9.目に見えない真実-5

「さて、ベルナ嬢。あちらをご覧ください」


 グレゴリアはメイスの先端を何らかの方法で光り輝かせ、それを使い敵の方向を指し示した。


 これまで歩いていた暗い森の湿った赤土の地面を抜け、道の果てにあったのは月明かりに照らされた小さな湖だった。


 普段なら、造園などにも造詣が深いベルナは上質な景観を称える余裕があったかもしれないが、湖の中心に存在する三つの影に脳のキャパシティーの九割を容易く奪われた。


「あれ、は……」


 まず目を引くのは、一番前に立っている、巨大なクレイモアを背負っているフルプレートの騎士。体格と輪郭からして男性だと思われる。


 兜の間から猩紅の光を輻射させ、粘性のある液体と錯覚する程の濃密な黒い靄は騎士の全身から噴出している。


 一目見ただけで、ベルナの全身に鳥肌が立つ。今までの敵とは次元が違う。はっきり言って、腹立たしくもあったが頼もしさも同時に持っていた陰影グリザイユ達が、あれに勝てるとは思わない。


 騎士の後ろには、身長とほぼ同程度に長い藁色の髪が顔を覆うっている、ボロボロの踊り子衣装をまとった女性型のアンデッド。

 

 これがグレゴリアの言っていた、告死女妖バンシーだろう。ほつれた布の隙間から骨と皮ばかりの細長い四肢を覗かせ、手と足の甲は赤黒く汚れている。


 告死女妖バンシーは絶えず何か囁いている。聞き取り辛いが、怨嗟の声である事だけはなんとなく想像がつく。


 こっちの危険性は、決して騎士の方に負けてはいないだろう。ベルナは実際身をもってその能力の一環を体験したのだから。


 そして何より、奴は浮いている。湖面に接触していないのだ。飛行能力があるとすれば、地上に立つ陰影グリザイユ達による護衛は役に立つかどうか……


 最後に、男女一対のアンデッドの後ろには、巨大な鳥籠がぽつんと置かれていた。


 非常に堅牢そうなそれの中にある者は、ベルナの目にはドレスを着ている貴族の少女の様に映った。


 前の二体のように、見た目からしてアンデッドと言う訳ではない。距離があるので断言はできないが、人間の様に見えた。


 そして……ベルナには、鳥籠の中の少女は二体のアンデッドに怯えている様に見える。


「ボスの様子は明らかに普段と異なる。いつもは、中位アンデッドの骸骨騎士スケルトンナイト一体と死霊レイス一体のはず。それが今、大きく強化されていると思われます。そして、後ろに見えている、あの鳥籠と中身の女の子も初めて見るものです」


「その、勝てるのですか?」


 緊張で乾いているベルナの声音に、グレゴリアは即答する。


「容易に」


 確固たる自信がその仕草にはあった。それを見て、喉まで出かかった心臓をようやく胸に戻せたベルナだが、一つ気になる事がある。


「一旦攻略を諦め、ギルドまで戻り《万紫千紅カレイドスコープ》に報告した方が良いのでは?」


「残念ながら……『隠し要素』が起動している断層ヴォイドは中にいる人間を帰さないのです」


 グレゴリアが指し示す方向を見ると、彼女らが通ってきた道は漆黒の霧が充満していて、その中に踏み入るのは明らかに賢い行いではない。


「やるしかないのですね」


「ご安心ください。流石にあれに対し、経験値を稼ごうなどと言うつもりはありません。ベルナ嬢は、陰影グリザイユ達とここにお残りください。私が一人で片付けて参りますので」


 四枚の羽を緩やかに伸ばし切り、先ほどの五倍も大きく見える天人の後ろ姿は、悔しいが見ていてとてつもなく心強く……そして、かっこよかった。


 ◎


 戦争詩人ワーバードが何故戦争詩人ワーバードなのかを、ベルナはその目で目撃することとなった。


 グレゴリアがアンデッド達の攻撃範囲に入る瞬間、「タダシキ、シンパンヲ……」とアンデッドの騎士が口を開き告げた。


 モンスターが言葉を用いる事に対しベルナが驚愕するのと同時、「アンデッドが生者を裁こうなど笑止千万」と言わんばかりの、天人のフルスウィング。


理解を促す者シルバー・エピファニー』と銘打たれた白銀のメイスが流れる光帯となり、騎士がクレイモアを掲げる前にその顎に命中する。まさに問答無用。


 いや、命中というより、着弾したと言った方が正しいのかもしれない。


 アッパーの軌跡を描き敵の兜を砕いた後、その一撃は数百キロありそうなアンデッドモンスターを、まるで加減の知らない子供が投げたボールのように真っすぐ上に吹き飛ばした。


 それだけに留まらず、《戦争詩人ワーバード》はシャープな動きで翼をはためかせ、ベルナの認識限界ギリギリの爆速で上に飛翔する。


 まだ上昇途中の騎士の腹を捉え、『理解を促す者シルバー・エピファニー』は今度真下に振り下ろされ、けたたましい破砕音と共に相手を湖面へともう一度打ち落とす。


 水の上に立つためか、騎士のアンデッドは湖面を何らかの特殊技能スキルでガッチガチに凍らせていた。それがかえってグレゴリアに利用され、黒騎士は頭から固そうな氷面に叩きつけられる。


 氷を盛大に割り、湖の底へと沈んでゆく黒騎士をベルナは口を開きながら目で追い続けた。グレゴリアはと言うと、涼しい顔で「残り一匹ね」みたいな表情で告死女妖バンシーの方を向く。


「えぐい……」


 口から単純な感想がこぼれた。


 見ているこっちが全身痛くなる。音がまず人の手によって出していい音の類ではない。


 何ならメイスが振るわれ、命中する前には鞭の様な空を裂く鋭い切り裂き音がしたし、命中する度衝撃波みたいなのが散らばっていた。


 吟遊詩人バードは通常身体能力がか弱い方の職業ジョブであり、他の後衛職がこの光景を見たら、こんな芸当ができる吟遊詩人バードなど存在してたまるかと吠えるに決まっている。明らかにそこら辺の戦士系の冒険者よりも物理攻撃力が高い。


 告死女妖バンシーは腰を反らせ、力一杯絶叫する。ベルナは慌てて耳を塞ごうとするが、グレゴリアはまるで唾を吐きかける動作で短く一音節の何かを告死女妖バンシーに向けて放つ。


 黄金色に輝く音符の形をした閃光が誘いの慟哭クーニアック・ハウリングに衝突し、いとも簡単にそれを相殺した。


 熟練の魔法使いメージは呪文の詠唱を短縮、更に凄腕なら無詠唱で魔法を行使する事が可能と聞いた事がある。ならばこれは、歌う事を一音節にまで圧縮した吟遊詩人バードの楽曲だろう。


 それって可能だったんだね……音楽って一体……


 更なる絶叫を試みようとする告死女妖バンシーに向け、「お黙り」と言わんばかりのぞんざいな姿勢で、裏拳のような振り方をされたメイスが横薙ぎにその顔面を捉える。


 全身がちょっと半透明だから、告死女妖バンシーは多分実体のない幽霊系のモンスターのはずなのに、メイスはしっかりと命中し、空中に浮く彼女を逆時計順に猛烈に回し出す。その絵面はいっそコミカルだった。


 とどめとして、回っている告死女妖バンシーに向けグレゴリアが短く言葉の断片を高速にして連続で射出する。色んな色彩の音符がアンデッドに命中し、爆発音と共にその身体の一部を容赦なく削り取る。


 ベルナの中の、ハープを繊細な指捌きで撫で、神秘的にして風情のある吟遊詩人バードのイメージが音を立てて崩れ去る。


 どんな職業ジョブも戦闘に特化するとこう見えてしまうのね。勉強になった。


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