15.一本目のピトン-3

 テーブル一面に並べられたチョコレート菓子に、ベルナは眉を引き攣らせた。


 スタンダードなブラウニーとガトー・ショコラはもちろん、チョコチップ入りのクッキーやショコラタルト、果ては菓子作りの一大難関であるザッハ・トルテまでも並べられている。


 達筆すぎる文字で、フォークの隣にあるカードの上ではこう書かれている。「国家の犬卒業祝い これでチョコレートが食べられますね」と。


「《万紫千紅カレイドスコープ》のこの煽り癖はどうにかならないのですか?」


「あら。全部私が作った物ですよ?」


 テーブルを挟み、向かい側の天人は艶然と微笑みながら答える。


「……カードも?」


「もちろん。そこが肝心ではありませんか」


「……もう一度嫌いになるか真剣に考慮する必要がありそうね」


「あら。では今現在は好きという事?一回共闘したぐらいで?」


「んなっ!きょ、曲解です!」


 またしても昨日断層ヴォイドを出た時の様に顔を赤く染め、両手を振り回しながら抗議するベルナをグレゴリアは微笑みながら宥める。


「先生以外で、このギルドで一番可愛げのあるメンバーはあなたかもしれませんね。次からお茶目をする時は悪意を五十パーセントカットしましょう」


「……悪意という成分がある時点でそれはお茶目じゃなくて害するという行為では?」


「細かいのね」


 ベルナをからかいながら、天人は天人で食事を進めている。

 本当に綺麗に食べるなと、ベルナはぼんやりと考えた。


 三本の指で掴んでいたティーカップを軽やかに受け皿の上に戻す時も。フォークとナイフを使い、目の前のブラウニーを切り分け口に運ぶ時も。

 グレゴリアは一切、音を立てていない。食器が皿に当たる一番軽い音も聞こえないのだ。

 その一連の所作は大貴族であるベルナから見ても一分の隙もなく、礼儀的にも淑女の嗜み的にも完璧だった。


 が。それ故、ベルナのツッコミたい欲求が膨れ上がる。


「一つ聞いてもよろしいでしょうか」


「ええ、もちろん」


「何であなたには紅茶があるのに私にはないのですか?」


「あら。そちらにはホットココアがあるのではありませんか」


「知っています!せめて飲み物ぐらい茶を出してはいかがですか?!甘っだるくて食べられないでしょうが!」


「贅沢な事を言いますね」


「煽られているのに食べ物への敬意として全部食べようとする私の姿勢への評価はないのですか?!」


「流石大公家令嬢。良き教養をお持ちで」


 こめかみが跳ねるのを感じながら、ベルナは湯気が立ち昇るココアを啜る。


 うまかった。クッソ……


「わぁ!チョコパーティー!全部美味しそう!」


 またしても血圧の上昇を感じていたベルナの頭上から、能天気なはしゃぎ声が降り注ぐ。


 上の階に繋がる階段を見上げると、昨日会ったきりの諸悪の根源がそこにいた。


 液体のプラチナのような眩い銀色の長髪に、長い耳。褐色な肌色は日焼けではなく明らかに地肌。

 森の民が着るようなミモザ色の民族衣装に、左前腕から先端を覗かせる複雑な刺青の紋様。

 見た目は十四才前後の少女だが、幼さの残る顔たちに不釣り合いな程に大きく実る双丘が背徳的な艶めかしさを醸し出している。


 昨日とは違った装いの《万紫千紅カレイドスコープ》だ。共通する点は、マフラーのように巻いているあの黒猫だけである。

 今日の服装の方が、闇妖精ダークエルフの少女としても、冒険者としても違和感がなく、その身によく似合っている。


 という事は、やはり昨日のアレはベルナの神経を逆撫でするためにわざわざ用意したコスチュームだろう。考え出すと頭が痛くなる。


「ベルナちゃんおはよう!これ何かのお祝い?」


「国家の犬卒業記念です、先生」


 にこやかに答える天人の言葉に対し、とぼけた表情で《万紫千紅カレイドスコープ》は目をぱちくりさせる。


 あなたが昨日発した煽りを、忠実な部下が引っ張ったんだよ!「よく分かんない」みたいな面するな!


「では、ベルナ嬢。ご本人も来た事ですし、こちらを」


「え?」


 グレゴリアにより差し出されたのは、薄く四角い紙製の箱であった。


「これは?」


「先生からのお祝いの品でございます」


 新品の洋服を入れるための容器みたいねと思い開けて見たら、出てきたのは見覚えのありそうな衣装であった。


 よく観察すると、それは昨日告死女妖バンシーが着ていた踊り子衣装だった。完全に同一な物という訳ではなく、あのボロ布同然だった衣装が完全に復元されたような鮮やかな色合いをしている。


「これ、もしかして……」


「ええ。昨日入手した欠片レリックです」


 言いたい事を言い終わる途端紅茶を嗜みに戻った天人を、ベルナは思わず見やる。


 欠片レリックは総じて高価である。それこそ、あまり使い道が理解できないヤツでも、平民一家が数か月生活できるような値段がつくのが基本。


 しかも昨日、グレゴリアは「隠し要素」はレアなドロップに繋がると言っていた。この踊り子衣装は一体どれ程の価値があるのだろうか。


「……受け取れません」


「まぁ。確かに、少々胸を強調しすぎるデザインでしたね。スレンダーで慎ましやかなベルナ嬢には少し……」


 グレゴリアのはその軽い冗談を続ける事はなかった。

 ベルナの険のある目付きを敏感に察したからだ。


「《万紫千紅カレイドスコープ》閣下。あなた方安息の地エルピスに対しては元からモラルなど期待しておりませんが、私をあまり舐めないて頂きたい」


 昨日の共闘を経て、少しだけだが心を開いていたベルナの声音は冷え切っており、言葉遣いも固いモノへと戻っていく。


 急激に態度を硬化させるベルナに対し、ギルフィーナは固まったまま口を開いては閉じていた。


「あなたの調べる通り、グイドニス家はいまや困窮しております。だがしかし、それはこの様なあからさまな賄賂を――」



 怒りに満ち溢れるベルナの声明を、笑みを絶やさずにグレゴリアは遮る。


「冒険者ギルドにおける、一般的な戦利品の分配法についての知識はございますか?」


 突然出された一見無関係な話題に、否応にも思考リソースを割かれたベルナは少しだけ冷静さを取り戻し、無言で頭を横に振る。

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