21.「ディスイリュージョン」-2

「紹介するよ。《安息の地エルピス》が誇る、誰かと心を通わせるための部活。文芸部だ」


 ドアを押しのけ、建物内へと踏み入り。

 ロザリアスの誇らしげな言葉と共にベルナの視界に映ったのは、一面の書架と丸められた紙屑によって埋め尽くされた乱雑な部屋だった。


 両袖を墨で汚し、目の下に深いクマが出来ていた一人の女性が、呻きながら古めかしい木製のデスクの前で空白の羊皮紙と睨めっこしていた。


「おっ、おぉ……」


 驚嘆が口を伝え出てくる。

 思っていた光景とは大分違うが、いい意味で予想を裏切られた。

 ベルナは軽く感動していた。芸術に身を投げ入れている人間の心象風景の様な部屋だ。


 実際、詩を鑑賞するサロンに在籍していたベルナが言うのだから間違いない。これは日々、一文字の良し悪しに苦しめられ、無限に寄せてくる苦悩の潮の中に揺蕩う、閃きという名の一筋の月光を掬い上げようとする人間の部屋だ。


 なんだ。冒険者の中も高い素養を持つ人間はいるじゃないか。

 勝手に冒険者のサロンはバトル関連だと想像していたベルナは反省した。


 私はやはり傲慢だったのだ。公正に物事を考えようとしている自分の姿勢に酔っているだけで、特権階級の思考から脱却する事が出来ていなかったのだ。


 足元を転がる紙屑を拾い上げたベルナは、書き手の女性に声をかけようとして、思いとどまった。


 文芸部所属の女性は相変わらずデスクに齧りついている。どうやら来訪者に気付いていないのか、あるいは気にも留めていないらしい。


「内容が気になります?」


 紙屑を広げたいが、プライバシーを侵害してはいけないと葛藤していたベルナにグレゴリアが声を掛ける。


「え、ええ。内容を拝見したいのですが、作者の方が忙しいらしく、邪魔したら悪いなと」


「全然読んでくれて構いませんよ。彼女の成果は基本的には衆目に晒されるので、ベルナ嬢が読んでも彼女は別段気にも留めないでしょう」


「そう、ですか。では拝見させていただきます」


 くしゃくしゃな紙のボールを開き、期待と緊張と共にベルナは覗き込む。

 どうやら、手紙の形式を取った文章らしい。


 どれどれ……


「拝啓


 親愛なる友、《悪路の街灯イゴーロナク》のマスター、セシルス・ストラット様


 また冒険の収穫を数え、ギルド全体の発展に心を馳せる年末の季節が訪れました。

 ストラット様はいかがお過ごしでしょうか?


 先日、弊ギルドと断層ヴォイドの攻略に巡ってささやかな行き違いが発生した際はちょっとした事故が起こってしまい、失礼しました。


 肋骨十本、左右大腿骨、右鎖骨と左前腕の粉砕骨折のご調子はどうでしょうか?


 弊ギルドの幹部ルベライト氏も「うっかり転んだ際、冒険者とは思えない脆さのストラット様のお体を傷つけてしまった事を反省している」と申しておりました。既に完治している事を、心より祈念申し上げます。


 ところで弊ギルドの情報班によりますと、ストラット様の妹君はなんと、ルベライト氏の部下であるオニキス氏とご同郷である事が発見されました!これは得難い縁であると、弊ギルド一同喜んでおります。


 学校卒業の季節になりましたら、弊ギルドによる卒業祝いの贈呈を計画していますが、いかがでしょうか?


 妹君はメガネを掛けた女性のご友人と、御ギルドの護衛三人と一緒に、毎日の午後六時に家路につくとの事ですので、その際にお渡しできればと存じます。


 ただ、弊ギルドの人員は残念ながらうっかり者が多いです。ルベライト氏のように転んで、お怪我をさせる可能性もありますので、早急な返信を頂ければ幸いです。


 追伸


 オニキス氏は「田舎娘って感じで、青臭くてそそるぜぇ」と、妹君の美貌についての賛辞を贈りたいと申しておりました。」


 ベルナはそっと紙屑を畳んだ。


「うん?うん?」


 目を擦り、文章を読み直す。

 おっかしいな。

 これは文学というより……うん?


「グレゴリアさん?」


「はい?」


「これは、その。えっと、競合ギルドのマスターを、こう、まずは煽ってから、徹底的に脅迫する文書?違いますよね?誤解ですよね?そんな事ありませんよね?」


「あら。そういう形式の、小説の内容でしょうか」


「うん?でも?《悪路の街灯イゴーロナク》というギルドも、セシルス・ストラットという名前の冒険者も実在していますよね?私、要注意人物リストブラックリストって丸暗記していますからね?」


「現実の人物を取り入れた創作でしょう。よくある物じゃないですか」


「うんそうですよね!きっとそれ!」


 ふぅとベルナは長い息を吐いた。危ない危ない。

 またすぐそうやって悪い方に考える。教訓を得たばかりじゃないか。いけないけない。


「……りない……足りない……」


 書き手の女性の呻きが段々と大きくなり、ベルナは気になって、内容を聞き取ろうと少し近づくと。


「足りない……『殺意』が……」


「文章書く際に殺意は必要ないと思いますけど?!」

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