本歌取り。
フォージが歌っているのはステッペンウルフ「ワイルドで行こう!(Born to Be Wild)」。そこから「イージー☆ライダー」を想起させる。
第二回のサブタイトルとフォージの歌は、ジョン・レノンの「Instant Karma!」。(余談ですが、彼の歌ってる部分が「頭を冷やせ。すぐに死んじまうぞ」という内容で、タタラの死を予言している……というのは細かい仕掛け)
第三回サブタイトル、メインタイトル、およびフォージの歌はビージーズ「Stayin' Alive」。こちらも「サタデー・ナイト・フィーバー」を想起させる狙い。
文体についてもそう。
冒頭から終盤までの「!」の代わりに撥音を用い、「?」の代わりに「……」を用いる文体は、言わずと知れた黒丸尚の訳文スタイル。
このように、フォージはひたすら「過去のアーカイヴ」に囚われています。
さらには、終盤で初めて「!」を使い、ついに黒丸尚から脱却したか!? と思った途端、怒涛のように押し寄せてくるのは谷崎潤一郎「春琴抄」の模倣文体なわけです。
一つのものから解き放たれても、また別のものに囚われるだけ……
どこまでいっても過去の名作の影響から逃れられない。
僕らは「ここから何処へも行けない」。
作中でもはっきり書いてしまいましたが、「俺たちのうちの何人が、本当に新しいものを創れるっていうんだ」というのは、書いている僕自身のありのままの実感です。
誰もが、どこかで見たようなパーツをツギハギして、何かを作り、何かを語る。でもそうやって描かれたものの形、形骸のみならず、「俺らの苦悩と言葉」さえも「ぜんぜんオリジナルなんかじゃない」。
僕らの持っている悩みや苦しみなんて、もうとっくの昔にどこかの誰かが味わいつくしていることで、そこになんの価値もない。それを描いた小説などの物語にも価値がない。その苦悩を抱えている我々自体にも価値がない。そも、価値という概念自体がまやかしである。
だからたとえば、「エンターテイメント」という要素も、全く価値のないまやかしなわけです。
これを表現するため、丹念にエンタメの型をハズして面白くならないように描きました。
エモもない。エロもない。アクションもない。恋愛もない。BLもない。百合もない。謎もない。成長もない。カタルシスもない。ホラーもない。事件は解決しない。SF要素は見た目だけ。独自性もない。文体は全て過去の名作のトレース。
「そんなものは全て、まやかしでしょうが?」
遼遠小説大賞は、エンタメにしなくていい、本気で書くべきものを書いていい、という場だと思ったので、全力でこういう方針に突っ走りました。ですから、百人読んだら99人までが「つまらん、分からん」と感じるでしょう。
でもたぶん、1人は分かってくれると思う。
そう願いながら書いた……ここまでは、あまり議論の余地のない「事実」の確認作業でした。
■だからこそ、無限にどこまでも行ける。
でも。
無限に円環を描くことは、本当に一歩も進めない停滞なのでしょうか?
いいや。永久に円環を描き続けるからこそ、無限に遠くまで進んでいける。
この直感を表現するために、物語の構成に「循環しながら進んでいく」形を組み込みました。
たとえば、
円形をした巨大宇宙船は、ずっと円環を描いて停滞しているようでいながら、実際にはちゃんと前へ進んでいる。事実、これまで地球から7000万光年も進んできたわけです。だから、これからも進む。無限の輪廻を繰り返しながら、いつか時空の果てへとたどり着く。
先ほども言及した、タタラ→フォージ→テツの関係性もそう。
物語のラストがURLによって冒頭に回帰することで、これと同じことが何度も何度も連鎖し続けることを表現しました。
「2周目」ではフォージがタタラの役を果たし、テツがフォージのように書き続け……
おそらく「3周目」では、テツがまた別の誰かを焚きつけることになる。
無限に続く創作熱の円環。
ですが、一つだけ変わっていることがある。フォージはタタラではない。テツはフォージではないということ。
同じことを繰り返しているようでいて、どこか少しだけ違う別の誰かに熱は受け継がれていく。円環を描きながら、少しずつ少しずつ別のどこかへ進んでいる。
また、タタラ→フォージ→テツと役割が受け継がれていくことによって、本編中盤では謎であったタタラの行動原理が、終盤のフォージの独白から読み取れるようにもしました。
タタラはなぜ、自分の作品を惜しげもなく詠み棄てていたのか? それは、フォージと出会った時点でもう渾身の作品をアーカイヴに納めた後だったから。そこから先は何もかも余生としか思ってなかった。
タタラはなぜ、唐突に反乱を起こしたのか? 実は唐突ではなかった。フォージと出会った瞬間には「この人の作品はもっと大勢に読まれるべきだ」と思っていた。それを実現するためには中央正義会を打倒するしかなかった。ゆえにそこから数年がかりで準備を進めていた。
「1周目」では分からなかった情報が、「2周目」に差し掛かることによって見えてくる。
ここでもまた、同じことを繰り返しているようでいて、明らかに違う何かが始まっている。
どうしてでしょうか?
なぜ、同じことを繰り返しているようでいて、別の何かへと変わっていくのでしょうか?
その理由はたったひとつしかない。
執念。
あるいは狂気。
作中これでもかと繰り返した表現……「イカれてる」からに他ならない。
そもそも、物語を書こう! 創作をやろう! なんて益体もないことに熱をあげてる時点で、みんな大なり小なりイカれてるんです(暴言)。この世には創作者が「掃いて棄てるほど」いる。その作品のほとんどは、ほとんど日の目を見ることなく膨大な量の「アーカイヴ」に飲み込まれて行方が分からなくなってしまう。それは僕のようなアマチュアならもちろんのこと、プロとして活動している作家さんだってそうです。今書いている作家のうち、100年後に名前の残っている人がいったい何人いることか? 価値はない。意味はない。
けれど、その無価値なものにひたすら執着して創り続ける狂気だけが、ヒトを一歩先へ進ませることができる。
『俺らの苦悩と言葉はぜんぜんオリジナルなんかじゃない。
俺には――いや。
俺の創るものには、これっぽっちも価値がない。
それでも――いや。
だったら――いや。
だから。
そう。であればこそ。
今。
ここで。
俺が書くしかねェんだろうが!!』
……と、これが僕の表現したい結論でした。
創作ってのは、どっか一本、ネジがぶっ壊れた部分がなきゃいけないじゃないかな、と思います。そうでなければ、何もかもが流行りすたりと定型に縛られるばかりで、それこそ一歩も進めない。
だから、狂え。
いや。俺は狂うよ。
そんな作品が、今回の「Stayin' Alive in the Void」でした。
この虚しい
■むすびに。
いやー……説明文に書き起こしてみて思ったんですが……
こんなふうに説明するより、ぜったい小説本文を読んだ方が分かりやすい、というより感じやすいと思いますので、どうぞそちらの方を読んでやってください。
だったらなんで解説なんか書いたんだ!! ごめん!! ここまで書いて初めて「これ解説要らねえんじゃねえかな」って思っちゃった!! すまん!!
まあ、大変に分かりづらい、そして分かったとしても同意しづらい、すごくヘンテコな考えで書かれた作品だとは思うんですが……
主催の辰井圭斗さんが読んで「最高!」と言ってくれましたので!
僕としては、「やるべきことはやりとげられたかな」と。大満足!!
とにかく「遼遠小説大賞」、エンタメ性を排して自分の書きたいことだけを自由にのびのび書けて、すごく気楽に楽しめたイベントでした。ありがとうございました!
辰井さんほか評議員のみなさま、講評の執筆がんばってください!
(8/5追記)
ひとつ説明を忘れておりました。第2回でのフォージとタタラのやりとりで出た「オーストラリア」から始まる会話は、「明日に向かって撃て!」のラストシーンです。二人ともあの映画を見てたので、フォージが「オーストラリア」と言っただけでタタラは「あっ、あの映画ね」と察して、そこから名シーンの真似をしてイチャついてたわけですね。二人ともオタク気質である。
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